2024.3.31 第4回全体集会 ハワイパネルセッション

 第2班では、5月にハワイ大学にて行われる東西哲学者会議と、8月にローマ大学で行われる国際哲学会議でのパネル発表が予定されています。今回のセッションでは、5月のハワイ大での発表内容のブラッシュアップのために、当日の発表と同じ順番で5人の先生方に構想を発表していただきました。この会議全体のテーマは「Trauma and Healing」です。

 中村靖子先生は「Pain and Latency」をテーマに、神経表象と痛み、時間的に表出される痛み、「破壊的可塑性」という3つのキーワードについてご紹介され、フロイトやマッハ、マラブーなどを引用しながら痛みとは何かについて考察を展開していただきました。

 和泉悠先生はAIの時代におけるオンライン上の有害な言語的コンテンツとその分析について、特に日本語に焦点を当てて、理論モデルの概略を示すことを目的としてお話しいただきました。現在SNSで使用されている有害なポストの検出のためのガイドライン作成には日本語のデータセットがほとんどないという問題点を指摘し、日本語特有かつインターネット特有のヘイトスピーチが存在するということを背景にRobin Jeshionのcomtenptの概念の代わりにdowngradingの概念を導入し、人間同士の序列関係で言葉を把握していく試みを示していただきました。

 岩崎陽一先生は、人間とAIの良好な関係性を探求する際に、ネットワーク中心主義を検討するために、仏教を手がかりとしてANT的な考え方を展開されました。具体的には、大乗仏教の中観派を中心とした苦の克服を実現する体系である仏教が、人間と非人間の関係性をANT的に理解する基盤となり得ることを指摘しました。また、先行研究としてFaure氏の見解を紹介し、多数のAIと多数の人間によるネットワークを中心に考えることで、より少ない苦を経験できる可能性があると示していただきました。

 立花幸司先生は、人間とAIの関係を4つのタイプに分けて説明され、そのなかでAIを搭載したロボットは人間のパートナーになりうるのか、愛をベースにした関係を築くことができるのかということについてお話しされました。愛の定義を考え、ロボットによる愛と人間による愛との違いを比較し、人間にはロボットにはないエゴや限界が存在するため、それを犠牲にして与えてくれるというところに人間の愛の独自性があるのではないかという結論を導き、さらにそれに対する感謝や誠実さを持つことで、相手となる人間は道徳性=徳を獲得できるのではないかという着地点を示していただきました。

 大平英樹先生には、脳の予測に基づいた処理というテーマに基づいてご自身の研究を総括し、予測の障害とされるトラウマに焦点を当て、他プロジェクトで行った検証も引用してお話しいただきました。トラウマや PTSD は、精神の恒常性が予測の障害によって崩れてしまった状態であると解釈し、それに身体反応の働きが大きく関わってくることを示し、人類史上で問題にされるトラウマになりうる現象をどう受容していくか考える際の視点を与えていただきました。さらに、AI は人間と同様にトラウマを持ちうるのかという疑問も提示していただき、今後の議論につながりそうな視点を得ることができました。

(文責:名古屋大学人文学研究科 修士課程1年 鈴木アキエ)

2024.3.30 第4回全体集会 「生成AIと主体化するノンヒューマン――人間のようなものと感情のようなもの」セッション

 AAAプロジェクト第4回研究集会 第1日目(2024/3/30)セッション2は、「生成AIと主体化するノンヒューマン――人間のようなものと感情のようなもの」と題して、人間とAI、ロボットの関わりについて4つの研究成果が発表された。

 研究発表に先立って、司会の南谷奉良氏(京都大)から、本セッションのタイトルとコンセプトについて、イントロダクションが行われた。2024年に公開されて大きな反響を呼んだ「音声会話型おしゃべりAIアプリ Cotomo」を紹介した南谷氏は、「人間のようなもの」が「感情のようなもの」を表出する現象がすでに起きていることを指摘し、ヒューマンとノンヒューマンの境界をめぐる認識が大きく揺らいでいる現状を示した。

 第1発表の鈴木麗璽氏(名古屋大)は「生成AIでエージェントモデルに言語を入れ込む」と題して、シンプルな仮定に基づくルールでモデル化を行うエージェントベースモデル(ABM)による生物や社会集団における相互作用や進化の研究に、LLMのもつ豊かな言語表現力を活用して、実世界の複雑さをモデル内に取り込む成果を報告した。鈴木氏は、第一の研究では、LLMから出力された多様な「性格特性遺伝子」を組み込んだLLMエージェントを作成することで、多様な性格特性が集団内で進化する過程を観察した。第二の研究では、個別の会話トピックをもつエージェントたちに「雑談」を行わせる文化進化モデルを構築した。平均化された無個性な出力を行うと思われがちなLLMであるが、多様な傾向をもつエージェントを創ることでLLMの真価を引き出すことができると、鈴木氏は述べた。また、本研究は見方を変えれば対話AIによる社会構築を予見している、という興味深い可能性が示唆された。

