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公開講演
AAA×文系のための生成AI研究会
2026.5.22 第13回「終わらない読書会─22世紀の人文学に向けて」@Zoom
第13回「終わらない読書会」にご参加いただき誠にありがとうございました。皆さまから多くの質問やコメントを頂戴できましたこと、大変嬉しく思っております。フェミニズム読解が主流となっている『侍女の物語』ですが、小説という一芸術作品が可能とする様々な技巧に目を向けることで見えてくるものも沢山あります。作品が訴えるメッセージ性を踏まえつつも、些細な描写・記述に読み応えを感じていただけたのであれば、発表者としてこれ以上の喜びはありません。
開催からひと月近く経ってしまいましたが、読書会の補足として、充分に答えることのできなかった質問への回答や、終了後のGoogleフォームに寄せられた質問、また、発表内では言及することのできなかったトピックリストへのコメントを皆さまに共有いたします。トピックリストにつきましては、三月うさぎ(兄)さんによるnoteと絡めてコメントしております。三月うさぎ(兄)さん、ありがとうございます!
(1) 本作のエピグラフには、「砂漠には、「石を食ってはならぬ」と書かれた標識はない」というスーフィー教の格言が付されている。これは何を意味しているのか?
上記の言葉を言い換えるならば、「禁止する標識はないのだから、必要であれば石を食えばよい」でしょうか。さらにこの言葉を、侍女の置かれた状況に引きつけて言い換えるならば、「子供を宿すことができるのであれば、必要に応じてどんな手でも使えばよい」となるでしょう。すなわち、ギレアデに生きる上での心構えとしてこの格言が付されていると解釈できるのではないでしょうか。
ちなみにどうしてアトウッドがスーフィー教の格言をエピグラフに採用したのかについては、スーフィー教の修行の一つである旋回舞踊(スーフィーダンス)に基づいているのではないかと私は考えています。この旋回舞踊とは音楽に合わせてグルグル回ることで神との一体感を求める祈りの形態として知られているのですが、これはアトウッド作品において繰り返されるモチーフである「サークルゲーム」と重なり合います。「サークルゲーム」とは、日本でいう「かごめかごめ」と同等のものであり、集団で輪になってぐるぐる回る遊びと考えてもらって構いません。『侍女の物語』においては、旋回の動きはありませんが、侍女たちが集団で輪になる<集団制作>の場面がありました (とりわけ504ページより始まる第43節に記載)。もちろんエピグラフの内容は旋回舞踊を表すものではありませんが、先行する「サークルゲーム」のモチーフからスーフィー教が連想された、と考えられそうです。
(2) 第3章にある妻の「おまえが馬鹿じゃないことは知ってるわ . . . . おまえの資料を読んだからね」 (36) という発言について。女性が読むことの可能/不可能はどのように決められているのか。
確かに小説の場合、女性の文字利用の線引きについては結構曖昧なようにみえますね。資料といっても写真なども含まれるでしょうから、「文書を読んだ」と記すほど文字情報で溢れている訳ではないかもしれません。とはいえ、「資料を読んだ」と表現されている限り、文字が一切記されていない、とは考えにくいでしょう。したがって、妻の一特権として、文字に触れることは必要に応じて認められている、と解釈するのが妥当かもしれません。
ちなみにドラマ版では、妻が侍女を選ぶ場には小母が同席しています。妻が手にする資料は侍女の顔写真でして、具体的な人物像(例えば、過去の出産経験の有無や子供の人数、侍女としての功績など)については小母によって説明がなされており、妻がそのような説明文を読んでいる演出はなされていません。
(3) 同じく第3章にある妻の「私たちはこの夫の件を他の権利とともに認めさせようと闘っているところなのよ」(37) という発言について。ここで示される「権利」とは?
