2024.11.22 第11回「終わらない読書会─22世紀の人文学に向けて」@Zoom

『生物から見た世界』──ユクスキュルの生物学的宇宙──

発表概要

『生物から見た世界』について

 第11回では、生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll, 1864-1944)の著書『生物から見た世界』(1934)を課題本として取り上げました。ユクスキュルは、生物が身体器官による環境の知覚と、環境に対する働きかけのループ(機能環)を通じて、個々の生物は自らを「主体」とする行動の領域、すなわち「環世界」(Umwelt)を構築すると考えました。『生物から見た世界』は、このような環世界の形成を生物学的な理論によって記述しようとする挑戦的かつ入門的な著作となっています。この本は、環世界論の具体的な理論や概念を紹介するだけでなく、様々な生物の生態に関する観察・実験をもとに具体例を示しています。加えて、共著者ゲオルグ・クリサート(Georg Kriszat)による挿絵が、人間には見ることのできない様々な生物の環世界を想像させ、見た目にも楽しい一冊になっています。本発表では、特にユクスキュルが提示する独自の「主体」概念に着目し、生物がどのような意味で主体であるのか、そしてこの主体という概念が生物以外のものにどれだけ拡張可能であるのかを考察しました。

環世界論における時間と空間

 ユクスキュルは、触覚や視覚などの知覚だけでなく、古典物理学において普遍的で均質なものとして扱われてきた「時間」や「空間」もまた、主体の身体状態の変化によって構築されるものであると主張します。例えば人間は、眼球の角度を変える筋肉や、水晶体の厚みを調整する筋肉の運動と、それに伴う焦点の位置や視界の変化とを結びつけることで、視覚的な空間を構築していると説明されます。このような観点からユクスキュルは、環世界の数だけ時間と空間が存在し、それぞれの時間・空間の形式は、主体が備えている身体器官に応じて構築されていると主張しました。

環世界論の思想史的背景と目的

 ユクスキュルは「生きた主体なしには空間も時間もありえない」というテーゼによって環世界論は、哲学者イマニュエル・カント(Immanuel Kant, 1724–1804)の学説と生物学を結びつけている、すなわち「カントの学説を自然科学的に活用」[24]していると主張しました。ユクスキュルによれば、カントは、人間と世界との関係を、主体による対象の構成(=認識)プロセスとして理論化[Uexküll (1920): 9]しました。カントが主張する人間の認識能力を、ユクスキュルは、カント以降に蓄積された生物学的知見、およびユクスキュル自身による動物の観察・実験の成果を統合することで、生物学的な観点から根拠づけようとしたのです。そして、そのようにして得られた主体と対象の関係に対する生物学的説明を、人間以外の生物へと敷衍することによって、あらゆる生物を主体として、生物と生物を取り巻く外界との相互作用を記述することが、環世界論の目的でした。

環世界論の再解釈――人間の環世界の特殊性

 ユクスキュルは、心理的なプロセス(認識)ではなく身体的なプロセス(知覚と身体作用)によって構成されるものとして環世界を説明することで、カントが人間に限定していた認識論的主体の概念を、あらゆる生物へと拡大しました。これに対しマルティン・ハイデガー(Martin Heidegger, 1889–1976)は、ユクスキュルが紹介したいくつかの実験を引用しつつ、人間と世界との関係は、その他の生物とは根本的に異なると主張しました。ハイデガーによれば、人間が対象の存在そのものを認識対象として形成することができるのに対し、動物の機能環において知覚と行動とがあまりにも密接に結びついているために、動物は、対象の存在そのものや、存在の意味を問うことができません。こうした動物と対象の関係を、人間と対象の関係と比較してハイデガーは、すなわち「人間は世界形成的である」のに対し、「動物は世界に乏しい」と主張しました。

 カッシーラー(Ernst Cassirer, 1874–1945)は、シンボル系(言語、知識・記号体系など)による介入の有無という観点から、人間と動物の機能環の差異を強調しました。カッシーラーは、動物の機能環が知覚系と作用系からなるのに対し、人間の場合にはこの二つの系の間に「シンボリック・システム(象徴系)として記載されうる第三の連結」が介入していると指摘しました。ユクスキュルは、機械は「人間の器官の延長」であり、独自の環世界を構築する主体ではないと主張しましたが、人間の身体器官が道具によって延長可能なものであるとするなら、カッシーラーのいうシンボル系もまた、人間の器官の延長として考えることができます。