 第2発表では、高橋英之氏(大阪大)の指導のもとで研究を行う大道麻由氏から、「物語を共有するロボット」を題して、「居場所になってくれるロボット」の研究開発の成果報告があった。「居場所」を研究上のキーワードとする大道氏は、「日常的に自分の存在を肯定してくれる」存在がいることが「居場所」と感じられる空間の形成に大きく寄与すると考え、家電操作に連動して承認を与えてくれるスイッチロボットを開発した。さらに、人間のロボットへの関心を持続させるための「バックストーリー」をもつコミュニケーションロボットの開発成果も報告された。バックストーリーの生成にLLMを用いつつ、人間との会話による情報収集の結果を反映させるという手法を導入することで、LLMの創造性を高められると、大道氏は述べた。

 宮澤和貴氏(大阪大)による第3発表では、「言語を扱う人工知能・ロボット」と題して、人間のように言葉を扱うシステムを主体化させるという目標のもと、ロボットの言語獲得の研究成果が報告された。宮澤氏はまず生成AIの発展を概観し、LLMが視覚情報の処理・ロボットの制御などにも応用されており、「大規模言語・視覚・行動モデル」と呼べる現状を確認した。そこで宮澤氏は、「なぜ生成AIは言葉の意味を理解しているように振る舞えるのか」という問いを提起した。「理解」を「過去の経験(概念)を通した予測」と定義した宮澤氏は、機械学習モデルTransformerにおけるAttention機能により情報構造が階層化されることで、人間のマルチモーダルカテゴリゼーションによる概念形成と近い現象が起こっているとの仮説を提示した。また、現在の課題として、対話相手をポジティブに誘導する対話システム開発、およびLLMへの「悪口」が出力へと与える影響についても報告があった。

 第4発表では、日永田智絵氏(奈良先端大)が「感情モデルの開発――感情理解に向けた構成論的アプローチ」と題して、感情分化を再現する感情の計算モデル研究の提案を行った。感情・情動は生物学的過程によって生成されるとする心理学的構成主義の立場をとる日永田氏は、身体の外部からの感覚(外受容感覚)と身体内部からの感覚(内受容感覚)に基づく感情の生成をモデル化し、子どもエージェントモデルに対して養育者から表情のミラーリングを行うことよって、感情分化が見られたことを報告した。ロボットに感情を実装する研究の目的として、日永田氏は、感情を理解することでロボットが人間に「主観的な共感」を行えることが挙げられるとした。

 最後に、コメンテーターの伊東剛史氏(東京外大)から全発表の振り返りが行われた。伊東氏は、「ヒューマン/ノンヒューマン」の対立がヒューマンと見做されない要素を他者化するために機能する差異化・差別化のための表象的カテゴリーである点を指摘し、アニマル・スタディーズにおいてhumanとnon-humanを包括する上位概念としてanimalが提起されたように、ヒト・ロボット・人工知能を包括する概念はありうるか、と問いかけた。また、ノンヒューマンを主体化させるという過程において、ヒューマンがかえって主体化し、ノンヒューマンの主体性を制御しようとするという矛盾を指摘した。また、主客二元論を批判する人文学の場と、主客の分離を当然視する技術的実践の場との対話には大きな意義を見出せるとした。伊東氏の指摘を受けて、南谷氏・中村靖子氏は、「主体化」そのものを問い直すことが本プロジェクトの目的であり、今後の研究課題であると述べた。

 発表後の全体討論では活発な議論が交わされた。議論の締めくくりとして、南谷氏は、自然科学と人文学における基本的認識・用語の食い違いによって齟齬が発生していることを指摘し、両者の継続的な対話の重要性を強調した。

 文責:平井尚生(京都大学文学研究科博士後期課程2年)

2024.3.14-15 国際シンポジウム「Anthropocene Calling: Human, Philosophy, Technology and Arts in the Age of Anthropocene」

 2024年3月14日から15日にかけて、イタリアのローマ大学トル・ヴェルガータ校にて、国際会議「Anthropocene Calling: Human, Philosophy, Technology and Arts in the Age of Anthropocene」が開催された。「地球に対する人間の不可逆的な影響力が無視できなくなった時代」を意味する「人新世」の問題に取り組むためには、必然的に分野間の垣根を超えた学際的な研究が求められる。このシンポジウムは、タイトルの通り、「人新世」という巨大な問題系を多面的な観点から検討する場として設けられ、議論の俎上に載せられた主題は自然、技術、言語文化、芸術と多岐にわたった。AAAグループ第5班とローマ大学トル・ヴェルガータ校を中心とする研究者たちが参加したこのイベントは、「人新世」というテーマにおいても、日本とイタリアの研究協力が意義深いものであることを示すものであった。

 シンポジウムの各セッションに先駆けて、ローマ大学トル・ヴェルガータ校の人文学部学科長ロレンツォ・ペリッリ教授から歓迎の辞が述べられ、続いて日伊両国の研究代表者であるジュゼッペ・パテッラ教授と中村靖子教授から開会の挨拶が行われた。本シンポジウムの導入となった両名の挨拶において、この会議の問題意識と趣旨が説明され、「人新世」について学術的に取り組むことの意義と目的が共有された。

 以下では、それぞれのセッションを逐一たどるのではなく、筆者が便宜的に腑分けした三つの論点から、本シンポジウムの概要を再構成し、報告することとしたい。各セッションの発表内容とその後の質疑応答で交わされた議論は、きわめて広範囲なトピックに及び、濃密な展開を示したために、下記の要約から漏れてしまう事項が多々あったことあらかじめ断っておく。シンポジウムの参加者については、報告文末尾にリストを付しておく。(各登壇者の氏名は敬称略とする)