「権利」に関する具体的な内容は示されていませんが、ここは具体的な権利の内容が重要というよりかはむしろ、ある禁止されている事柄を、妻という身分に応じて認めさせようとしているという発言の意図に重要性があるように思います。
ちなみに、この発言の直前にあるのは「聖書に前例があるので、彼女たちはわたしたちを叩ける。でも、どんな道具も使ってはいけない。素手でしか叩けない」というオブフレッドの独白です。この流れを踏まえると、妻が認めさせようとしている「権利」にはどこか不穏な含みを感じます。
(4) オブフレッドとニックの関係性はどのようなものであるといえるだろうか?/【トピックリスト3】
両者ともそれぞれの役職からして若い年代の人物ですので、互いの距離が縮まるのも無理はないように思います。オブフレッドにとって、ニックとは、ギレアデでは認められていない愛を、また離れ離れになってしまった夫ルークを埋め合わせる存在のようです。だからこそ、三月うさぎさんの「ニック目線ではオブフレッドは情報源以上のものではないのではないか」の指摘はなかなか鋭いように思いました。二人の関係についてはうまく語ることができないオブフレッドの様子を考えてみれば、それは特定されることから守るための脚色なのか、はたまたニックに利用されていたことを悟っていたからこそ、オブフレッドには「それがどんなふうに起こったのかよくわからない」(481) のか…。
(5) 抑圧されているのは誰か?抑圧しているのは誰か?/【トピックリスト7】
ギレアデの世界において、女性だけが抑圧されているわけではないこと、そして女性の中でも侍女だけが抑圧されているわけではないことが小説全体のポイントだと思っています。また、三月うさぎさんのnoteにある解釈レベルでの抑圧/被抑圧の関係性を示した「読者 > 登場人物」にちなんでいえば、「語り手オブフレッド > 読者(我々・未来の歴史学者)」でもありますよね。
(6) ギレアデにおける男女の役職を比較した際、女性の方がより細かに分類されている。 女性を細かに分類することに、どのような狙いがあるのだろうか?/【トピックリスト8】
細分化することで連帯を妨げようとしているのは確かですよね。だからこそ、(3)で取り上げたような、妻の特権化という考えが思い浮かぶのでしょう。
(7)ギレアデは宗教が政治権力を握っているのか?それとも政治が宗教を利用しているのだろうか?/【トピックリスト11】
これは後者の「政治が宗教を利用している」ですね。このことについては、小説のエピグラフにも付されている『創世記』第31章1-3節を基に、ギレアデが性行為の儀式を執り行っていることからも明らかでしょう。
(8) 司令官の発言に次のようなものがある──「女性は計算ができませんからね、と彼 は一度冗談めいた口調で言ったものだ。. . . . 彼女たちの場合は一足す一足す一足 す一が四にならないんですよ、と。じゃあ、いくつになるんですか? とわたしは 三か五を予想しながら言った。ただの一足す一足す一足す一なんです、と彼は言った」(341)。この発言は何を示しているのだろうか?/【トピックリスト14】
この箇所については、「女性にとっては」一足す一足す一足す一がただの一足す一足す一足す一である、という点がポイントになっています。すなわち、妻は妻でしかなく、女中は女中でしかなく、侍女は侍女でしかない。与えられた役職は女性たちにとっては交換不能なものなのだ、と解釈できるでしょう。この発言を通して司令官が意図しているのは、三月うさぎさんも指摘してくださっているように「男から見た女は交換可能で足すことが出来る」という裏のメッセージだと考えられます。物語に引きつけて解釈すれば、司令官にとって侍女は侍女だけでなく愛人にもなり得る、ということでしょう。
(9) 本作において、唯一繰り返されているのは「夜」の章である。オブフレッドにとって、夜はどのような時間だろうか?/【トピックリスト20】
夜の章が唯一許された自由な空想の時間である、ということは発表内でも述べたとおりなのですが、この章立てについて三月うさぎさんが、オブフレッドの語りを文字起こしした未来の歴史家たちの存在を含めて考察してくださっています──「テープから文字起こししたピークソート教授とウィエド教授が、推測で時系列に並べると同時に、章の名称をふったのか? だとしたら、なぜ「夜」という章名が何度も繰り返される?」。本当にその通りだと思います。章立てに目を向けた途端、「歴史的注釈」を踏まえたメタ読みにぎこちなさが生じてしまいますよね。加えて、未来の歴史家らが「夜」とタイトルをつけて何度も繰り返していると考えるのもどこか不自然です。「夜」の繰り返しによって、タイトル付きの章立てそのものが、作家であるアトウッドのみが可能とする領域であることが強調されているように思いました。