環世界論の現代的展開――拡張・接続される機能環

 このように言語や機械といった外部の要素が人間の機能環に介入しているとき、そのような拡張された機能環を通して実行される行動の「主体」そのものもまた拡張されているということができます。私たちは目に入る対象を記号や概念の助けを借りて認識し、言語を用いて思考し、語り、情報を記録し、伝達し、知識体系を作り、物語を作ります。シンボル系はこうした人間の活動を支えると同時に、これらの活動によって自分自身の記号体系を更新し維持しています。私たちの行動領域は、このようなシンボル系との協働によって拡張されているのです。

 言語や道具は、単に私たちの機能環に介入し行動の領域を拡張するだけでなく、言語や道具は、人間と人間の機能環をつなぐ媒体にもなります。たとえば視覚障害者を支援する”Be My Eyes” というアプリでは、カメラの映像と言葉によるコミュニケーションを通じて、目の不自由なユーザーの困りごとをボランティアが協力して解決します。例えばボランティアは、リモコンのどのボタンが電源ボタンかを教えたり、どの靴下が互いにペアになっているかを教えたりすることができます。ボランティアは、目の不自由なユーザーにとっての器官の延長、すなわちまさに「私の目(My Eyes)」として行動をサポートすることができるのです。

質疑応答とフィードバック

 参加者からの皆様からは、たくさんの質問やご意見をいただき、議論を盛り上げていただきました。以下に、アンケートでお寄せいただいたご質問を一部抜粋させていただきます。

Q 植物の環世界についてわかっていることはあるのか?

A 植物の環世界についてユクスキュル自身による言及は少なく、かつネガティブなものが大半です『意味の理論』(1940)では、「植物には、環世界を構築し支配するための受容器官も効果器官も備わっていない」とする一方で、植物も動物と同様に外界からの刺激を選択的に受容するような身体構造をもつとしています。ユクスキュルは動物の知覚と作用の結びきをインパルスの働きによって理解しようとしていたため、それが欠けている植物には、少なくとも動物と同じような意味での環世界は欠けていると考えていたものと思われます。ただし発表者の立場では、環世界論の主張を整合的に読み解くなら、刺激の選択的受容と、それによって制御された作用のループは必ずしもインパルスを持たなくとも、機能環と呼びうると考えています。この観点から、光や温度の変化を刺激として受容し、それに基づいて発芽や光合成を行うという意味で、植物も環世界を持つと解釈できます。

Q ハリガネムシに規制されたカマキリの入水行動の例について、行為を意図と行動に分別すれば意図の主体はハリガネムシ、行動の主体はカマキリということになるのか?

A 環世界論における「主体」は意図や意思を前提としておらず、刺激の需要とそれに対する反応という身体的な過程を基盤として成立しています。したがって、寄生しているハリガネムによってカマキリの知覚と反応の結びつきが変化しているという今回の例で、入水行動の主体について考える際には、カマキリとハリガネムシを一つ複合体として考えています。

Q ユクスキュルがハンブルクに設置された「環世界研究所」の名誉教授に招かれたことは当時の学問的(生物学的)風潮に適応していたから?

A ユクスキュルは当時の生物学では少数派の新生気論的を支持していたことや、反ダーウィニズム的な主張を繰り返していたことから、むしろ生物学のメインストリームからは外れていました。ユクスキュルは一部の支援者により、晩年になってようやく研究者として有給のポストを得られたとされています。生物学の王道ではないものの、一定の支持者はいた、というのが実情ではないかと思います。

 ご参加いただいた皆様、読書会を運営してくださっている南谷奉良さん、小林広直さん、平繁佳織さん、コメンテーターを引き受けてくださった根木颯也さん、共催の「人間・社会・自然の来歴と未来―「人新世」における人間性の根本を問う」、皆様に改めて御礼申し上げます。

文責:大阪大学人文学研究科博士後期課程 葉柳朝佳音

2026.5.22 第13回「終わらない読書会─22世紀の人文学に向けて」@Zoom

第13回「終わらない読書会」にご参加いただき誠にありがとうございました。皆さまから多くの質問やコメントを頂戴できましたこと、大変嬉しく思っております。フェミニズム読解が主流となっている『侍女の物語』ですが、小説という一芸術作品が可能とする様々な技巧に目を向けることで見えてくるものも沢山あります。作品が訴えるメッセージ性を踏まえつつも、些細な描写・記述に読み応えを感じていただけたのであれば、発表者としてこれ以上の喜びはありません。

開催からひと月近く経ってしまいましたが、読書会の補足として、充分に答えることのできなかった質問への回答や、終了後のGoogleフォームに寄せられた質問、また、発表内では言及することのできなかったトピックリストへのコメントを皆さまに共有いたします。トピックリストにつきましては、三月うさぎ(兄)さんによるnoteと絡めてコメントしております。三月うさぎ(兄)さん、ありがとうございます!