 「人新世(anthropocen)」という言葉は、「人間の(anthropo-)」という接頭辞から構成されている。すなわち、人間という地球の歴史から見ればちっぽけな存在が、地質学的レベルで看過できない影響力をもつファクターとして存在感を増してきたという認識が、「人新世」には含まれている。セッション1におけるジュゼッペ・パテッラの発表は、M.ハイデガーの「世界像の時代」を下敷きに、主体と客体とが決定的に分離していく近代的な認識の問題点を確認しつつ、人間中心主義の乗り越えを目指す「人新世」の可能性を現代の幅広い思想的潮流を手がかりに示した。ここで指摘された「人新世」が含意する普遍主義(universalism)の問題性については、セッション3のヴィンツェンツォ・クオーモの発表においてさらに深く論究された。クオーモは、人新世にまつわる実験的活動について、政治的アクティヴィストの路線と共生的スペクトル(Symbiotec-spectral)の路線の二種類に分類したうえで、ミシェル・セールの哲学に触発された「寄生(parasite)」の概念に着目した。「人新世」を思弁的に論じる現代の潮流に触発されたこれらの発表は、研究領域を横断する本シンポジウムの土台となるものであった。

 他方で、「人間」概念の問い直しは、われわれの心理的、認知的、環境的条件を明らかにする研究によって議論が深化された。セッション1の中村靖子と大平英樹、セッション2のフランチェスコ・カンパニョーラによる発表は、こうした問題意識を共有していたと言える。人間特有の感情表現、とりわけ文学におけるそれを、機械学習によるデータ分析を用いて解析した中村の発表は、文学表現とその翻訳における感情の分布を数値的なモデルを通して可視化した。感情を人間に専有された神秘から解放し、データの連なりとして読み解く分析手法は、次の時代の「人文学」――人間についての学――のあり方の一つを指し示している。大平は、人間の心理的機能の根幹に予測的プロセスが介在するというテーゼを、豊富な資料によって説得的に論証した。認知機能の盲点をつく錯視などの事例は、人の意識がいかにすでに獲得された知識や習慣によって構造化されているのかを示している。ところで、人はまた彼らを取り巻く環境にも依存しながら自己を形作っていく。カンパニョーラの発表は、まず聖ヒエロニムスや聖アントニウスなど西洋の文化圏に広がる「荒野の心性」へと言及しつつ、その後すぐさま踵を返して、和辻哲郎の風土論、花田清輝の砂漠論といった日本の文芸批評へと視野を広げていった。人間の意識やものの見方が、それ自体で存在するのではなく、外部や内部――ここでいう「内部」は、主体によって飼いならされた馴染み深いものではなく、無意識のような他者として現われてくる内部である――との相互作用のなかで生まれ、涵養されていくという認識は、「人新世」というテーマと共鳴しないながら、シンポジウムの通奏低音のように響いていた。

 人新世は、人間が歴史的に肥大化させてきたテクロノジーの暴力がその誘因の一つになっていることから、理論的、実践的、双方の観点からの技術論の検討を割けて通ることはできない。発表者のなかでも、とくに壮大な技術文化論を展開したのは、セッション5のロベルト・テッロージであろう。彼は、大胆にも、「人新世(anthropocene)」ではなく、「技術新世(technocene)」なる語の採用を提案する。人類の歴史を決定づけたのは、人間の文化活動というよりは、むしろあらゆるエネルギーの流れを最適化し、コントロールしてきた「テクロノジー」の運動それ自体にある。近年のヴァーチャルリアリティの利用可能性を臨床カウンセラーの立場から報告した山本哲也の発表は、現代社会がテッロージの構想する「技術新世」論に接近しつつあることを告げている。実物の人間の身体をスキャンすることで作成したヴァーチャルなアバターを心理カウンセリングに応用する試みは、機械と生命体の境界線が融解した世界がすでに現実となりつつあることを物語っているのであろうか。

 とはいえ、そうした技術の進歩を野放しにしておけば、社会のいたるところで種々の混乱を招くことは目に見えている。最先端のテクロノジーに対して反射的に寄せられる感情的な拒絶になびくことは、新たな文化の創出を阻害する不毛な反動のそしりを免れないが、かといって安易な技術信奉論にもそれなりのリスクが伴うものである。セッション4のマリオ・ヴェルディッキオの発表は、新興の技術に不可避につきまとう「社会技術的盲点(sociotechnical blindness)」を人新世にも当てはめ、新時代の到来をセンセーショナルに喧伝するスローガンに潜む社会実践的な陥穽を指摘した。また、セッション5に登壇した報告者(二宮)の発表も、ドイツの美術史家アビ・ヴァールブルクの思索に即しつつ、人間が作り上げてきた文化からあらゆる熟慮の余地を簒奪していく技術の暴走を批判的に検討するものであった。ヴァールブルクの技術文明批判の背景には、ネイティヴ・アメリカンの神話的思考に対する民族誌的・図像論的な読み直しがあったが、テクロノジーが破壊したのはまさにそこに息づいていた世界の意味を掴み取るための「思考の空間」である。技術と人間のあいだの緊張状態を解きほぐし、その両者の関係をどのようにとらえなすのかという問題は、「人新世」の時代の喫緊の学術的課題である。