(文責:京都大学 人間・環境学研究科博士後期課程 杉本はなな)
第13回案内
🌟開催日時:2026 年 5 ⽉ 22 ⽇(⾦)20:00〜22:30
🌟講師:杉本はなな (京都⼤学 ⼈間環境学研究科博⼠後期課程)
🌟テキスト:マーガレット・アトウッド 『侍⼥の物語』⿑藤英治訳、ハヤカワ epi ⽂庫、2021 年
🌟お問い合わせ先:workshop.stephens[at]gmail.com ([at]を@に置き換えください)
2026.7.5 第5班班別会議
第5班判別会議を人文知共創センターにて2026年7月5日(日)に開催した。第5班は今年度より再編成されたため、改めてプロジェクト全体の基本構想と各研究班の位置づけの確認を行った上で、各メンバーの研究紹介と最終年度に向けての方向性、第5班企画について相談した。
中村靖子(ドイツ文学・思想史)
「人間を作る技法/人間を解体する想像力――ハビトゥスの形成と変容、言語と機器の〈共進化〉」
本プロジェクトでの研究の出発点として、ロベルト・エスポジトの「人間の自然はすでに非自然的である」という問題提起がある。人間が自然に与えられた存在ではなく、言語、身体、欲望、制度、技術を通じて形成され続ける存在であるという点について、中村は、ブルデューのハビトゥス論を参照し、実践や表象が明示的なルールへの服従ではなく、身体化された傾向から生まれることを確認したうえで、言語を、意味を生み、その共有を可能としつつ変容させもする媒体であると捉え、キトラーの「書き取りシステム」という発想、スローターダイクの人間技法論(Anthropotechinik)を手がかりに、「人間を生むのは人間」というスローターダイクのテーゼを考察した。
池野絢子(イタリア現代美術)
池野は、西洋美術史、とりわけ20世紀前半のイタリア美術と政治の関係を中心とする自身の研究について報告した。池野は、イタリア未来派における人間と機械の関係、1960年代末のイタリアに登場したアルテ・ポーヴェラ、さらに呼吸や空気の表象に関する研究を紹介した。とくに、芸術と政治の関係を考えるうえで、身体を取り巻く空気、大気圏、呼吸、皮膜、インターフェースといった概念が重要な論点として提示された。討論では、三上晴子皮膜彫刻の概念、自己免疫疾患モデルからインターフェース概念への移行、大気圏を巨大な被膜として捉える可能性などが話題となった。池野の報告は、20世紀イタリア美術の研究を、生命、技術、政治、環境をめぐる本プロジェクトの問題意識と接続するものであり、8月の全体研究集会に向けて、呼吸・空気・被膜をめぐる議論をさらに展開する方向性が確認された。
山本哲也(臨床心理情報学)
山本は、臨床心理学および臨床心理情報学の立場から、AI、VR、ウェアラブルデバイス、デジタルツールを用いたメンタルヘルス支援の研究について報告した。報告では、うつ病の予防や再発リスクの分析、性犯罪者の再犯予防、頭痛や幸福感の予測など、複雑な健康データをAIや機械学習によって解析する取り組みが紹介された。山本は、ネガティブな思考や活動量がうつ病の再発リスクに影響すること、認知行動療法がこうした変数に働きかける方法として位置づけられることを説明し、AIが心理療法や心理教育の応用に寄与する可能性を示した。
山本の報告ではさらに、AI生成画像、VRを用いた心理療法、AIエージェントによる心理教育、子ども向けの展示・実証実験など、臨床心理学と情報技術を横断する研究の展開が紹介された。とくに、徳島の科学館等で子どもたちが操作できるAIエージェントの開発、高輪ゲートウェイでの光を用いたバイオフィードバック実証実験、関西医科大学での肥満外来へのAIエージェント介入など、今後の実証的な取り組みも共有された。また、AIエージェントの大型版は運搬が難しい一方で、60センチ程度の小型版であれば研究会等で紹介可能であることも確認された。討論では、AIエージェントやロボットが、人間の情動、身体性、対人関係、社会的課題の解決にどのように関わるかが議論された。
大平英樹(心理学・認知神経科学)
