2024.8.19 第5回研究集会 叢書第1巻セッション 

 8/19-20の2日間にわたり、AAAプロジェクト第5回研究集会が開かれた。初日に行われたセッション1とセッション2との目的は、AAA叢書の第1巻と第2巻の執筆担当者である先生方にその内容の構想を発表していただくことである。

 セッション1では、テキストアナリティクスがテーマとなる叢書第1巻の執筆担当者である4人の先生方による発表が行われた。

🌟鈴木麗璽先生

 鈴木麗璽先生の発表は、LLMを活用した人工社会におけるテキストの進化ダイナミクスに関する2つの分析事例の紹介である。従来の研究とは異なり、多数のLLMエージェントからなる集団を対象とした研究における出力は自然言語に基づいており、なおかつ膨大であることから、人工社会のテキスト分析に基づく理解が課題となる。1つめの事例は、会話トピックの選好性の文化進化モデルを構築し、言葉の進化ダイナミクスを分析したものである。たとえば、ポジティブ、ネガティブ、ポジティブ・ネガティブの3種の発話をそれぞれ行うように設定した多数のエージェントの動きを分析するといった実験を行うと、ポジティブなエージェントの方が集団を作りやすいことや、ポジティブな発話には「new」といった特定の語が含まれているといった傾向がわかった。こうした分析結果から、言葉の持つ特徴が集団形成のダイナミクスに貢献する可能性があると鈴木先生は述べた。2つめの事例は、LLMを活用し、ゲーム的相互作用における戦略に言葉を利用する分析である。これは、たとえば「強い動物」というようなお題のもと、それぞれ異なる動物の名前のデータを持つエージェントを競わせるとどのような進化のシナリオになるのかを分析するものである。従来の研究では相互作用に限界があるのに対し、LLMを活用したこの研究では、無数に生じうる選択肢から生じる多様・オープンエンドな進化シナリオが期待されると鈴木先生は述べた。

🌟伊東剛史先生

 伊東剛史先生の発表は、19世紀末の標本採集人に大きな影響を及ぼしたチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ラッセル・ウォレスのそれぞれの探検旅行記である『ビーグル号航海記』と『マレー諸島探検記』とに対して行った感情の動きを分析するセンチメント分析の結果についてである。伊東先生は、まずダーウィンとウォレスとの共通点・相違点について説明し、次に両者の航海記に対するセンチメント分析の結果について報告を行った。分析を行うと、たとえば、ダーウィンとウォレス、両者の旅行記はともに帰国に近づくほどポジティブになるといった結果が出た。また、伊東先生は、旅行記に対する分析結果についての検証として、喜劇であるジェイン・オースティン『高慢と偏見』と悲劇であるトーマス・ハーディ『日陰者ジュード』についても同様の分析を行った。そこに現れる感情の動きが両作品の話の展開に合致することから、旅行記に対する分析結果も信頼性があるのではないかと語った。発表の最後には、研究をより深めるために、これから検討すべきいくつかの課題についての説明がなされた。

🌟和泉悠先生

 和泉悠先生はカズオ・イシグロの小説『クララとおひさま』の翻訳に見られる「おんな言葉」について、テキストマイニングの手法を用いて分析・考察した結果の発表を行った。和泉先生は、現実の女性の「おんな言葉」の使用率との比較を行う対象として、「おんな言葉」の計量的研究として過去に行われた実態調査の結果を取り上げた。その先行研究の結果と『クララとおひさま』に登場する女性人物のセリフにおける「おんな言葉」を表す「女性的」文末形式の使用割合を比較すると、現実の女性全体では2.9 %であったのに対し、翻訳の女性人物のセリフは94 %と、両者には大きな差異が見られた。和泉先生は、この分析結果に基づき、翻訳で見られるような「おんな言葉」が現実の人間の話し方としてはほとんど見られないということは、「おんな言葉」が女らしさの強調というレベルの話に収まるのではなく、現実の人間との根本的乖離があるのではないかということを示唆した。また発表の締めくくりとして、「おんな言葉」の使用には、読者の世界観を操作する可能性をはじめとする、様々な規範的含意の可能性があるということを指摘した。

🌟劉雪琴先生

 劉雪琴先生は、中国SF作品である『折りたたみ北京』の日本語訳である中国語からの直接翻訳と英語版を経由した重訳の2つの翻訳を対象とした、比較研究についての発表を行った。劉先生の研究によると、この2つの翻訳に用いられる語種や表現には差異が見られる。たとえば、語種については、直接翻訳は中国語の影響からか、和語や混種語が多い一方、重訳は英単語をそのままカタカナにした外来語が多いという有意な差が見られた。また、他にも、代名詞の使用については、直接翻訳は代名詞の省略が多い一方で、重訳は代名詞をそのまま翻訳したり、人名に置き換えるといった差が見られるという。修飾語については、直接翻訳は原文への忠実度が高く、重訳では省略されている形容詞の使用などが見られ、多様性という点では、直接翻訳の方が重訳より高いということが読み取れた。最後に劉先生は、今後の課題として、人称代名詞の頻度に関する考察が、単なる語彙の問題にとどまらず、物語の視点や話法とも密接に関連するため、さらなる精査・検討が必要となると述べた。

 先生方の発表の後には、質疑応答・討論の時間が設けられた。たとえば、鈴木先生の発表に対して、AIを用いた人工社会の分析が、現実の人間のコピーと言えるのか、といった研究の意義・目的および人間とAIとの関係を問うような質問がされるなど、研究のブラッシュアップに繋がる議論が多く行われた。

(文責:名古屋大学人文学研究科博士後期課程1年 田中基規)

2024.8.19-20 第5回研究集会

 当プロジェクトも、期間の折り返しを迎えています。これまで数々の課題を洗い出し、検討を進めてきました。大平英樹教授が、「後半期間は、これまでの成果を踏まえて、より戦略的にプロジェクトを展開していきたい」と話すように、今後さらに加速し、新たな流れを作るフェーズへ突入します。2024年8月19日、20日に開催された全体研究集会では、各班の話題提供と活発な議論に加え、叢書の出版や金沢21世紀美術館との共催による国際シンポジウムなど具体的な成果発表の構想についても議論されました。

 白熱した発表、議論のうち、ここでは一つ、<セッション4:セクシュアリティ>における、鳥山定嗣先生のご発表について紹介します。

 鳥山先生が掲げている一つのテーマが、「言語のジェンダーと作家のセクシュアリティ」です。その検討の一つとして、フランスの詩人であるポール・ヴェルレーヌ(1844 – 1896)の詩、「良い弟子」が紹介されました。