 人新世は、地球規模での環境破壊・環境汚染への危機意識にもとづいている。1950年代以降、大量生産・大量消費、核燃料の開発、生態系の破壊などが進展するにつれて、惑星の滅亡につながる最悪のシナリオを避けるための最低限の倫理の必要性が、専門家やアクティヴィストによってたびたび唱えられてきた。時代の流れに人一倍敏感な芸術家たちは、科学者や政治家とは別のかたちで、地球環境やエコロジーの問題系を自分たちの取り組むべき対象として見出してきた。池野絢子は、20世紀美術における「呼吸」や「空気」というテーマについて発表された。とりわけ60年代に活動した、ジュゼッペ・ペノーネと三上晴子の二人を取り上げて、かたやイタリア、かたや日本を中心に作品を発表してきた両芸術家が「空気」にいかなる意味を見出したのかが豊富な作例とともに示された。日本の写真家畠山直哉の写真シリーズを「人新世」の時代の風景として読み解く武田宙也の発表も、やはり地球環境を普段とは違った視点から切り取る芸術家の感性に肉薄していくものであった。畠山作品のなかに結晶化したイメージは、奇妙な仕方で交錯する自然と文化の接触と葛藤を描いている。

 われわれを取り囲んでいる自然を表象する芸術といえば、ながらく風景画というジャンルが西洋文化で重要な役割を果たしてきた。イギリスの風景画家ジョン・コンスタブルの代表作《乾草の車》に対するアクティヴィストの抗議運動から出発したパオロ・ダンジェロの発表は、「風景(landscape)」という語の持つ否定的なコノテーションへの批判を紹介しながら、それに「環境(envrionmental)」が対置されてきた経緯をイタリアの文脈に即して説明した。しかしながら、文明の美意識が内面化された「風景」をより現実の自然に近い「環境」に置き換えればよいというほど事態は単純ではなく、ダンジェロは20世紀の風景美学者ロザリオ・アッスントの先駆的な仕事にうながされつつ、風景と環境の二項対立を脱却する方向性を示した。続く岡田温司の発表は、さらに時代を遡り、19世紀から20世紀初頭の著述家のなかにエコロジー思想の一端を探求するものであった。アレクサンダー・フォン・フンボルト、エルンスト・ヘッケル、エリゼ・ルクリュという三名のテクストと実践は、かたちは異なれ、それぞれの仕方でエコロジカルな美学の萌芽を提示している。植民地主義と裏腹に、フンボルトを惹きつけたエキゾチックな風景画、ヘッケルの独自の自然哲学にもとづく、見るも美しい生物のイラスト、ルクリュの構想した「ブルー・マーブル」(1972年にアポロ17号から撮影された青い地球のイメージ)をも思わせる巨大なジオラマ装置。19世紀の思想家たちの脳裏に渦巻いていた地球という惑星のイメージは、文化史的に興味深いだけでなく、今日求められる新たなコスモロジーを模索するうえでも示唆に富んだものである。

 今回の国際会議では、AAAグループ第5班の研究者が中心となって組織したこともあり、人文学における「人新世」のインパクトについて論究されることが多かった。さらに、芸術や技術を含めた文化史を「人新世」という観点から検討する機会を得ることができた。総じて言えば、「人新世」というキータームが多様な研究領域をつなぐ結節点として作用し、新たな知的探求を促すものであることを確認できたことが大きな収穫のひとつであったと言えるだろう。

 国際シンポジウムとは別に、今回のイタリア会議の合間をぬって、ロベルト・エスポジト氏との面会も実現することができた。第5班の主要トピックである「生政治」は、彼の哲学的仕事が一つの着想源となっている。かつてエスポジト氏が所長を勤めていた、ナポリにある「イタリア哲学研究所(Istituto Italiano per gli Studi Filosofici)」の歴史ある建物を案内してもらい、その後、氏のご自宅で小一時間ほど歓談し、近くのレストランで昼食をともにした。「コムニタス(ともに生きること)」の思想家ならではの、溢れるほどの歓待の精神をもった優しい人柄を、その一挙手一投足から感じ取ることができた。今後、エスポジト氏とのさらなる研究協力が期待される。

 今後の展望としては、今回のシンポジウムで深めることのできた「人新世」についての知見を、AAAプロジェクトの他の研究班にフィードバックしていく必要があるだろう。今回の国際会議は、参加者の都合上、人文学の立場から「人新世」について議論することが多かったが、自然科学や社会科学の幅広い視野を交えることで、学際的な研究プロジェクトの強みを発揮することができる。科学的な分析概念、社会実践の指針となる標語、創造的な芸術的活動の原動力など、多様なレイヤーをもつ「人新世」に、学術的な深みを与え、より広範な議論へと拡張していくためにも、今回のシンポジウムはきわめて貴重な足がかりとなった。今後、研究プロジェクトでは、本会議をもとにした論集の出版を予定しており、これを機にさらなる研究の発展が期待できる。

🌟【シンポジウム 参加者リスト】

-Yasuko NAKAMURA, Professor, Nagoya University

-Giuseppe PATELLA, Associate professor, University of Rome Tor Vergata

-Hideki OHIRA, Professor, Nagoya University

– Francesco CAMPAGNOLA, Principal Investigator, University of Lisbon

– Hironari TAKEDA, Associate professor, Kyoto University

– Paolo D’ANGELO, Professor, University of Rome Tre,

– Atsushi OKADA, Professor, Kyoto Seika University,

– Vincenzo CUOMO, Director, Review “Kaiak”