大平は、「身体化されたハビトゥス――エスポジトの免疫論と予測的処理論から」と題して報告を行った。報告では、ブルデューのハビトゥスを、社会化を通じて獲得される思考・行動・嗜好の傾向として確認したうえで、これを脳だけではなく身体全体へと拡張する必要があることが示された。大平は、エスポジトの共同体と免疫の議論を参照し、共同体が義務を共有する集団であるのに対して、免疫はその義務から逃れる、あるいは異物を排除する機能として理解されてきたことを説明した。さらに、免疫という概念がもともと法的・政治的概念であり、近代以降に生物医学の文脈で「防衛としての免疫」という身体観へと転用されたことを確認した。
報告の中心となったのは、免疫系を単なる自己・非自己の識別装置としてではなく、環境の変化、行動と結果の随伴性、報酬予測誤差をもとに身体資源を予測的に配分するアロスタティック・システムとして捉える視点である。大平は、急性ストレスによる免疫細胞の変動、NK細胞の反応、脳活動と生理反応の同時計測、報酬予測誤差と身体状態の更新などの研究を紹介し、社会的経験が脳の予測モデルを介して循環器、内分泌、免疫の応答を組織化することを示した。報告の結論では、社会的経験が脳と身体の予測的処理を通じてハビトゥスとして組織化されること、免疫系は寛容・受容と拒絶・排斥の連続体を動的に制御すること、そして反復的・持続的な刺激には馴化し、急激な変化や不連続性には反応する免疫系の特性が、社会的環境に対する身体化されたハビトゥスの振る舞いにも関わる可能性があることが示された。
秋庭史典(美学)
秋庭は、美学の制度化、情報学との接続、アートの領域における自然科学との連携可能性について報告した。討論では、美学がどのように制度化されてきたのか、また現代の芸術研究において、自然科学、情報学、環境論、技術論とどのように協働できるのかが論じられた。秋庭の報告は、アートを人文知の内部に閉じた対象として扱うのではなく、科学技術、制度、環境、社会的実践との関係のなかで捉え直す方向性を示すものであった。これは、第5班が掲げる「生政治とアート」という課題、すなわち、生を管理する制度や技術と、それに抗し、あるいはそれを変形する芸術実践との関係を考えるうえで重要な論点となった。
亀田真澄(ソビエト文化・文学)
亀田は、スラブ研究、ソビエト文化・文学、プロパガンダ、共感の概念、ソ連とアメリカの文化的・政治的関係をめぐる自身の研究について報告した。報告では、ソ連研究における社会主義と共産主義の問題、プロパガンダ研究の新しいアプローチ、クロアチアをフィールドとして選ぶ理由などが紹介された。討論では、ソ連の収容所経験とユダヤ人の収容所経験の比較、植民地主義の問題、ネクロポリティクス、被害者意識の政治化、20世紀後半以降の記憶と政治的正当化の問題が取り上げられた。
亀田の報告に関連して、12月に予定されているアシル・ムベンベ招聘の可能性や、平田によるムベンベとファノンをめぐる問題提起も共有された。とくに、暴力、収容所、植民地主義、被害者性、政治的分断といった論点は、第5班の生政治研究にとって重要な参照軸となる。亀田の報告は、ソビエト文化・文学研究を、近代以降の政治的暴力、記憶、共同体、免疫、排除の問題へと接続するものであった。
大久保美紀(美学・記号学・エコロジー)
大久保は、美学、記号学、エコロジー、技術と生命の関係をめぐる自身の研究および実践について報告した。報告では、エコロジーと技術、主体性、生命、環境をめぐる展覧会や芸術実践が紹介され、技術と生命の関係をどのように捉えるか、また現代美術が人間中心主義をどのように問い直すことができるかが論じられた。「メタモルフォーゼ」や「石に話すことを教える」といった展覧会・実践への言及があり、変容、身体、ケア、環境、技術をめぐる問題が報告の中心にあったことがうかがえる。
大久保の報告をめぐる討論では、エコロジカル・アート、ラトゥールのキュレーション実践、クリティカルゾーン、呼吸、空気、被膜といった概念が交差した。とくに、人間を独立した主体としてではなく、環境、技術、他者、生命過程との関係のなかで捉える視点が共有された。8月の全体研究集会では、大久保の発表に対して平田周と金信行がコメントを担当する予定であり、美学、都市論、アクターネットワーク理論、エコロジーを横断する議論の展開が期待される。
菅実花(芸術実践・表象文化論)
菅は、人形を用いた写真・映像作品を中心とする自身の制作について紹介した。報告では、ドールや人形を用いた作品実践が、身体、ジェンダー、欲望、視線、生命と非生命の境界、人工物としての身体といった問題にどのように関わるかが話題となった。菅の作品は、人間らしさ、身体性、人工性、生命性の境界を問い直すものである。8月の全体研究集会では、菅の発表に対して高橋英之と山本哲也がコメントを担当する予定であり、ロボティクス、臨床心理情報学、芸術実践のあいだで、人形、AIエージェント、ロボット、身体イメージをめぐる議論が展開されることが期待される。