 一見、キリスト教的な詩のように読めます。ですが、いくつかの解釈において、この詩は同性愛について読んだものと言われています。ヴェルレーヌは当時、アルチュール・ランボー(1854 – 1891)と同性愛の関係にありました。この詩は、そのランボーの財布から出てきたものです。当時世間一般に公表されていなかったことから、ヴェルレーヌからランボーへ送られた私的な詩であることがわかります。そこから、詩中の「私」はヴェルレーヌ、「君」はランボーと見ることができます。その他にも、「選ばれた私」と「呪われた私」のような両義的な表現や、鷹や白鳥という性的な意味を匂わせる動物表現、脚韻の工夫による表現などをはじめとして、同性愛的な含意をいくつも読み取ることができます。

 鳥山先生は先行研究の指摘を紹介しつつ、同性愛的な解釈に通ずる、詩の構造の検討を加えました。ソネットと呼ばれる14行詩(13世紀イタリアに誕生し、16世紀フランスに伝わった定型詩)は、4行-4行-3行-3行と構成されるのが一般的でした。しかし、この詩の構造は斬新で、3行-3行-4行-4行と構成されています。この倒置構造に、通常の愛とは異なる同性愛の含意を読み取ることができます。

 確かに、言葉を変えたところで社会への影響は大きくないかもしれません。しかし、「そこはそう簡単には割り切れないのではないか」と鳥山先生は話します。自然現象の一つとみなされる性(セックス)も、言葉にする時点ですでにジェンダー化されているという見方もあります。そう考えれば、言語上の破格行為も社会変革と無縁とは言えないのではないでしょうか。

 「単なる自己満足と見る人もいるかもしれません。それでもこの詩は、当時の社会規範やジェンダー観に対するささやかな抵抗だったのではないかと思います。」

 “私”自身の性別を明らかにすることなく自分について語ることが難しい、そのような言語がフランス語をはじめ世界には少なからず存在します。言葉がジェンダー規範に与える影響は、今後も深く検討される必要があります。

(文責・綾塚達郎)

2024.7.27 第三回ロボット視察研究会―ロボット・人工物の主体化・身体性をめぐって

2024年7月27日に大阪大学にて、第3班企画のロボット視察研究会「第三回ロボット視察研究会―ロボット・人工物の主体化・身体性をめぐって」が開催された。本研究会では、大阪大学長井研究室にてロボット視察を行った後、2件のライトニングトークを含む合計5件の発表が行われた。

🌟長井研究室ロボット視察

 長井研究室ロボット視察では、はじめに長井研究室助教でAAAプロジェクト第3班メンバーである宮澤が長井研究室の研究トピックや設備等について説明した。その後、3台のロボットのデモンストレーションを視察しつつ、活発な意見交換を行った。視察したデモンストレーションは、Universal Robots社のアームロボットUR5eとUniversal Manipulation Interfaceを用いた模倣学習によるティーカップの操作、株式会社ア-ルティのヒューマノイドロボットBonoboによるジェスチャーを交えた雑談対話、そして、Boston Dynamics社の四足歩行ロボットSpotによる歩行や物体把持であった。

 それぞれのロボットのデモンストレーションごとに、実際にロボットが動作している様子を見たり、ロボットに触れたりすることで最新のロボット研究についてより深く知ることができた。また、ロボットのデモンストレーションを行った長井研究室の学生とロボットを前にしながら意見交換することで、ロボットの身体性や運動制御の難しさ、センサー配置とその理由など、非常に多くのことを議論できたロボット視察となった。

🌟高見滉平さん(長井研究室修士2年)

 対話システムは広く研究されており、雑談対話システムもまた研究が進んでいる。これらの議論の中心は、対話システムをより人間らしくすることや、共感を示すことなどである。しかしながら、本研究では対話相手の発話のセンチメントを報酬とする強化学習モデルを提案し、発話を選択することで、対話相手の感情を考慮し対話相手の発話を直接制御することを提案した。その有効性を検証するため、シミュレーションや被験者実験を行った。本研究会の発表では、実験の予備的な解析結果について示した。さらに、AI Agentの主体化について、AI Alignmentの観点からも議論をした。

🌟福田聡也さん(長井研究室修士1年)

近年、対話システムが盛んに研究されている。対話システムが今後より進展していくには、対話相手の心的状況を考慮して対話したい。そこで、対話相手の発話の肯定度を考慮した発話選択のモデルとLLMへの性格の付与を行った対話誘導モデルを提案した。この提案手法により、ネガティブな対話相手の発話をポジティブに誘導できるかを検証するためにシミュレーション対話実験を行った。その結果、対話相手の発話の肯定度が上昇し、このシステムの有効性が示された。また、人工物の主体化プロセスについて考える際に、人工物が他者から傷つけられる能力を持つことが重要であると考えている。そこで、言語を扱う人工物としてLLMを用いて、LLMが言語的に傷つけられる能力を持つかを検証した。具体的には、LLMに対して罵倒語を与えて、ベンチマークタスクを実行した時のタスクの成功率を評価した。本研究会では、予備的な実験結果の共有を行い、LLMの主体化に関する議論を行った。

🌟池田慎之介先生

 池田は,「言語獲得における身体性の機能:ヒトとロボットの対比を見据えて」という題で,言語獲得において身体性がどのように機能しうるかを論じた。特に,記号接地問題,オノマトペ,痛みをキーワードにし,先行研究を整理した上で,今後の研究課題について述べた。議論では,LLMは過去の人間による言語活動の蓄積に立脚しているため記号接地問題を回避してしまいうること,身体性に基づく(過去の蓄積を参照できないような)新たな言語活動においてはヒトとロボットとで振る舞いに差が生じうることなどが指摘された。今後の方向性として,ヒトとロボットとで主体化のプロセスが異なる可能性があるため,その点について痛みや身体を軸として掘り下げていく必要性が認識された。

🌟肖軼群さん

 肖は、「分断を告げる身体――触覚から読むカズオ・イシグロ『クララとお日さま』」というタイトルで、触覚の視点から『クララとお日さま』の新しい読みを再考する内容で発表を行った。AFであるクララが経験する触覚体験を二つのカテゴリーに分けて、望ましくない触覚体験として「肘を掴む」こと、望ましい触覚体験をとして「抱擁」を例として分析を行った。クララが触覚について学習するプロセスを考察していくうちに、彼女が抱く人間に平等に扱われたい願望、そして人間との一体感を味わいたい欲求が判明する。AIやロボット工学についての知見を吸収しながら、人工知能を搭載したロボットを一人称語り手として設定するイシグロは、ロボット小説における身体性の問題を提起し、触覚に込められている人間とロボットとの間の権力関係のメカニズムを前景化しているという結論を提示した。