(1) 本作のエピグラフには、「砂漠には、「石を食ってはならぬ」と書かれた標識はない」というスーフィー教の格言が付されている。これは何を意味しているのか?

 上記の言葉を言い換えるならば、「禁止する標識はないのだから、必要であれば石を食えばよい」でしょうか。さらにこの言葉を、侍女の置かれた状況に引きつけて言い換えるならば、「子供を宿すことができるのであれば、必要に応じてどんな手でも使えばよい」となるでしょう。すなわち、ギレアデに生きる上での心構えとしてこの格言が付されていると解釈できるのではないでしょうか。

ちなみにどうしてアトウッドがスーフィー教の格言をエピグラフに採用したのかについては、スーフィー教の修行の一つである旋回舞踊(スーフィーダンス)に基づいているのではないかと私は考えています。この旋回舞踊とは音楽に合わせてグルグル回ることで神との一体感を求める祈りの形態として知られているのですが、これはアトウッド作品において繰り返されるモチーフである「サークルゲーム」と重なり合います。「サークルゲーム」とは、日本でいう「かごめかごめ」と同等のものであり、集団で輪になってぐるぐる回る遊びと考えてもらって構いません。『侍女の物語』においては、旋回の動きはありませんが、侍女たちが集団で輪になる<集団制作>の場面がありました (とりわけ504ページより始まる第43節に記載)。もちろんエピグラフの内容は旋回舞踊を表すものではありませんが、先行する「サークルゲーム」のモチーフからスーフィー教が連想された、と考えられそうです。

(2) 第3章にある妻の「おまえが馬鹿じゃないことは知ってるわ . . . . おまえの資料を読んだからね」 (36) という発言について。女性が読むことの可能/不可能はどのように決められているのか。

確かに小説の場合、女性の文字利用の線引きについては結構曖昧なようにみえますね。資料といっても写真なども含まれるでしょうから、「文書を読んだ」と記すほど文字情報で溢れている訳ではないかもしれません。とはいえ、「資料を読んだ」と表現されている限り、文字が一切記されていない、とは考えにくいでしょう。したがって、妻の一特権として、文字に触れることは必要に応じて認められている、と解釈するのが妥当かもしれません。

ちなみにドラマ版では、妻が侍女を選ぶ場には小母が同席しています。妻が手にする資料は侍女の顔写真でして、具体的な人物像(例えば、過去の出産経験の有無や子供の人数、侍女としての功績など)については小母によって説明がなされており、妻がそのような説明文を読んでいる演出はなされていません。

(3) 同じく第3章にある妻の「私たちはこの夫の件を他の権利とともに認めさせようと闘っているところなのよ」(37) という発言について。ここで示される「権利」とは?

「権利」に関する具体的な内容は示されていませんが、ここは具体的な権利の内容が重要というよりかはむしろ、ある禁止されている事柄を、妻という身分に応じて認めさせようとしているという発言の意図に重要性があるように思います。

 ちなみに、この発言の直前にあるのは「聖書に前例があるので、彼女たちはわたしたちを叩ける。でも、どんな道具も使ってはいけない。素手でしか叩けない」というオブフレッドの独白です。この流れを踏まえると、妻が認めさせようとしている「権利」にはどこか不穏な含みを感じます。

(4) オブフレッドとニックの関係性はどのようなものであるといえるだろうか?/【トピックリスト3】

両者ともそれぞれの役職からして若い年代の人物ですので、互いの距離が縮まるのも無理はないように思います。オブフレッドにとって、ニックとは、ギレアデでは認められていない愛を、また離れ離れになってしまった夫ルークを埋め合わせる存在のようです。だからこそ、三月うさぎさんの「ニック目線ではオブフレッドは情報源以上のものではないのではないか」の指摘はなかなか鋭いように思いました。二人の関係についてはうまく語ることができないオブフレッドの様子を考えてみれば、それは特定されることから守るための脚色なのか、はたまたニックに利用されていたことを悟っていたからこそ、オブフレッドには「それがどんなふうに起こったのかよくわからない」(481) のか…。