山本哲也(臨床心理情報学)
後半のセッションにおいて山本は、臨床心理学とAIを組み合わせた自身の研究を踏まえ、菅の人形を用いた作品や大久保の技術・生命をめぐる議論に対してコメントした。山本は、AIエージェントを単なる情報処理装置としてではなく、人間の身体性、感情、対人関係、社会的実践を媒介する存在として考える必要があると述べた。
高橋英之(ロボティクス)
高橋は、ロボットが人間との関係のなかでどのような役割を担いうるのかを、共在ロボットと癒しロボットの違いに触れながら検討した。共在ロボットが知識や技能の獲得を支援する装置として位置づけられるのに対し、癒しロボットや対話型エージェントは、情動的な関係や安心感、ケアの場面に関わる。その上で、ロボットが、人間の情動や社会的関係にどのように作用するかについて発言した。山本のAIエージェント研究、菅の人形を用いた作品、大久保の技術と生命をめぐる議論は、それぞれ異なる領域に属しながらも、人間と人工物の関係、身体性の拡張、生命らしさの演出、ケアや癒しの技術化という点で接続している。
平田周(都市論)
平田は、大久保美紀の発表に対するコメンテーターとしての役割を確認した。討論では、アシル・ムベンベ、フランツ・ファノン、植民地主義、収容所経験、呼吸、地球共同体といった論点に言及し、生政治と都市論、植民地主義、環境論を接続する問題提起を行った。とくに、呼吸という概念は、身体内部の生命活動であると同時に、空気、大気、環境、政治的暴力、植民地主義的支配とも関わるものであり、池野の呼吸・空気をめぐる研究や大久保のエコロジー論とも響き合う論点であった。平田のコメントは、第5班の議論を、身体や芸術作品の内部に閉じるのではなく、都市、植民地主義、地球環境、政治的暴力の空間へと拡張するものであった。
金信行(アクターネットワーク理論)
金は、大久保美紀の発表に対するコメンテーターとしての役割を確認した。プロジェクト全体では、ハビトゥス論とアクターネットワーク理論を理論的基盤とし、人間、動物、モノ、機械、概念といった多様なアクターの関係を分析することが重視されている。ANTは、人間/社会/自然の連関を検討するうえで重要である。大久保のエコロジーと技術をめぐる議論、池野の被膜・空気・大気圏をめぐる議論、山本のAIエージェント研究、菅の人形を用いた作品は、いずれも人間だけでなく、非人間的アクターとの関係を問うものであり、金のコメントを通じて、これらをプロジェクト全体の理論的枠組みに接続することが期待される。
山本哲也(臨床心理情報学)
最後に山本は、AIエージェントと人形の技術的実装について改めて発言し、AIとの対話を社会課題の解決に活用する可能性を説明した。菅の人形作品が人間らしさや身体イメージ、人工物への感情的投影を問い直すものであるのに対し、AIエージェントは対話やフィードバックを通じて、人間の行動変容や心理教育、ケアの実践に関与しうる。この観点から、山本は、人形、ロボット、AIエージェントをめぐる議論を、技術的実装の問題にとどめず、人間が人工物とどのように関係を結び、その関係を通じて自己理解や社会的行動をどのように変化させるのかという問題として捉える必要があることを指摘した。参加者のあいだでは、これらの論点を8月の全体研究集会で継続して検討していくことが確認された。
総合討論
総合討論では、免疫、ハビトゥス、予測誤差、身体化、被膜、呼吸、エコロジー、AI、ロボティクス、芸術実践といった複数の論点が交差した。とくに、免疫を自己と非自己の単純な境界線として捉えるのではなく、連続的かつ動的な調整過程として理解する視点が共有された。また、社会的秩序や規範が身体に沈殿する過程を、脳・身体・免疫系の予測的処理と接続して考える可能性が議論された。さらに、呼吸、空気、皮膜、大気圏、クリティカルゾーンといった概念を通じて、人間と環境、身体と外部、芸術と政治の関係を再考する方向性が確認された。
最後に、8月25日・26日に予定されている全体研究集会に向けて、第5班のセッション構成、発表者、コメンテーター、時間配分について確認が行われた。また、26日午前には第5班セッションが予定されており、班全体としての研究の接続と今後の展開を確認する場となる。叢書第5巻についても説明があり、プロジェクトメンバーはいずれかの叢書に執筆していただきたいということが確認され、各メンバーの研究テーマを整理しながら、今後も班内での議論を継続していくこととなった。