🌟宮澤和貴先生

 宮澤は「Agent AIとWorld Models:人工物の主体化を考える」と題し、近年盛んに研究されている自律性を持つAI(Agent AI)と、エージェントが持つ世界の予測モデル(World Models)をもとに、人工物の主体化に関する発表を行った。大規模言語モデルなど、大規模に学習されたモデルが単なる関数や道具としてではなく、自律的な振る舞いを実現できるようになりつつある。AIの自律性が向上し、その振る舞いを人間が想定することが困難になるほど、AIやロボットの主体化プロセスに関する議論の重要性が増すと考えられる。研究会では、人工物の主体化プロセスを記号創発システムの中で捉えることについて議論した。その中で、主体化プロセスは固定的な状態ではなく、常に変化し続けるプロセスとして主体性を捉えることの重要性が議論された。また、エージェントが自ら獲得する主体性だけでなく、他者から与えられる主体性の存在についても議論が行われた。この視点は、主体化プロセスの多面性と複雑性をさらに浮き彫りにするものであった。

2024.7.6 第1班の第4回班別会議

2024年7月6日、名古屋大学人文知共創センター室にて第4回理論班会議が開催されました。

 中村靖子先生は、構造的トピックモデルを用いてフロイトのテクストにおけるトピックの変遷を視覚化し、特に中期に中心的なトピックとなる“Traum”(夢)と、後期に中心的なトピックとなる“Witz”(機知)に注目してフロイトのユーモア論を紹介されました。

 質疑応答では、著者の思想的変遷を扱う研究において量的研究に対して質的研究が今後どのように位置づけられるべきかについて議論がなされ、研究の妥当性の確認としての量的研究の意義が再確認されました。

 鄭弯弯先生は、語彙の難易度を推定するための指標として、単語の親密度を導入する試みについて紹介されました。単語の親密度は、単語の出現頻度とは異なり、言葉を使う人の実感に依存する主観的指標であり、出現頻度のみを用いる場合に比べてより高い精度で語彙の難易度を推定できることが期待されています。 

 質疑応答では、方言や同義語の難易度を比較する際に親密度という指標がどう働くのか、語の古さが語の難易度や親密度とどのように関係するのか、などが議題に上がりました。

 鈴木麗璽先生は、言葉を持ったエージェントを対戦させ、言語モデルを用いて特定の指標によって勝者が弱者にとって代わり、さらに低い確率で単語を変異させる言語の生態ゲームによって、言語を進化的に扱う試みについて報告されました。次いで、この生態ゲームのテキストマイニング的な応用の可能性について問題提起されました。

 質疑応答では、人間の代わりに生成モデルを被験者として用いる心理学研究がマスレベルでは一定の成功を収めていることなどを例に、高度な人工知能エージェントの出現により人間観が問い直される可能性が指摘され、言語モデルの心理学研究への応用可能性が議論されました。

 大平徹先生は、2つの方程式が独立している場合に比べ、同じ値のまま両者の間に遅れカップリングを導入するだけではるかに大きな振動が生じることに着目し、集団の相互作用が生み出すリズムや構造を、遅れ微分方程式を用いて記述する試みについて報告されました。

 質疑応答では、研究の独創性として、遅れを導入しない従来のモデルでは増幅し続けて無限に発散するものしか記述できなかったのに対し、遅れ微分方程式は微弱な信号から非常に大きな振動を生み出すものでありながら制御可能なモデルであるという点が強調されました。

 金信行先生は、技術イノベーションの発展に経済の観点を含める形で、ラトゥールとは異なる立場からアクターネットワーク理論(Actor-Network-theory: ANT)を展開したミシェル・カロンの議論を取り上げ、カロンが提案する、媒介物を含むアクターが、様々な翻訳を通じて構成する技術経済ネットワーク(Techno-Economic Network: TEN)という概念をもとにANTの応用可能性を検討されました。 

 質疑応答では人間の脱中心化という観点から、ANT的な記述において翻訳のプロセスから人間による評価が排除されえないことの是非や、現代において情報のアウトプット(テクストの制作)の主体となりうる人間以外のアクターについて議論が交わされました。

 田村哲樹先生は、「政治体」と「集合体」を区別しようとしたラトゥールの議論を取り上げ、ANTを踏まえた政治や民主主義の概念について再検討されました。また、人工知能の民主主義的・非民主主義的側面を腑分けして後者を抑制しつつ前者を活用する方向性を検討しされました。

 質疑応答では、ランダムな抽選による代表者の選出、AIエージェントの政治参加などを例に、平等性、多様性、中立性といった観点から民主的な政治参加とはなにかという議題があげられました。

 平田周先生はラトゥールのANTを都市研究に応用する試みについて報告されました。従来の社会学の代替ではなく補完として、ANTの役割を批判的に検討したニール・ブレナーの議論を基に、政治経済学との接合によるANTの有効性と、ANTの存在論的な限界について考察されました。

 質疑応答では、ブレナーの取る立場とANTの立場での視点の違いが指摘され、ブレナーの批判の妥当性が検討されました。また、ANTでは人間どうしの平等性だけでなく人間以外のモノを含めたアクター間の平等性について考察することができるのか、そのときの平等性の質的な違いをどう捉えるべきかなどについて議論がなされました。

(文責: 大阪大学人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)

2024.6.18 第3班の第6回班別会議

2024年6月18日、オンライン(Zoom)にて第3班の第6回班別会議が開催されました(参加者/敬称略:池田慎之介、和泉悠、大平英樹、肖軼群、ソニア・ザン、鄭弯弯、中村靖子、南谷奉良、平井尚生、宮澤和貴)。本班別会議では各班員の進捗報告に加えて、宮澤の在籍する大阪大学で開催する「第三回ロボット視察研究会―ロボット・人工物の主体化・身体化をめぐって」についての打ち合わせ、また叢書刊行へ向けた10月実施の若手研究発表会の打ち合わせが行われました。

 前述の視察研究会では、イギリスの小説家カズオ・イシグロを専門に研究する肖軼群氏(京都大学)から、カズオ・イシグロ作品をロボットの触覚という観点から分析する研究発表が行われるほか、ロボットの身体性、主体化について班員の池田、宮澤から研究発表が予定されています。また、本研究会は他班のメンバーからも広く参加を募っており、研究班の枠組みを越えた交流が見込まれます。