– Mario VERDICCHIO, Researcher, University of Bergamo

– Tetsuya YAMAMOTO, Associate professor, Tokushima University

– Roberto TERROSI, Researcher, University of Rome Tor Vergata

– Ayako IKENO, Associate professor, Aoyama Gakuin University

– Nozomu NINOMIYA, PhD candidate, Kyoto University

(文責:京都大学大学院人間・環境学研究科二宮望)

2024.3.31 第4回全体集会 セクシュアリティの多様性班セッション

 鳥山先生は、「言語のジェンダーと作家のセクシュアリティの関係性」について、文法上の性・脚韻の性・詩のリズムとジェンダーおよびセクシュアリティという3つの観点からご報告されました。文法上の性については、「夜」は多くの言語や神話で女性と結びついている一方、「月」は言語・神話間で性のゆらぎがあるとのことでした。脚韻の性については、男性韻と女性韻に関する言説は歴史的に変遷しており、16世紀では男性優位・女性蔑視であったのに対し、18世紀では両者のバランスをとろうとする傾向が出てきたとのことでした。詩のリズムとジェンダーおよびセクシュアリティについては、従来忌避されてきた11音節詩句を用いて詩作した詩人の系譜をたどり、それぞれの詩人の詩について詳しくご解説されました。最後には、文学・絵画における「両性具有」のテーマにも触れられました。

 ボーヴィウ・マリ=ノエル先生は、「簡潔さのレトリックと女性差別」について、主に明治時代の日本のアフォリズムに焦点を当ててご報告されました。中江兆民・幸徳秋水・森鴎外といった明治の文学者が編纂した格言集の原本を調査し、西洋の「misogyny (女性嫌い)」に関するアフォリズムが日本でどのように受容され、どのように政治とかかわってきたのかということをお話しされました。明治時代には主に「金言」と訳されていたアフォリズムですが、大正時代になると「警句」と訳されることが一般的になり、アフォリズムの役割が教養的なものから読者を面白がらせるものへと変わっていったとのことでした。

 立木康介先生は、現代社会が抱える「対象のモノ化、モノの対象化」という問題について、何人かの文学者や哲学者の言説を手がかりに論じられました。プルーストが作品で描いている「近さのなかの遠さ」という主題は、ハイデガー哲学における「物理的な近さは心理的な近しさをもたらさない」という認識と通底しており、現代社会のさまざまなメディアは「他者」(対象)との距離は縮めるが「近しさ」はもたらさないという点で、「対象のモノ化」を引き起こしているとのことでした。この「対象のモノ化」という現象を追求した人物として、ドゥボール、デュアメル、アガンベンにも言及されました。また、ゴミ屋敷問題に典型的に見られるように、近しい「他者」の喪失が「モノ」にとってかわられる「モノの対象化」も現代社会の病理だと指摘されました。

 坂口菊恵先生は、「トップダウン/ボトムアップで見るセクシュアリティとジェンダー」という題で、とくに自閉スペクトラム症に焦点を当ててご発表されました。従来は主に男性ホルモンの過多という「超男性脳仮説」によって説明されてきた自閉スペクトラム症ですが、「自由エネルギー理論」を導入することで、自閉スペクトラム症の人の脳のはたらきとトランスジェンダーや統合失調症の人の脳のはたらきに共通項を見出せるなど、より多くのことが説明可能になるとのことでした。また、創造性と神経発達症・精神疾患・性自認のゆらぎとの遺伝的なかかわりについて、親が従事する創造的な分野によって子供の得意な分野の偏りがあるのかということを今後は調査されるとのことでした。

 発表後の討論では、「文学者が天才的な作品を書いた理由は脳の発達特性によって説明できるか」「男女の身体性の違いは言語における性の分割に反映しているのか」といった議題について、活発な議論が交わされました。

(文責:京都大学文学研究科 博士課程2年 楠元淳平)

2024.3.31 第4回全体集会 理論班セッション

 金信行先生は現在までの研究成果として、H. ミアレの論文『ホーキング Inc.』(2014)を基に、科学技術社会論(Science, technology and society, STS)におけるアクターネットワーク理論(Actor-network-theory, ANT)の役割について提案されました。金先生は、知識生産におけるAI技術と人間の関係を考察する上で、人間・非人間を含めた声なきアクターを、知識生産のネットワークを構成するものとして捉え直す枠組みとしてANTの重要性を指摘しています。また今後の目標として、ブロックチェーンとそれを基盤とするNFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)が、デジタルアートにもたらす影響についてELSI(Ethical, Legal and Social Issues: 倫理的・法的・社会的課題)の観点から研究するという展望を示されました。

 討論ではアクターネットワーク理論による記述の限界が指摘され、それをいかにして乗り越えるべきかが議題となりました。

 田村哲樹先生は、「「方法論的国家主義」なき熟議的民主主義のために」というタイトルで、従来の熟議システム論についての批判的な考察を発表されました。熟議民主主義の現実的な制度化を検討する上で、これまで熟議システム論の立場からはフォーラム中心的な熟議民主主義の捉え方が批判されてきました。田村先生はこうした批判の意義と射程を確認した上で、そこでもなお国家や政府を中心とした民主主義観が前提とされていることが指摘され、そうした方法論的国家主義を乗り越えるために、従来の「マクローミクロ」図式によらない、「同時並行的」に作動する複数の熟議システムという、修正された熟議システム論を提案されました。