(5) 抑圧されているのは誰か?抑圧しているのは誰か?/【トピックリスト7】

ギレアデの世界において、女性だけが抑圧されているわけではないこと、そして女性の中でも侍女だけが抑圧されているわけではないことが小説全体のポイントだと思っています。また、三月うさぎさんのnoteにある解釈レベルでの抑圧/被抑圧の関係性を示した「読者 > 登場人物」にちなんでいえば、「語り手オブフレッド > 読者(我々・未来の歴史学者)」でもありますよね。

(6) ギレアデにおける男女の役職を比較した際、女性の方がより細かに分類されている。 女性を細かに分類することに、どのような狙いがあるのだろうか?/【トピックリスト8】

  細分化することで連帯を妨げようとしているのは確かですよね。だからこそ、(3)で取り上げたような、妻の特権化という考えが思い浮かぶのでしょう。

(7)ギレアデは宗教が政治権力を握っているのか?それとも政治が宗教を利用しているのだろうか?/【トピックリスト11】

 これは後者の「政治が宗教を利用している」ですね。このことについては、小説のエピグラフにも付されている『創世記』第31章1-3節を基に、ギレアデが性行為の儀式を執り行っていることからも明らかでしょう。

(8) 司令官の発言に次のようなものがある──「女性は計算ができませんからね、と彼 は一度冗談めいた口調で言ったものだ。. . . . 彼女たちの場合は一足す一足す一足 す一が四にならないんですよ、と。じゃあ、いくつになるんですか? とわたしは 三か五を予想しながら言った。ただの一足す一足す一足す一なんです、と彼は言った」(341)。この発言は何を示しているのだろうか?/【トピックリスト14】

  この箇所については、「女性にとっては」一足す一足す一足す一がただの一足す一足す一足す一である、という点がポイントになっています。すなわち、妻は妻でしかなく、女中は女中でしかなく、侍女は侍女でしかない。与えられた役職は女性たちにとっては交換不能なものなのだ、と解釈できるでしょう。この発言を通して司令官が意図しているのは、三月うさぎさんも指摘してくださっているように「男から見た女は交換可能で足すことが出来る」という裏のメッセージだと考えられます。物語に引きつけて解釈すれば、司令官にとって侍女は侍女だけでなく愛人にもなり得る、ということでしょう。

(9) 本作において、唯一繰り返されているのは「夜」の章である。オブフレッドにとって、夜はどのような時間だろうか?/【トピックリスト20】

 夜の章が唯一許された自由な空想の時間である、ということは発表内でも述べたとおりなのですが、この章立てについて三月うさぎさんが、オブフレッドの語りを文字起こしした未来の歴史家たちの存在を含めて考察してくださっています──「テープから文字起こししたピークソート教授とウィエド教授が、推測で時系列に並べると同時に、章の名称をふったのか? だとしたら、なぜ「夜」という章名が何度も繰り返される?」。本当にその通りだと思います。章立てに目を向けた途端、「歴史的注釈」を踏まえたメタ読みにぎこちなさが生じてしまいますよね。加えて、未来の歴史家らが「夜」とタイトルをつけて何度も繰り返していると考えるのもどこか不自然です。「夜」の繰り返しによって、タイトル付きの章立てそのものが、作家であるアトウッドのみが可能とする領域であることが強調されているように思いました。

(文責:京都大学 人間・環境学研究科博士後期課程 杉本はなな)

第13回案内

🌟開催日時:2026 年 5 ⽉ 22 ⽇(⾦)20:00〜22:30
🌟講師:杉本はなな (京都⼤学 ⼈間環境学研究科博⼠後期課程)
🌟テキスト:マーガレット・アトウッド 『侍⼥の物語』⿑藤英治訳、ハヤカワ epi ⽂庫、2021 年
🌟お問い合わせ先:workshop.stephens[at]gmail.com ([at]を@に置き換えください)

2026.7.5 第5班班別会議

第5班判別会議を人文知共創センターにて2026年7月5日(日)に開催した。第5班は今年度より再編成されたため、改めてプロジェクト全体の基本構想と各研究班の位置づけの確認を行った上で、各メンバーの研究紹介と最終年度に向けての方向性、第5班企画について相談した。