🌟南谷奉良

 2024年5月17日の第7回終わらない読書会―22世紀の人文学に向けて―」を開催し、講師に金嶋ゆうひ氏を迎え、村田沙耶香の『コンビニ人間』を扱った。金嶋氏がイベント報告で詳細に説明しているように、(1)KH Coderによるテキストマイニングを用いた計量分析と特徴語の解説、(2)主人公の変化の考察(3)現実世界を通した読解を行った。7月19日には、終わらない読書会の第8回を開催予定(対象テキスト:佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』)が開催予定である。また業績成果として、和泉氏の悪口の研究から着想を得た論文が2024年末に刊行予定の書籍用に査読中である点、また日本医用画像工学会の学会誌『Medical Imaging Technology』に対して、京都大学公開シンポジウム「未だ生成されざる学知に向けて―生成AIの諸問題と可能性」に登壇したメンバーのうち4名(うち2名は南谷と山本哲也)の寄稿が決定し、8月に生成AIの特集が刊行されることが報告された。

🌟和泉悠

 和泉はオンラインにおける有害な言語表現についての研究を進めた。2024年3月に、言語処理学会30回年次大会において、「ホープスピーチ研究のための日本語データセット」を発表した。何らかの意味での希望的な表現に注目することにより、規制に頼ることなく、有害表現を抑制する可能性を探求した。 また、2024年5月、University of Hawaiʻi at Mānoaで開かれた、12th East-West Philosophers’ Conferenceでは、“Abusive Language in the Age of AI: Insights from the Japanese Linguistic and Cultural Context”というタイトルで研究発表を行った。比較言語学的な知見を通じて、今後増加することが見込まれるAIによって生成される有害な言語表現に関する課題を検討した。

🌟池田慎之介

 池田は主に以下の3点について報告を行った。まず,前年度に実施した研究によって得られた知見について,scientific reports誌へと投稿中である。1st roundの審査を経てMajor Revisionの判定を受け,現在その修正稿について2nd roundの審査を受けている状況である。次に,0歳児の乳児から小学生の児童まで幅広い年齢層を対象とした実験調査を実施する環境の構築が完了した。これにより,あらゆる発達段階の子どもを対象として様々なデータを取得することが可能となった。最後に,別途競争的研究資金を獲得し,VRを用いた実験を行うための環境を整えた。これにより,仮想現実・拡張現実空間における様々な行動実験が可能となった。

🌟宮澤和貴

 2024年6月に、2024年度人工知能学会全国大会において、「大規模言語モデルを基盤としたロボットの言語獲得に関する考察」というタイトルで発表を行った。この発表では、記号創発システム、大規模言語モデル、そしてロボットの身体の関係を踏まえて大規模言語モデルを利用したロボットの言語獲得について考察した。

 LLMの性格特性と対話相手の感情価を考慮した雑談対話システムのロボットへの実装を行った。このシステムでは、ロボットは音声とジェスチャーを用いてユーザーと雑談対話を行う。今後は、ジェスチャーのみでなく移動や物体の操作を含めた対話システムへと拡張することで、第3班のテーマである言語獲得と主体化プロセスを検証するロボットシステムとして活用できるようにする予定である。

 LLMの痛みに対する理解と影響を調査するために、痛みを伴う言葉として罵倒語をプロンプトに含めた際のLLMの出力の変化を検証した。今後はより自然な形で罵倒語を提示する方法や、モデル内部の解析を行うことを計画している。

2024.3.31 第4回全体集会 ハワイパネルセッション

 第2班では、5月にハワイ大学にて行われる東西哲学者会議と、8月にローマ大学で行われる国際哲学会議でのパネル発表が予定されています。今回のセッションでは、5月のハワイ大での発表内容のブラッシュアップのために、当日の発表と同じ順番で5人の先生方に構想を発表していただきました。この会議全体のテーマは「Trauma and Healing」です。

 中村靖子先生は「Pain and Latency」をテーマに、神経表象と痛み、時間的に表出される痛み、「破壊的可塑性」という3つのキーワードについてご紹介され、フロイトやマッハ、マラブーなどを引用しながら痛みとは何かについて考察を展開していただきました。

 和泉悠先生はAIの時代におけるオンライン上の有害な言語的コンテンツとその分析について、特に日本語に焦点を当てて、理論モデルの概略を示すことを目的としてお話しいただきました。現在SNSで使用されている有害なポストの検出のためのガイドライン作成には日本語のデータセットがほとんどないという問題点を指摘し、日本語特有かつインターネット特有のヘイトスピーチが存在するということを背景にRobin Jeshionのcomtenptの概念の代わりにdowngradingの概念を導入し、人間同士の序列関係で言葉を把握していく試みを示していただきました。

 岩崎陽一先生は、人間とAIの良好な関係性を探求する際に、ネットワーク中心主義を検討するために、仏教を手がかりとしてANT的な考え方を展開されました。具体的には、大乗仏教の中観派を中心とした苦の克服を実現する体系である仏教が、人間と非人間の関係性をANT的に理解する基盤となり得ることを指摘しました。また、先行研究としてFaure氏の見解を紹介し、多数のAIと多数の人間によるネットワークを中心に考えることで、より少ない苦を経験できる可能性があると示していただきました。

 立花幸司先生は、人間とAIの関係を4つのタイプに分けて説明され、そのなかでAIを搭載したロボットは人間のパートナーになりうるのか、愛をベースにした関係を築くことができるのかということについてお話しされました。愛の定義を考え、ロボットによる愛と人間による愛との違いを比較し、人間にはロボットにはないエゴや限界が存在するため、それを犠牲にして与えてくれるというところに人間の愛の独自性があるのではないかという結論を導き、さらにそれに対する感謝や誠実さを持つことで、相手となる人間は道徳性=徳を獲得できるのではないかという着地点を示していただきました。

 大平英樹先生には、脳の予測に基づいた処理というテーマに基づいてご自身の研究を総括し、予測の障害とされるトラウマに焦点を当て、他プロジェクトで行った検証も引用してお話しいただきました。トラウマや PTSD は、精神の恒常性が予測の障害によって崩れてしまった状態であると解釈し、それに身体反応の働きが大きく関わってくることを示し、人類史上で問題にされるトラウマになりうる現象をどう受容していくか考える際の視点を与えていただきました。さらに、AI は人間と同様にトラウマを持ちうるのかという疑問も提示していただき、今後の議論につながりそうな視点を得ることができました。