 討論では、熟議システムの構成単位について疑問が投げかけられ、いかにして熟議システム論においてシステムの境界線を規定するのかについて議論がなされました。

 大平徹先生・大平健太先生は、手に乗せた棒のバランスを取る課題や、目を閉じた状態で身体を直立に保つという課題において、身体に一定のリズムを持った刺激を与えることが課題の実行を容易にする場合があることを示した実験を紹介し、生物にとって自己フィードバックの遅れが持つ積極的な意義を考察されました。また、複数の振動による遅れの相互作用が個々の振動よりも遥かに大きな振動を生み出す現象を数学的に記述する試みとして、解を持たないとされる従来の遅れ微分方程式に対し、解を持つ、あるいは高い精度で解を推定できる新たな遅れ微分方程式を提案されました。

 討論では、ノイズとなる刺激を与えることがクローズドなフィードバックループ(鋭敏性)を緩める働きを持つという点に関心が集まりました。

 鄭弯弯先生は、「文学作品の感情分析の予備実験」と題し、既存の言語モデルが文学作品の感情分析に適応可能かを検討した研究を紹介されました。『グリム童話』「七羽のカラス」の日本語テクストについて、複数の言語モデルを用いて文ごとのセンチメントスコアを算出し、それぞれのモデルによって算出されたスコアを、テクストから読み取れる感情の変化、及び各文のベクトルと比較し、それぞれの言語モデルの特徴や欠点を指摘するとともに、文学作品の感情分析に適した新たな言語モデル構築を構築する必要性やそれに向けての課題を示されました。

 これに対しオーディエンスからは、テクストの感情分析において「感情」とはだれの感情なのかという疑問が寄せられ白熱した議論が交わされました。

 平田周先生は、この研究会の理論的柱となっている、ブルデューとラトゥールの2つの社会学的立場をどのように調停するべきかという問題について報告されました。平田先生は個人の行為に先立つ知覚や評価の図式が社会環境によって形成されると主張するブルデューの「社会的なものの社会学」と、人間と非人間のアクターの「集合体」の記述によって社会を捉えようとするラトゥールの「連関の社会学」を比較して両者の争点をまとめ、両者の議論を接続する必要性があることを示し、その接続のための条件についての考察を発表されました。

(文責:大阪大学 人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)

2024.3.30-31 2023年度全体研究集会(春)

 2022年8月11日、12日に最初のキックオフミーティングが開催されてから早くも1年半。2024年3月30日、31日に全体研究集会が開催されました。

 現在進行中の研究も、一部では成果のまとめ、発表が盛んに行われるようになってきました。その一つが、2024年3月14日から15日にかけてローマ・トル・ヴェルガータ大学にて「Anthropocene Calling」と題したローマ国際会議です。今回の全体研究集会では、京都大学の二宮望(RA)さんより報告がありました。

失われたラファエロ・サンティ(1483年~1520年)の素描にもとづく、16世紀(1475年ごろ~1534年ごろ)の版画家・マルカントニオ・ライモンディの版画《パリスの審判》
フランスの画家、エドゥアール・マネ(1832年~1883年)による《草上の昼食》。ラファエロの《パリスの審判》の右下に描かれている3名を参考に制作されたとされる

 日本からは、中村靖子先生、大平英樹先生、武田宙也先生、池野絢子先生、山本哲也先生、二宮望先生、岡田温司先生(本プロジェクトによるご招待)が参加しました。ローマ国際会議では、「人新世」のあり方を浮き彫りにするようなそれぞれの研究が発表され、活発な議論が交わされました。そのうちの一つ、二宮さんの発表は、美術史家・ヴァールブルクの研究についてでした。盛期ルネサンスを代表する画家・ラファエロが描いた《パリスの審判》をもとに、同時期の版画家・ライモンディによって制作された銅版画があります。19世紀の画家・マネはこの作品を参考にして《草上の昼食》を描き上げました。これを見たヴァールブルクは、時代を経るごとに太陽の神や雷の神といった、神の存在が描かれなくなっていくことに着目。ここに、科学の進歩によって自然を飼いならしていく様を見出したのでした。二宮さんは、「神が描かれなくなっていった背景にはもっと複雑な事情があるのでは」、と話しつつも、ヴァールブルクを例に文明と自然の変わりゆく関係性について話題提供を行いました。

 全体研究集会ではその後も大変興味深い発表と活発な議論が続きました。南谷先生がオーガナイズした第3班の発表では、奈良先端科学技術大学院大学の日永田智絵先生、大阪大学の大道麻由さんがご来訪されました。それぞれ、「感情モデルの開発~感情理解に向けた構成論的アプローチ~」、「物語を共有するロボット」と題した研究発表が行われました。

 2024年度も、ハワイパネルや世界哲学会議など、世界をまたにかけてAAAプロジェクトメンバーが活躍する予定です。

(文責:綾塚達郎)