中村靖子(ドイツ文学・思想史)
 「人間を作る技法/人間を解体する想像力――ハビトゥスの形成と変容、言語と機器の〈共進化〉」
本プロジェクトでの研究の出発点として、ロベルト・エスポジトの「人間の自然はすでに非自然的である」という問題提起がある。人間が自然に与えられた存在ではなく、言語、身体、欲望、制度、技術を通じて形成され続ける存在であるという点について、中村は、ブルデューのハビトゥス論を参照し、実践や表象が明示的なルールへの服従ではなく、身体化された傾向から生まれることを確認したうえで、言語を、意味を生み、その共有を可能としつつ変容させもする媒体であると捉え、キトラーの「書き取りシステム」という発想、スローターダイクの人間技法論(Anthropotechinik)を手がかりに、「人間を生むのは人間」というスローターダイクのテーゼを考察した。

池野絢子(イタリア現代美術)
池野は、西洋美術史、とりわけ20世紀前半のイタリア美術と政治の関係を中心とする自身の研究について報告した。池野は、イタリア未来派における人間と機械の関係、1960年代末のイタリアに登場したアルテ・ポーヴェラ、さらに呼吸や空気の表象に関する研究を紹介した。とくに、芸術と政治の関係を考えるうえで、身体を取り巻く空気、大気圏、呼吸、皮膜、インターフェースといった概念が重要な論点として提示された。討論では、三上晴子皮膜彫刻の概念、自己免疫疾患モデルからインターフェース概念への移行、大気圏を巨大な被膜として捉える可能性などが話題となった。池野の報告は、20世紀イタリア美術の研究を、生命、技術、政治、環境をめぐる本プロジェクトの問題意識と接続するものであり、8月の全体研究集会に向けて、呼吸・空気・被膜をめぐる議論をさらに展開する方向性が確認された。

山本哲也(臨床心理情報学)
山本は、臨床心理学および臨床心理情報学の立場から、AI、VR、ウェアラブルデバイス、デジタルツールを用いたメンタルヘルス支援の研究について報告した。報告では、うつ病の予防や再発リスクの分析、性犯罪者の再犯予防、頭痛や幸福感の予測など、複雑な健康データをAIや機械学習によって解析する取り組みが紹介された。山本は、ネガティブな思考や活動量がうつ病の再発リスクに影響すること、認知行動療法がこうした変数に働きかける方法として位置づけられることを説明し、AIが心理療法や心理教育の応用に寄与する可能性を示した。
山本の報告ではさらに、AI生成画像、VRを用いた心理療法、AIエージェントによる心理教育、子ども向けの展示・実証実験など、臨床心理学と情報技術を横断する研究の展開が紹介された。とくに、徳島の科学館等で子どもたちが操作できるAIエージェントの開発、高輪ゲートウェイでの光を用いたバイオフィードバック実証実験、関西医科大学での肥満外来へのAIエージェント介入など、今後の実証的な取り組みも共有された。また、AIエージェントの大型版は運搬が難しい一方で、60センチ程度の小型版であれば研究会等で紹介可能であることも確認された。討論では、AIエージェントやロボットが、人間の情動、身体性、対人関係、社会的課題の解決にどのように関わるかが議論された。

大平英樹(心理学・認知神経科学)
大平は、「身体化されたハビトゥス――エスポジトの免疫論と予測的処理論から」と題して報告を行った。報告では、ブルデューのハビトゥスを、社会化を通じて獲得される思考・行動・嗜好の傾向として確認したうえで、これを脳だけではなく身体全体へと拡張する必要があることが示された。大平は、エスポジトの共同体と免疫の議論を参照し、共同体が義務を共有する集団であるのに対して、免疫はその義務から逃れる、あるいは異物を排除する機能として理解されてきたことを説明した。さらに、免疫という概念がもともと法的・政治的概念であり、近代以降に生物医学の文脈で「防衛としての免疫」という身体観へと転用されたことを確認した。
報告の中心となったのは、免疫系を単なる自己・非自己の識別装置としてではなく、環境の変化、行動と結果の随伴性、報酬予測誤差をもとに身体資源を予測的に配分するアロスタティック・システムとして捉える視点である。大平は、急性ストレスによる免疫細胞の変動、NK細胞の反応、脳活動と生理反応の同時計測、報酬予測誤差と身体状態の更新などの研究を紹介し、社会的経験が脳の予測モデルを介して循環器、内分泌、免疫の応答を組織化することを示した。報告の結論では、社会的経験が脳と身体の予測的処理を通じてハビトゥスとして組織化されること、免疫系は寛容・受容と拒絶・排斥の連続体を動的に制御すること、そして反復的・持続的な刺激には馴化し、急激な変化や不連続性には反応する免疫系の特性が、社会的環境に対する身体化されたハビトゥスの振る舞いにも関わる可能性があることが示された。