(文責:名古屋大学人文学研究科 修士課程1年 鈴木アキエ)

2024.3.30 第4回全体集会 「生成AIと主体化するノンヒューマン――人間のようなものと感情のようなもの」セッション

 AAAプロジェクト第4回研究集会 第1日目(2024/3/30)セッション2は、「生成AIと主体化するノンヒューマン――人間のようなものと感情のようなもの」と題して、人間とAI、ロボットの関わりについて4つの研究成果が発表された。

 研究発表に先立って、司会の南谷奉良氏(京都大)から、本セッションのタイトルとコンセプトについて、イントロダクションが行われた。2024年に公開されて大きな反響を呼んだ「音声会話型おしゃべりAIアプリ Cotomo」を紹介した南谷氏は、「人間のようなもの」が「感情のようなもの」を表出する現象がすでに起きていることを指摘し、ヒューマンとノンヒューマンの境界をめぐる認識が大きく揺らいでいる現状を示した。

 第1発表の鈴木麗璽氏(名古屋大)は「生成AIでエージェントモデルに言語を入れ込む」と題して、シンプルな仮定に基づくルールでモデル化を行うエージェントベースモデル(ABM)による生物や社会集団における相互作用や進化の研究に、LLMのもつ豊かな言語表現力を活用して、実世界の複雑さをモデル内に取り込む成果を報告した。鈴木氏は、第一の研究では、LLMから出力された多様な「性格特性遺伝子」を組み込んだLLMエージェントを作成することで、多様な性格特性が集団内で進化する過程を観察した。第二の研究では、個別の会話トピックをもつエージェントたちに「雑談」を行わせる文化進化モデルを構築した。平均化された無個性な出力を行うと思われがちなLLMであるが、多様な傾向をもつエージェントを創ることでLLMの真価を引き出すことができると、鈴木氏は述べた。また、本研究は見方を変えれば対話AIによる社会構築を予見している、という興味深い可能性が示唆された。

 第2発表では、高橋英之氏(大阪大)の指導のもとで研究を行う大道麻由氏から、「物語を共有するロボット」を題して、「居場所になってくれるロボット」の研究開発の成果報告があった。「居場所」を研究上のキーワードとする大道氏は、「日常的に自分の存在を肯定してくれる」存在がいることが「居場所」と感じられる空間の形成に大きく寄与すると考え、家電操作に連動して承認を与えてくれるスイッチロボットを開発した。さらに、人間のロボットへの関心を持続させるための「バックストーリー」をもつコミュニケーションロボットの開発成果も報告された。バックストーリーの生成にLLMを用いつつ、人間との会話による情報収集の結果を反映させるという手法を導入することで、LLMの創造性を高められると、大道氏は述べた。

 宮澤和貴氏(大阪大)による第3発表では、「言語を扱う人工知能・ロボット」と題して、人間のように言葉を扱うシステムを主体化させるという目標のもと、ロボットの言語獲得の研究成果が報告された。宮澤氏はまず生成AIの発展を概観し、LLMが視覚情報の処理・ロボットの制御などにも応用されており、「大規模言語・視覚・行動モデル」と呼べる現状を確認した。そこで宮澤氏は、「なぜ生成AIは言葉の意味を理解しているように振る舞えるのか」という問いを提起した。「理解」を「過去の経験(概念)を通した予測」と定義した宮澤氏は、機械学習モデルTransformerにおけるAttention機能により情報構造が階層化されることで、人間のマルチモーダルカテゴリゼーションによる概念形成と近い現象が起こっているとの仮説を提示した。また、現在の課題として、対話相手をポジティブに誘導する対話システム開発、およびLLMへの「悪口」が出力へと与える影響についても報告があった。

 第4発表では、日永田智絵氏(奈良先端大)が「感情モデルの開発――感情理解に向けた構成論的アプローチ」と題して、感情分化を再現する感情の計算モデル研究の提案を行った。感情・情動は生物学的過程によって生成されるとする心理学的構成主義の立場をとる日永田氏は、身体の外部からの感覚(外受容感覚)と身体内部からの感覚(内受容感覚)に基づく感情の生成をモデル化し、子どもエージェントモデルに対して養育者から表情のミラーリングを行うことよって、感情分化が見られたことを報告した。ロボットに感情を実装する研究の目的として、日永田氏は、感情を理解することでロボットが人間に「主観的な共感」を行えることが挙げられるとした。

 最後に、コメンテーターの伊東剛史氏(東京外大)から全発表の振り返りが行われた。伊東氏は、「ヒューマン/ノンヒューマン」の対立がヒューマンと見做されない要素を他者化するために機能する差異化・差別化のための表象的カテゴリーである点を指摘し、アニマル・スタディーズにおいてhumanとnon-humanを包括する上位概念としてanimalが提起されたように、ヒト・ロボット・人工知能を包括する概念はありうるか、と問いかけた。また、ノンヒューマンを主体化させるという過程において、ヒューマンがかえって主体化し、ノンヒューマンの主体性を制御しようとするという矛盾を指摘した。また、主客二元論を批判する人文学の場と、主客の分離を当然視する技術的実践の場との対話には大きな意義を見出せるとした。伊東氏の指摘を受けて、南谷氏・中村靖子氏は、「主体化」そのものを問い直すことが本プロジェクトの目的であり、今後の研究課題であると述べた。

 発表後の全体討論では活発な議論が交わされた。議論の締めくくりとして、南谷氏は、自然科学と人文学における基本的認識・用語の食い違いによって齟齬が発生していることを指摘し、両者の継続的な対話の重要性を強調した。

 文責:平井尚生(京都大学文学研究科博士後期課程2年)

2024.3.14-15 国際シンポジウム「Anthropocene Calling: Human, Philosophy, Technology and Arts in the Age of Anthropocene」

 2024年3月14日から15日にかけて、イタリアのローマ大学トル・ヴェルガータ校にて、国際会議「Anthropocene Calling: Human, Philosophy, Technology and Arts in the Age of Anthropocene」が開催された。「地球に対する人間の不可逆的な影響力が無視できなくなった時代」を意味する「人新世」の問題に取り組むためには、必然的に分野間の垣根を超えた学際的な研究が求められる。このシンポジウムは、タイトルの通り、「人新世」という巨大な問題系を多面的な観点から検討する場として設けられ、議論の俎上に載せられた主題は自然、技術、言語文化、芸術と多岐にわたった。AAAグループ第5班とローマ大学トル・ヴェルガータ校を中心とする研究者たちが参加したこのイベントは、「人新世」というテーマにおいても、日本とイタリアの研究協力が意義深いものであることを示すものであった。