第4回案内
🌟開催⽇時:2026年5月26日(火)20:00〜22:30
🌟講師:南⾕奉良(京都⼤学 ⽂学研究科)
第1部 「生成文学」研究を可能にするGenbookの開発と活用事例
▢ 開発の背景と目的 ▢ 発音・ASK AI機能 ▢ テクストへの注釈機能
▢ 本文にもとづく画像・動画・音声生成機能 ▢ 授業での活用例・学生の反応
▢ 動画生成のワークフロー ▢ エディター・モニターの募集について
第2部:質疑応答
※プログラムの内容は変更になる場合があります。
2026.6.14 第8回理論班会議

2026年6月14日(日)に、第8回理論班会議が開催された。出席者は大平徹、大平健太、鈴木麗璽、田村哲樹、金信行、鄭弯弯、中村靖子、大平英樹、葉柳朝佳音の計9名であった。本会議では、理論班の研究進捗報告、班間連携の確認、今後の企画調整が中心議題として扱われた。
冒頭、中村が4月以降の理論班の活動状況を総括した。特に、各班の研究成果を「共通のアウトプット」としてまとめる必要性を強調した。また、8月25日に予定されている全体集会および2027年5月開催予定の国際シンポジウム(テーマ:「ジェンダーと理論的連携」)の準備状況を共有し、今後のスケジュールを確認した。
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各研究報告の詳細
🌟 大平徹・大平健太(応用数学・遅れ理論)
最初の報告は大平徹・大平健太によるもので、遅れ微分方程式の厳密解とその応用に関する研究成果が発表された。 研究内容としては、遅れ理論方程式の厳密解を導出し、応用数学の新たな展開を提示したほか、折り紙工学やトポロジーの応用研究を紹介。災害時の折り畳み構造物や非ゴムタイヤの開発など、数理解析と工学・デザインの融合的研究の可能性が示された。
さらに、ChatGPTを用いた数式解析・安定性解析の自動化実験を行い、数学的ルーティン作業の効率化を確認した。AIを教育現場で活用する可能性についても議論が行われた。
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🌟鈴木麗璽(人工生命・進化シミュレーション)
鈴木は、言語を持つエージェントの進化モデルに環境要因を導入した研究を報告した。言葉を特徴とするエージェント間の競合・進化過程をシミュレーションし、環境エージェント(バイオーム)を導入することで、環境の多様性が進化の複雑性を高め、種の多様性を維持することを確認した。
さらに、LLMの進化的最適化を試み、重みパラメータを遺伝的アルゴリズムで進化させる実験を実施。知識タスクと心の理論タスクの間にトレードオフが存在することを発見した。また、内部表現の可視化(スパースインコーディング)を通じて、AIの概念構造の変化を分析した。
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🌟田村哲樹(政治哲学・民主主義理論)
田村は「脱人間中心的民主主義の可能性」をテーマに発表した。資本主義と民主主義の関係を再検討し、熟議民主主義・参加民主主義の理論的整理を行った上で、非人間的アクター(物・環境)を含む意思決定の正当性を検討した。田村は「意思決定体とは、集合的拘束を伴う正当な決定である」と定義し、拘束性の欠如は政治的決定の不完全性を示すと述べた。
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🌟金信行(経済社会学・ANT分析)
金は「NFTマーケットプレイスの形成過程と資産化のANT分析」を発表した。NFT取引プラットフォームの開発・運用過程を事例に、人間と非人間(技術・装置)の連関をANT的視点から分析した。研究では、概念実証からC2C実装、商品拡張に至る段階的開発プロセスを追跡し、AIによるNFT選別(著作権侵害防止)など非人間的アクターの介入を明らかにした。また、「探索的資産化(Exploratory Assetization)」という新概念を提案し、事業者の市場認識と技術装置の相互作用を分析した。
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🌟鄭弯弯(言語心理学・AI言語モデル比較)
鄭は二つの研究を報告した。
(1)単語の難易度と心理的要因