秋庭史典(美学)
秋庭は、美学の制度化、情報学との接続、アートの領域における自然科学との連携可能性について報告した。討論では、美学がどのように制度化されてきたのか、また現代の芸術研究において、自然科学、情報学、環境論、技術論とどのように協働できるのかが論じられた。秋庭の報告は、アートを人文知の内部に閉じた対象として扱うのではなく、科学技術、制度、環境、社会的実践との関係のなかで捉え直す方向性を示すものであった。これは、第5班が掲げる「生政治とアート」という課題、すなわち、生を管理する制度や技術と、それに抗し、あるいはそれを変形する芸術実践との関係を考えるうえで重要な論点となった。

亀田真澄(ソビエト文化・文学)
亀田は、スラブ研究、ソビエト文化・文学、プロパガンダ、共感の概念、ソ連とアメリカの文化的・政治的関係をめぐる自身の研究について報告した。報告では、ソ連研究における社会主義と共産主義の問題、プロパガンダ研究の新しいアプローチ、クロアチアをフィールドとして選ぶ理由などが紹介された。討論では、ソ連の収容所経験とユダヤ人の収容所経験の比較、植民地主義の問題、ネクロポリティクス、被害者意識の政治化、20世紀後半以降の記憶と政治的正当化の問題が取り上げられた。
亀田の報告に関連して、12月に予定されているアシル・ムベンベ招聘の可能性や、平田によるムベンベとファノンをめぐる問題提起も共有された。とくに、暴力、収容所、植民地主義、被害者性、政治的分断といった論点は、第5班の生政治研究にとって重要な参照軸となる。亀田の報告は、ソビエト文化・文学研究を、近代以降の政治的暴力、記憶、共同体、免疫、排除の問題へと接続するものであった。

大久保美紀(美学・記号学・エコロジー)
大久保は、美学、記号学、エコロジー、技術と生命の関係をめぐる自身の研究および実践について報告した。報告では、エコロジーと技術、主体性、生命、環境をめぐる展覧会や芸術実践が紹介され、技術と生命の関係をどのように捉えるか、また現代美術が人間中心主義をどのように問い直すことができるかが論じられた。「メタモルフォーゼ」や「石に話すことを教える」といった展覧会・実践への言及があり、変容、身体、ケア、環境、技術をめぐる問題が報告の中心にあったことがうかがえる。
大久保の報告をめぐる討論では、エコロジカル・アート、ラトゥールのキュレーション実践、クリティカルゾーン、呼吸、空気、被膜といった概念が交差した。とくに、人間を独立した主体としてではなく、環境、技術、他者、生命過程との関係のなかで捉える視点が共有された。8月の全体研究集会では、大久保の発表に対して平田周と金信行がコメントを担当する予定であり、美学、都市論、アクターネットワーク理論、エコロジーを横断する議論の展開が期待される。

菅実花(芸術実践・表象文化論)
菅は、人形を用いた写真・映像作品を中心とする自身の制作について紹介した。報告では、ドールや人形を用いた作品実践が、身体、ジェンダー、欲望、視線、生命と非生命の境界、人工物としての身体といった問題にどのように関わるかが話題となった。菅の作品は、人間らしさ、身体性、人工性、生命性の境界を問い直すものである。8月の全体研究集会では、菅の発表に対して高橋英之と山本哲也がコメントを担当する予定であり、ロボティクス、臨床心理情報学、芸術実践のあいだで、人形、AIエージェント、ロボット、身体イメージをめぐる議論が展開されることが期待される。

山本哲也(臨床心理情報学)
後半のセッションにおいて山本は、臨床心理学とAIを組み合わせた自身の研究を踏まえ、菅の人形を用いた作品や大久保の技術・生命をめぐる議論に対してコメントした。山本は、AIエージェントを単なる情報処理装置としてではなく、人間の身体性、感情、対人関係、社会的実践を媒介する存在として考える必要があると述べた。