2024.2.22 第3班の第5回班別会議

2024年2月22日、オンライン(Zoom)にて第3班の第4回班別会議が開催されました。(参加者/敬称略:池田慎之介、和泉悠、大平英樹、ソニア・ザン、鄭弯弯、中村靖子、南谷奉良、宮澤和貴)本班別会議では各班員の2023年度の進捗報告に加えて、班員である宮澤和貴先生が登壇される共催企画の第6回終わらない読書会についての打ち合わせ、次期テキストマイニング講習会及び叢書刊行企画会議の日程調整が行われました。2023年度の第三班の活動成果は極めて順調で、ロボット、生成AI、痛みと可傷性、主体化と言語獲得のモチーフを通じて、当初の目的である班員間の異なるディシプリンを研究内容面で関連させることが実現しつつあります。また、予定していた年2回の班別研究会議と第4班との合同研究会も実施することができ、着実に人文知と自然科学の連携が取れてきていることを実感できています。

🌟南谷奉良

2023年5月31日に実施したテキストマイニング講習会(講師:鄭弯弯氏)と第3・4班合同企画『悪口ってなんだろう』(和泉悠著)合評会の成果を通して、Kazuo Ishiguro, Klara and the Sunについてのテキストマイニング分析を8月27-28日の第3回研究集会で発表した。業績成果としては、第三班のキーワードである「痛み」に関連した論文を、京大英文学会誌のAlbionに投稿し、2023年11月に掲載された。共催企画の「終わらない読書会」の第5回目を実施し、伊藤琢麻氏(ソルボンヌ・ヌーヴェル大学博士課程)と、コメンテーターとして森田俊吾氏(奈良女子大学・専任講師)を招聘して若手研究者のネットワークの拡大を図り、生成AIによる作詩の可能性とダダイズムの特質を議論した。同読書会については第6回目を3/15に開催し、本班員の宮澤和貴氏を講師として、Klara and the Sunをロボットの言語・概念学習の観点から読みなおしを行う予定である。人工知能関連では、人文知を活用した生成AIをテーマとする京都大学公開シンポジウムを12/10に開催し、オーガナイザーを務めた。同シンポジウムには、AAAの第5班の山本哲也氏をパネリストの一人として招聘し、科学技術史、ゲーム文化学、地理学、英文学、臨床心理学・心理情報学の観点から、生成AIの多様な応用可能性と諸問題について議論を行った。生成AIについては開発の速度が極めて早いことから、関連する主要な出来事と応用可能性と問題についてフォローアップする必要があり、「孤独とロボット」の問題を研究しているソニア・ザン氏(大阪大学人類学部招聘研究員)にニュースのリスト化作業を時系列順に進めてもらっている。

🌟和泉悠

2023年前半に開始した、児童向けアニメ作品『ひろがるスカイ プリキュア』『ポケットモンスター』の会話文書き起こしデータの作成を後半においても進めた。それぞれ30話程度の書き起こしを行い、あわせて1万5000件程度の発話データを収集した。今後分析を進めていく。

 デジタル社会における有毒・有害な言語についての研究成果をまとめ、AAAの他のメンバーとともに国際会議にて発表する準備をおこなった。2024年度に開催される2つの国際会議に、要旨を提出し、採択された(World Congress of Philosophy in Rome 2024年8月、The 12th East-West Philosophers’ Conference 2024年5月)

 ヘイトスピーチといったオンライン上の有毒・有害な言語に対抗するひとつの手段として、ホープスピーチと呼ばれる言語の側面についての研究が英語や南アジアの言語を対象として始まっているが、日本語を対象とした研究はまだ存在しない。そこで日本語YouTubeコメントで構成されるデータセットを作成した。その成果は言語処理学会30回年次大会(2024年3月)で発表される。

🌟池田慎之介

2023年度は、2022年度に実施した2件の研究を査読付き国際誌に投稿した。1件はSocial Psychology and Society誌に採択となり、現在印刷中である。もう1件はPsychologia誌に採択され、既にAdvance online publicationとして公刊されている。また,ChatGPTがヒトの意思決定に及ぼす影響について新たに1件の調査研究を実施し、現在得られた結果を解析中である。更に、他班の2名と共同研究計画を立て,民間財団の助成へと申請を行った。この研究は、VR環境下で個人のセクシャリティの変容を検討するものであ、AAAプロジェクトでの研究を押し広げるものとなる。加えて、今年度より着任した金沢大学において、子ども研究を行うための環境を構築した。これにより次年度からは,スムーズに子どもを対象とした実験が行えるようになった。

🌟 宮澤和貴

第41回日本ロボット学会学術講演会にてオーガナイズドセッション「OS20:大規模言語モデルとロボティクス」を開催した。1件の基調講演と、7件の一般発表が行われ、大規模言語モデルとロボティクスの接点について幅広く議論した。今後は言語に限らず視覚や聴覚、ロボットの制御についても議論を広げていく。また、性格を付与したChatGPTによる対話誘導に関する研究を進めた。ポジティブやネガティブなどの性格を付与したChatGPTを用いて、ChatGPT同士での対話実験を行い、対話相手の発言をポジティブに誘導できるかを検証した。さらに、大規模言語モデルへの罵倒に関する研究の準備を進めた。ロボットの身体に根ざした痛みの理解に先立ち、大規模言語モデルが言語的な痛みをどのように理解し、痛みを伴う言葉がどのようにモデルの出力に影響を及ぼすのかを検証する予定である。