 シンポジウムの各セッションに先駆けて、ローマ大学トル・ヴェルガータ校の人文学部学科長ロレンツォ・ペリッリ教授から歓迎の辞が述べられ、続いて日伊両国の研究代表者であるジュゼッペ・パテッラ教授と中村靖子教授から開会の挨拶が行われた。本シンポジウムの導入となった両名の挨拶において、この会議の問題意識と趣旨が説明され、「人新世」について学術的に取り組むことの意義と目的が共有された。

 以下では、それぞれのセッションを逐一たどるのではなく、筆者が便宜的に腑分けした三つの論点から、本シンポジウムの概要を再構成し、報告することとしたい。各セッションの発表内容とその後の質疑応答で交わされた議論は、きわめて広範囲なトピックに及び、濃密な展開を示したために、下記の要約から漏れてしまう事項が多々あったことあらかじめ断っておく。シンポジウムの参加者については、報告文末尾にリストを付しておく。(各登壇者の氏名は敬称略とする)

 「人新世(anthropocen)」という言葉は、「人間の(anthropo-)」という接頭辞から構成されている。すなわち、人間という地球の歴史から見ればちっぽけな存在が、地質学的レベルで看過できない影響力をもつファクターとして存在感を増してきたという認識が、「人新世」には含まれている。セッション1におけるジュゼッペ・パテッラの発表は、M.ハイデガーの「世界像の時代」を下敷きに、主体と客体とが決定的に分離していく近代的な認識の問題点を確認しつつ、人間中心主義の乗り越えを目指す「人新世」の可能性を現代の幅広い思想的潮流を手がかりに示した。ここで指摘された「人新世」が含意する普遍主義(universalism)の問題性については、セッション3のヴィンツェンツォ・クオーモの発表においてさらに深く論究された。クオーモは、人新世にまつわる実験的活動について、政治的アクティヴィストの路線と共生的スペクトル(Symbiotec-spectral)の路線の二種類に分類したうえで、ミシェル・セールの哲学に触発された「寄生(parasite)」の概念に着目した。「人新世」を思弁的に論じる現代の潮流に触発されたこれらの発表は、研究領域を横断する本シンポジウムの土台となるものであった。

 他方で、「人間」概念の問い直しは、われわれの心理的、認知的、環境的条件を明らかにする研究によって議論が深化された。セッション1の中村靖子と大平英樹、セッション2のフランチェスコ・カンパニョーラによる発表は、こうした問題意識を共有していたと言える。人間特有の感情表現、とりわけ文学におけるそれを、機械学習によるデータ分析を用いて解析した中村の発表は、文学表現とその翻訳における感情の分布を数値的なモデルを通して可視化した。感情を人間に専有された神秘から解放し、データの連なりとして読み解く分析手法は、次の時代の「人文学」――人間についての学――のあり方の一つを指し示している。大平は、人間の心理的機能の根幹に予測的プロセスが介在するというテーゼを、豊富な資料によって説得的に論証した。認知機能の盲点をつく錯視などの事例は、人の意識がいかにすでに獲得された知識や習慣によって構造化されているのかを示している。ところで、人はまた彼らを取り巻く環境にも依存しながら自己を形作っていく。カンパニョーラの発表は、まず聖ヒエロニムスや聖アントニウスなど西洋の文化圏に広がる「荒野の心性」へと言及しつつ、その後すぐさま踵を返して、和辻哲郎の風土論、花田清輝の砂漠論といった日本の文芸批評へと視野を広げていった。人間の意識やものの見方が、それ自体で存在するのではなく、外部や内部――ここでいう「内部」は、主体によって飼いならされた馴染み深いものではなく、無意識のような他者として現われてくる内部である――との相互作用のなかで生まれ、涵養されていくという認識は、「人新世」というテーマと共鳴しないながら、シンポジウムの通奏低音のように響いていた。

 人新世は、人間が歴史的に肥大化させてきたテクロノジーの暴力がその誘因の一つになっていることから、理論的、実践的、双方の観点からの技術論の検討を割けて通ることはできない。発表者のなかでも、とくに壮大な技術文化論を展開したのは、セッション5のロベルト・テッロージであろう。彼は、大胆にも、「人新世(anthropocene)」ではなく、「技術新世(technocene)」なる語の採用を提案する。人類の歴史を決定づけたのは、人間の文化活動というよりは、むしろあらゆるエネルギーの流れを最適化し、コントロールしてきた「テクロノジー」の運動それ自体にある。近年のヴァーチャルリアリティの利用可能性を臨床カウンセラーの立場から報告した山本哲也の発表は、現代社会がテッロージの構想する「技術新世」論に接近しつつあることを告げている。実物の人間の身体をスキャンすることで作成したヴァーチャルなアバターを心理カウンセリングに応用する試みは、機械と生命体の境界線が融解した世界がすでに現実となりつつあることを物語っているのであろうか。

 とはいえ、そうした技術の進歩を野放しにしておけば、社会のいたるところで種々の混乱を招くことは目に見えている。最先端のテクロノジーに対して反射的に寄せられる感情的な拒絶になびくことは、新たな文化の創出を阻害する不毛な反動のそしりを免れないが、かといって安易な技術信奉論にもそれなりのリスクが伴うものである。セッション4のマリオ・ヴェルディッキオの発表は、新興の技術に不可避につきまとう「社会技術的盲点(sociotechnical blindness)」を人新世にも当てはめ、新時代の到来をセンセーショナルに喧伝するスローガンに潜む社会実践的な陥穽を指摘した。また、セッション5に登壇した報告者(二宮)の発表も、ドイツの美術史家アビ・ヴァールブルクの思索に即しつつ、人間が作り上げてきた文化からあらゆる熟慮の余地を簒奪していく技術の暴走を批判的に検討するものであった。ヴァールブルクの技術文明批判の背景には、ネイティヴ・アメリカンの神話的思考に対する民族誌的・図像論的な読み直しがあったが、テクロノジーが破壊したのはまさにそこに息づいていた世界の意味を掴み取るための「思考の空間」である。技術と人間のあいだの緊張状態を解きほぐし、その両者の関係をどのようにとらえなすのかという問題は、「人新世」の時代の喫緊の学術的課題である。