高橋英之(ロボティクス)
高橋は、ロボットが人間との関係のなかでどのような役割を担いうるのかを、共在ロボットと癒しロボットの違いに触れながら検討した。共在ロボットが知識や技能の獲得を支援する装置として位置づけられるのに対し、癒しロボットや対話型エージェントは、情動的な関係や安心感、ケアの場面に関わる。その上で、ロボットが、人間の情動や社会的関係にどのように作用するかについて発言した。山本のAIエージェント研究、菅の人形を用いた作品、大久保の技術と生命をめぐる議論は、それぞれ異なる領域に属しながらも、人間と人工物の関係、身体性の拡張、生命らしさの演出、ケアや癒しの技術化という点で接続している。

平田周(都市論)
平田は、大久保美紀の発表に対するコメンテーターとしての役割を確認した。討論では、アシル・ムベンベ、フランツ・ファノン、植民地主義、収容所経験、呼吸、地球共同体といった論点に言及し、生政治と都市論、植民地主義、環境論を接続する問題提起を行った。とくに、呼吸という概念は、身体内部の生命活動であると同時に、空気、大気、環境、政治的暴力、植民地主義的支配とも関わるものであり、池野の呼吸・空気をめぐる研究や大久保のエコロジー論とも響き合う論点であった。平田のコメントは、第5班の議論を、身体や芸術作品の内部に閉じるのではなく、都市、植民地主義、地球環境、政治的暴力の空間へと拡張するものであった。

金信行(アクターネットワーク理論)
金は、大久保美紀の発表に対するコメンテーターとしての役割を確認した。プロジェクト全体では、ハビトゥス論とアクターネットワーク理論を理論的基盤とし、人間、動物、モノ、機械、概念といった多様なアクターの関係を分析することが重視されている。ANTは、人間/社会/自然の連関を検討するうえで重要である。大久保のエコロジーと技術をめぐる議論、池野の被膜・空気・大気圏をめぐる議論、山本のAIエージェント研究、菅の人形を用いた作品は、いずれも人間だけでなく、非人間的アクターとの関係を問うものであり、金のコメントを通じて、これらをプロジェクト全体の理論的枠組みに接続することが期待される。

山本哲也(臨床心理情報学)
最後に山本は、AIエージェントと人形の技術的実装について改めて発言し、AIとの対話を社会課題の解決に活用する可能性を説明した。菅の人形作品が人間らしさや身体イメージ、人工物への感情的投影を問い直すものであるのに対し、AIエージェントは対話やフィードバックを通じて、人間の行動変容や心理教育、ケアの実践に関与しうる。この観点から、山本は、人形、ロボット、AIエージェントをめぐる議論を、技術的実装の問題にとどめず、人間が人工物とどのように関係を結び、その関係を通じて自己理解や社会的行動をどのように変化させるのかという問題として捉える必要があることを指摘した。参加者のあいだでは、これらの論点を8月の全体研究集会で継続して検討していくことが確認された。

総合討論
総合討論では、免疫、ハビトゥス、予測誤差、身体化、被膜、呼吸、エコロジー、AI、ロボティクス、芸術実践といった複数の論点が交差した。とくに、免疫を自己と非自己の単純な境界線として捉えるのではなく、連続的かつ動的な調整過程として理解する視点が共有された。また、社会的秩序や規範が身体に沈殿する過程を、脳・身体・免疫系の予測的処理と接続して考える可能性が議論された。さらに、呼吸、空気、皮膜、大気圏、クリティカルゾーンといった概念を通じて、人間と環境、身体と外部、芸術と政治の関係を再考する方向性が確認された。

最後に、8月25日・26日に予定されている全体研究集会に向けて、第5班のセッション構成、発表者、コメンテーター、時間配分について確認が行われた。また、26日午前には第5班セッションが予定されており、班全体としての研究の接続と今後の展開を確認する場となる。叢書第5巻についても説明があり、プロジェクトメンバーはいずれかの叢書に執筆していただきたいということが確認され、各メンバーの研究テーマを整理しながら、今後も班内での議論を継続していくこととなった。

第4回案内

🌟開催⽇時:2026年5月26日(火)20:00〜22:30

🌟講師:南⾕奉良(京都⼤学 ⽂学研究科)
第1部 「生成文学」研究を可能にするGenbookの開発と活用事例
▢ 開発の背景と目的 ▢ 発音・ASK AI機能 ▢ テクストへの注釈機能  
▢ 本文にもとづく画像・動画・音声生成機能 ▢ 授業での活用例・学生の反応
▢ 動画生成のワークフロー ▢ エディター・モニターの募集について