中村代表が人社委員会で報告してきました

 科学技術・学術審議会学術分科会 人文学・社会科学特別委員会(第 21 回)において、中村代表が人文知共創センターの活動について報告しました。https://www.mext.go.jp/content/20240126-mxt_sinkou01-000033699_00.pdf

 これに関して、名古屋大学人文学研究科の周藤芳幸研究科長が「研究科長だより」で紹介して下さいました。

1 ⽉ 26 ⽇には、⽂科省の科学技術・学術審議会学術分科会の第 21 回⼈⽂学・社会科学特別委員会がオンラインで開催され、中村先⽣が「⼈⽂知共創を⽬指すために」というタイトルで講演をされました。せっかくなので、プログラムの全体を紹介しておくと、はじめに⼀橋⼤学経営管理研究科・イノベーション研究センターの軽部⼤教授から「我が国の⼈⽂学・社会科学の国際的な研究成果のモニタリングについて」という話題提供があり、そこでは、SciVal による分析に研究者へのインタビューを加味することで⼈⽂学・社会科学の研究成果の国際性を可視化する試みが提⽰されていました。おもしろかった(?)のは、「いまどき専⾨書を刊⾏することが研究業績になる分野があることを今回のインタビューで初めて知った」という発⾔で、これには、さっそく井野瀬久美恵さん(イギリス近現代史・ジェンダー史で有名な⻄洋史の⽅)が、「歴史学では研究成果を⼀冊にまとめることが就職にあたって重視されているが、これからは変わっていくのか」、と質問をされていました。これに対しては、「⼈社系と⼀⼝に⾔っても、体系性を重視する分野とそうでない分野(単発的な新知⾒が重視される分野)があり、前者では著書が重視されるのではないか」という返答があり、さらに様々な議論が交わされていました。とくに⽬新しい意⾒があったわけではありませんが、テクノロジー(とりわけ翻訳ツール)の進化が現状では無に等しい⽇本語で書かれた研究の国際的な評価にどのように貢献しうるのか、そもそも評価と資源配分との関係はいかにあるべき かなど、活発な意⾒交換が繰り広げられていて、なかなか刺激的でした。さて、肝⼼の中村先⽣のご報告については、とりわけ⼈⽂知共創センターの活動における中村先⽣の卓抜し たリーダーシップに対して、委員の先⽣⽅から⼝々に賛辞が寄せられていたのが印象的で、私も傍聴しながらとても誇らしく感じた次第です。中村先⽣、岩﨑先⽣、鄭先⽣のご尽⼒に感謝するとともに、引き続き部局として⼈⽂知共創センターの活動を⽀援していきたいと 考えています。

「研究科長だより 19」(2024年2月14日発信)

プロジェクトメンバーの伊東剛史先生、平田周先生、中村靖子先生の論文が『現代思想2023年12月号 特集=感情史』に掲載されました

関連サイト:青土社 ||現代思想:現代思想2023年12月号 特集=感情史 (seidosha.co.jp)

🌟伊東剛史先生「ひらかれた感情史のために」pp.26-35

 伊藤先生は、歴史学における、そして歴史学に対する感情史の役割について論じられました。歴史学が構築してきた知識生産のプロセスに私的な感情が入り込む余地を与えることは、史料の批判的読解が感情移入によって侵食されるという危険性を持つ一方で、言論空間において抑圧され、表現されなかった感情へと迫る契機となる。本稿では、こうした感情史の二面性を分析し、感情を歴史叙述のなかにどのように位置づけるべきかを考察されました。

🌟平田周先生「ある「世俗的心理学カテゴリー」が辿り着いたひとつの場所」pp.121-135

 平田先生は、心理学の理論及び実践と、社会との相互作用的な展開という観点から、感情を巡る過去と現在を結びつける枠組みを示されました。まず、イギリスにおける近代化の過程の中で、神学的な概念としての「情念(passion)」や「情感(affection)」に対して、科学的概念としての「感情(emotion)」という心理学的カテゴリーが確立した歴史を概観し、次いで現代の資本主義体制のもとで、心理学が提出した知見が生産活動や日常生活の合理化のための感情を管理する手段として用いられるようになった経緯を分析され、感情に関する歴史的分析が社会の仕組みを考える上で果たす役割を考察されました。

🌟中村靖子先生「言葉と感情、言葉とツール」pp.189-200

 中村先生は第一に、ドイツ語におけるReiz(刺激)という語を巡る生理学の歴史を概観し、神経系が持つ刺激の受容(ネガティブ)と蓄積された興奮の放出(ポジティブ)という2つの原理が、生の根底的な原理として、あるいは感情の基盤として解釈されうることを確認されました。次に、文学作品の言語表現から感情を取り出す試みとして、リルケ『マルテの手記』に対してセンチメント分析を行いました。まず各文のネガティブ、ポジティブ、ニュートラルの確率からなるセンチメントスコアを算出し、そのスコアの推移をテクストから読み取れる主人公マルテの感情の変化と対比することで、マルテが世界からの刺激をどのように受け取り、そうして神経系の内部に蓄積された感情をどのように言語として放出したかのかを考察されました。

 (文責:大阪大学大学院人文学研究科 博士前期課程1 年  葉柳朝佳音 )