 人新世は、地球規模での環境破壊・環境汚染への危機意識にもとづいている。1950年代以降、大量生産・大量消費、核燃料の開発、生態系の破壊などが進展するにつれて、惑星の滅亡につながる最悪のシナリオを避けるための最低限の倫理の必要性が、専門家やアクティヴィストによってたびたび唱えられてきた。時代の流れに人一倍敏感な芸術家たちは、科学者や政治家とは別のかたちで、地球環境やエコロジーの問題系を自分たちの取り組むべき対象として見出してきた。池野絢子は、20世紀美術における「呼吸」や「空気」というテーマについて発表された。とりわけ60年代に活動した、ジュゼッペ・ペノーネと三上晴子の二人を取り上げて、かたやイタリア、かたや日本を中心に作品を発表してきた両芸術家が「空気」にいかなる意味を見出したのかが豊富な作例とともに示された。日本の写真家畠山直哉の写真シリーズを「人新世」の時代の風景として読み解く武田宙也の発表も、やはり地球環境を普段とは違った視点から切り取る芸術家の感性に肉薄していくものであった。畠山作品のなかに結晶化したイメージは、奇妙な仕方で交錯する自然と文化の接触と葛藤を描いている。

 われわれを取り囲んでいる自然を表象する芸術といえば、ながらく風景画というジャンルが西洋文化で重要な役割を果たしてきた。イギリスの風景画家ジョン・コンスタブルの代表作《乾草の車》に対するアクティヴィストの抗議運動から出発したパオロ・ダンジェロの発表は、「風景(landscape)」という語の持つ否定的なコノテーションへの批判を紹介しながら、それに「環境(envrionmental)」が対置されてきた経緯をイタリアの文脈に即して説明した。しかしながら、文明の美意識が内面化された「風景」をより現実の自然に近い「環境」に置き換えればよいというほど事態は単純ではなく、ダンジェロは20世紀の風景美学者ロザリオ・アッスントの先駆的な仕事にうながされつつ、風景と環境の二項対立を脱却する方向性を示した。続く岡田温司の発表は、さらに時代を遡り、19世紀から20世紀初頭の著述家のなかにエコロジー思想の一端を探求するものであった。アレクサンダー・フォン・フンボルト、エルンスト・ヘッケル、エリゼ・ルクリュという三名のテクストと実践は、かたちは異なれ、それぞれの仕方でエコロジカルな美学の萌芽を提示している。植民地主義と裏腹に、フンボルトを惹きつけたエキゾチックな風景画、ヘッケルの独自の自然哲学にもとづく、見るも美しい生物のイラスト、ルクリュの構想した「ブルー・マーブル」(1972年にアポロ17号から撮影された青い地球のイメージ)をも思わせる巨大なジオラマ装置。19世紀の思想家たちの脳裏に渦巻いていた地球という惑星のイメージは、文化史的に興味深いだけでなく、今日求められる新たなコスモロジーを模索するうえでも示唆に富んだものである。

 今回の国際会議では、AAAグループ第5班の研究者が中心となって組織したこともあり、人文学における「人新世」のインパクトについて論究されることが多かった。さらに、芸術や技術を含めた文化史を「人新世」という観点から検討する機会を得ることができた。総じて言えば、「人新世」というキータームが多様な研究領域をつなぐ結節点として作用し、新たな知的探求を促すものであることを確認できたことが大きな収穫のひとつであったと言えるだろう。

 国際シンポジウムとは別に、今回のイタリア会議の合間をぬって、ロベルト・エスポジト氏との面会も実現することができた。第5班の主要トピックである「生政治」は、彼の哲学的仕事が一つの着想源となっている。かつてエスポジト氏が所長を勤めていた、ナポリにある「イタリア哲学研究所(Istituto Italiano per gli Studi Filosofici)」の歴史ある建物を案内してもらい、その後、氏のご自宅で小一時間ほど歓談し、近くのレストランで昼食をともにした。「コムニタス(ともに生きること)」の思想家ならではの、溢れるほどの歓待の精神をもった優しい人柄を、その一挙手一投足から感じ取ることができた。今後、エスポジト氏とのさらなる研究協力が期待される。

 今後の展望としては、今回のシンポジウムで深めることのできた「人新世」についての知見を、AAAプロジェクトの他の研究班にフィードバックしていく必要があるだろう。今回の国際会議は、参加者の都合上、人文学の立場から「人新世」について議論することが多かったが、自然科学や社会科学の幅広い視野を交えることで、学際的な研究プロジェクトの強みを発揮することができる。科学的な分析概念、社会実践の指針となる標語、創造的な芸術的活動の原動力など、多様なレイヤーをもつ「人新世」に、学術的な深みを与え、より広範な議論へと拡張していくためにも、今回のシンポジウムはきわめて貴重な足がかりとなった。今後、研究プロジェクトでは、本会議をもとにした論集の出版を予定しており、これを機にさらなる研究の発展が期待できる。

🌟【シンポジウム 参加者リスト】

-Yasuko NAKAMURA, Professor, Nagoya University

-Giuseppe PATELLA, Associate professor, University of Rome Tor Vergata

-Hideki OHIRA, Professor, Nagoya University

– Francesco CAMPAGNOLA, Principal Investigator, University of Lisbon

– Hironari TAKEDA, Associate professor, Kyoto University

– Paolo D’ANGELO, Professor, University of Rome Tre,

– Atsushi OKADA, Professor, Kyoto Seika University,

– Vincenzo CUOMO, Director, Review “Kaiak”

– Mario VERDICCHIO, Researcher, University of Bergamo

– Tetsuya YAMAMOTO, Associate professor, Tokushima University

– Roberto TERROSI, Researcher, University of Rome Tor Vergata

– Ayako IKENO, Associate professor, Aoyama Gakuin University

– Nozomu NINOMIYA, PhD candidate, Kyoto University

(文責:京都大学大学院人間・環境学研究科二宮望)

2024.3.31 第4回全体集会 セクシュアリティの多様性班セッション

 鳥山先生は、「言語のジェンダーと作家のセクシュアリティの関係性」について、文法上の性・脚韻の性・詩のリズムとジェンダーおよびセクシュアリティという3つの観点からご報告されました。文法上の性については、「夜」は多くの言語や神話で女性と結びついている一方、「月」は言語・神話間で性のゆらぎがあるとのことでした。脚韻の性については、男性韻と女性韻に関する言説は歴史的に変遷しており、16世紀では男性優位・女性蔑視であったのに対し、18世紀では両者のバランスをとろうとする傾向が出てきたとのことでした。詩のリズムとジェンダーおよびセクシュアリティについては、従来忌避されてきた11音節詩句を用いて詩作した詩人の系譜をたどり、それぞれの詩人の詩について詳しくご解説されました。最後には、文学・絵画における「両性具有」のテーマにも触れられました。