第2部:質疑応答
※プログラムの内容は変更になる場合があります。

2026.6.14 第8回理論班会議

2026年6月14日(日)に、第8回理論班会議が開催された。出席者は大平徹、大平健太、鈴木麗璽、田村哲樹、金信行、鄭弯弯、中村靖子、大平英樹、葉柳朝佳音の計9名であった。本会議では、理論班の研究進捗報告、班間連携の確認、今後の企画調整が中心議題として扱われた。

 冒頭、中村が4月以降の理論班の活動状況を総括した。特に、各班の研究成果を「共通のアウトプット」としてまとめる必要性を強調した。また、8月25日に予定されている全体集会および2027年5月開催予定の国際シンポジウム(テーマ:「ジェンダーと理論的連携」)の準備状況を共有し、今後のスケジュールを確認した。

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各研究報告の詳細

🌟 大平徹・大平健太(応用数学・遅れ理論)

 最初の報告は大平徹・大平健太によるもので、遅れ微分方程式の厳密解とその応用に関する研究成果が発表された。 研究内容としては、遅れ理論方程式の厳密解を導出し、応用数学の新たな展開を提示したほか、折り紙工学やトポロジーの応用研究を紹介。災害時の折り畳み構造物や非ゴムタイヤの開発など、数理解析と工学・デザインの融合的研究の可能性が示された。

 さらに、ChatGPTを用いた数式解析・安定性解析の自動化実験を行い、数学的ルーティン作業の効率化を確認した。AIを教育現場で活用する可能性についても議論が行われた。

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🌟鈴木麗璽(人工生命・進化シミュレーション)

 鈴木は、言語を持つエージェントの進化モデルに環境要因を導入した研究を報告した。言葉を特徴とするエージェント間の競合・進化過程をシミュレーションし、環境エージェント(バイオーム)を導入することで、環境の多様性が進化の複雑性を高め、種の多様性を維持することを確認した。

 さらに、LLMの進化的最適化を試み、重みパラメータを遺伝的アルゴリズムで進化させる実験を実施。知識タスクと心の理論タスクの間にトレードオフが存在することを発見した。また、内部表現の可視化(スパースインコーディング)を通じて、AIの概念構造の変化を分析した。

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🌟田村哲樹(政治哲学・民主主義理論)

 田村は「脱人間中心的民主主義の可能性」をテーマに発表した。資本主義と民主主義の関係を再検討し、熟議民主主義・参加民主主義の理論的整理を行った上で、非人間的アクター(物・環境)を含む意思決定の正当性を検討した。田村は「意思決定体とは、集合的拘束を伴う正当な決定である」と定義し、拘束性の欠如は政治的決定の不完全性を示すと述べた。

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🌟金信行(経済社会学・ANT分析)

金は「NFTマーケットプレイスの形成過程と資産化のANT分析」を発表した。NFT取引プラットフォームの開発・運用過程を事例に、人間と非人間(技術・装置)の連関をANT的視点から分析した。研究では、概念実証からC2C実装、商品拡張に至る段階的開発プロセスを追跡し、AIによるNFT選別(著作権侵害防止)など非人間的アクターの介入を明らかにした。また、「探索的資産化(Exploratory Assetization)」という新概念を提案し、事業者の市場認識と技術装置の相互作用を分析した。

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🌟鄭弯弯(言語心理学・AI言語モデル比較)

鄭は二つの研究を報告した。

(1)単語の難易度と心理的要因 

単語の難易度を経験的要因(頻度・形態)と心理的要因(親密度・抽象性)から分析し、ランダムフォレスト・ロジスティック回帰・構造方程式モデリングを併用した結果、両要因が相互に影響することを確認した。心理的要因が媒介する間接効果も見られ、今後は反応時間を用いた実験的検証を計画している。

(2)人間とLLMの語彙表象の比較 

  人間(母語話者・第二言語学習者)とLLM(ChatGPT・Gemini・Claude)の親密度評価を比較した結果、LLMは具体性に強く依存し、身体性を反映できない傾向が見られた。一方、人間は感覚・運動的要素を重視し、第二言語学習者は視覚的複雑性に依存する傾向が確認された。

文責:名古屋大学大学院人文学研究科附属人文知共創センター 鄭弯弯

2025年度