 ボーヴィウ・マリ=ノエル先生は、「簡潔さのレトリックと女性差別」について、主に明治時代の日本のアフォリズムに焦点を当ててご報告されました。中江兆民・幸徳秋水・森鴎外といった明治の文学者が編纂した格言集の原本を調査し、西洋の「misogyny (女性嫌い)」に関するアフォリズムが日本でどのように受容され、どのように政治とかかわってきたのかということをお話しされました。明治時代には主に「金言」と訳されていたアフォリズムですが、大正時代になると「警句」と訳されることが一般的になり、アフォリズムの役割が教養的なものから読者を面白がらせるものへと変わっていったとのことでした。

 立木康介先生は、現代社会が抱える「対象のモノ化、モノの対象化」という問題について、何人かの文学者や哲学者の言説を手がかりに論じられました。プルーストが作品で描いている「近さのなかの遠さ」という主題は、ハイデガー哲学における「物理的な近さは心理的な近しさをもたらさない」という認識と通底しており、現代社会のさまざまなメディアは「他者」(対象)との距離は縮めるが「近しさ」はもたらさないという点で、「対象のモノ化」を引き起こしているとのことでした。この「対象のモノ化」という現象を追求した人物として、ドゥボール、デュアメル、アガンベンにも言及されました。また、ゴミ屋敷問題に典型的に見られるように、近しい「他者」の喪失が「モノ」にとってかわられる「モノの対象化」も現代社会の病理だと指摘されました。

 坂口菊恵先生は、「トップダウン/ボトムアップで見るセクシュアリティとジェンダー」という題で、とくに自閉スペクトラム症に焦点を当ててご発表されました。従来は主に男性ホルモンの過多という「超男性脳仮説」によって説明されてきた自閉スペクトラム症ですが、「自由エネルギー理論」を導入することで、自閉スペクトラム症の人の脳のはたらきとトランスジェンダーや統合失調症の人の脳のはたらきに共通項を見出せるなど、より多くのことが説明可能になるとのことでした。また、創造性と神経発達症・精神疾患・性自認のゆらぎとの遺伝的なかかわりについて、親が従事する創造的な分野によって子供の得意な分野の偏りがあるのかということを今後は調査されるとのことでした。

 発表後の討論では、「文学者が天才的な作品を書いた理由は脳の発達特性によって説明できるか」「男女の身体性の違いは言語における性の分割に反映しているのか」といった議題について、活発な議論が交わされました。

(文責:京都大学文学研究科 博士課程2年 楠元淳平)

2024.3.31 第4回全体集会 理論班セッション

 金信行先生は現在までの研究成果として、H. ミアレの論文『ホーキング Inc.』(2014)を基に、科学技術社会論(Science, technology and society, STS)におけるアクターネットワーク理論(Actor-network-theory, ANT)の役割について提案されました。金先生は、知識生産におけるAI技術と人間の関係を考察する上で、人間・非人間を含めた声なきアクターを、知識生産のネットワークを構成するものとして捉え直す枠組みとしてANTの重要性を指摘しています。また今後の目標として、ブロックチェーンとそれを基盤とするNFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)が、デジタルアートにもたらす影響についてELSI(Ethical, Legal and Social Issues: 倫理的・法的・社会的課題)の観点から研究するという展望を示されました。

 討論ではアクターネットワーク理論による記述の限界が指摘され、それをいかにして乗り越えるべきかが議題となりました。

 田村哲樹先生は、「「方法論的国家主義」なき熟議的民主主義のために」というタイトルで、従来の熟議システム論についての批判的な考察を発表されました。熟議民主主義の現実的な制度化を検討する上で、これまで熟議システム論の立場からはフォーラム中心的な熟議民主主義の捉え方が批判されてきました。田村先生はこうした批判の意義と射程を確認した上で、そこでもなお国家や政府を中心とした民主主義観が前提とされていることが指摘され、そうした方法論的国家主義を乗り越えるために、従来の「マクローミクロ」図式によらない、「同時並行的」に作動する複数の熟議システムという、修正された熟議システム論を提案されました。

 討論では、熟議システムの構成単位について疑問が投げかけられ、いかにして熟議システム論においてシステムの境界線を規定するのかについて議論がなされました。

 大平徹先生・大平健太先生は、手に乗せた棒のバランスを取る課題や、目を閉じた状態で身体を直立に保つという課題において、身体に一定のリズムを持った刺激を与えることが課題の実行を容易にする場合があることを示した実験を紹介し、生物にとって自己フィードバックの遅れが持つ積極的な意義を考察されました。また、複数の振動による遅れの相互作用が個々の振動よりも遥かに大きな振動を生み出す現象を数学的に記述する試みとして、解を持たないとされる従来の遅れ微分方程式に対し、解を持つ、あるいは高い精度で解を推定できる新たな遅れ微分方程式を提案されました。

 討論では、ノイズとなる刺激を与えることがクローズドなフィードバックループ(鋭敏性)を緩める働きを持つという点に関心が集まりました。

 鄭弯弯先生は、「文学作品の感情分析の予備実験」と題し、既存の言語モデルが文学作品の感情分析に適応可能かを検討した研究を紹介されました。『グリム童話』「七羽のカラス」の日本語テクストについて、複数の言語モデルを用いて文ごとのセンチメントスコアを算出し、それぞれのモデルによって算出されたスコアを、テクストから読み取れる感情の変化、及び各文のベクトルと比較し、それぞれの言語モデルの特徴や欠点を指摘するとともに、文学作品の感情分析に適した新たな言語モデル構築を構築する必要性やそれに向けての課題を示されました。

 これに対しオーディエンスからは、テクストの感情分析において「感情」とはだれの感情なのかという疑問が寄せられ白熱した議論が交わされました。

 平田周先生は、この研究会の理論的柱となっている、ブルデューとラトゥールの2つの社会学的立場をどのように調停するべきかという問題について報告されました。平田先生は個人の行為に先立つ知覚や評価の図式が社会環境によって形成されると主張するブルデューの「社会的なものの社会学」と、人間と非人間のアクターの「集合体」の記述によって社会を捉えようとするラトゥールの「連関の社会学」を比較して両者の争点をまとめ、両者の議論を接続する必要性があることを示し、その接続のための条件についての考察を発表されました。

(文責:大阪大学 人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)