単語の難易度を経験的要因(頻度・形態)と心理的要因(親密度・抽象性)から分析し、ランダムフォレスト・ロジスティック回帰・構造方程式モデリングを併用した結果、両要因が相互に影響することを確認した。心理的要因が媒介する間接効果も見られ、今後は反応時間を用いた実験的検証を計画している。
(2)人間とLLMの語彙表象の比較
人間(母語話者・第二言語学習者)とLLM(ChatGPT・Gemini・Claude)の親密度評価を比較した結果、LLMは具体性に強く依存し、身体性を反映できない傾向が見られた。一方、人間は感覚・運動的要素を重視し、第二言語学習者は視覚的複雑性に依存する傾向が確認された。
文責:名古屋大学大学院人文学研究科附属人文知共創センター 鄭弯弯
2025年度
2026.4.23 感情論の最前線――人文学×認知神経科学

本ワークショップは、情動研究を人文学と認知神経科学の双方から検討し、Lisa Feldman Barrett 氏の構成的情動理論を軸として、情動史、インド哲学・ヨーガ思想、言語哲学・意味論の各領域を接続することを目的として開催された。
冒頭では、中村靖子より、AAAプロジェクトの趣旨が説明された。構成主義的な情動理解は、主体と環境との関係形成過程を重視するAAAプロジェクトの中核的関心と密接に関係するものとして位置づけられた。
続いて、大平英樹より、Lisa Feldman Barrett 氏の研究業績が紹介された。Barrett 氏は、情動研究を中心に心理学および神経科学分野で国際的に著名な研究者であり、300本を超える論文を発表し、Nature、Science、Nature Reviews Neuroscience などの主要学術誌にも研究成果を公表してきたことが紹介された。
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🌟伊東剛史(東京外国語大学):“The Significance of the Theory of Constructed Emotion for the History of Emotions: Retrospect and Prospect”
伊東:過去の情動経験を、現代の情動カテゴリーでそのまま理解してよいのかという問題提起にある。芭蕉の俳句やハムレットの独白を例に、私たちが「孤独」「悲しみ」「疎外」と読んでいるものは、過去の人々が同じように経験していた情動なのか、それとも現代的概念の投影なのかが問われた。そのうえで、情動を普遍的な生物学的反応とみなす本質主義と、情動を歴史的・文化的に構成されるものとみなす社会構成主義の限界が整理され、Barrettの構成的情動理論が、その両者をつなぐ枠組みとして提示された。特に重要なのは、情動には身体的・生物学的基盤がありつつも、「孤独」や「怒り」のような情動カテゴリーは、言語、文化、歴史的文脈、概念レパートリーによって構成されるという点である。
Barrett:伊東の発表を高く評価し、構成的情動理論を情動史に接続する意義について肯定的なコメントを行った。特に、情動を本質主義と社会構成主義の二分法だけで捉えるのではなく、身体的基盤と歴史的・文化的カテゴリー形成の双方を考慮する必要があることが確認された。また、ダーウィンの情動論をめぐって、現代心理学が歴史的テクストを現在の理論枠組みに即して読み替えてしまう危険性についても議論が行われ、歴史的文脈に即した読解の重要性が共有された。
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🌟岩崎陽一(名古屋大学):“Controlling Sensations and Emotions: What Pre-classical Yoga Masters Do”
岩崎:快を欲望し、苦を嫌悪する反応を止めることは可能かという問いを、前古典期ヨーガ思想から検討した点にある。発表では、知覚、欲望/嫌悪、意志、行為という心と行為の連鎖が示され、介入すべき地点は行為そのものではなく、知覚が欲望や嫌悪を生み出す段階であるとされた。『バガヴァッド・ギーター』では、悲嘆や絶望を直接制御するのではなく、その原因となる成功/失敗、得/失、快/苦といった二分法的評価を弱めることが重視される。この態度が「平等視」または「非差別的態度」である。結論として、欲望なしに行為し、その結果に執着しない実践を反復することで、感覚対象に対する情動反応そのものが次第に変容しうるという可能性が提示された。
Barrett:前古典期ヨーガの経験主義的側面に注目し、情動や痛みを線形的な「刺激→感覚→評価→行為」のモデルだけで理解するのではなく、過去の経験に基づく予測、カテゴリー化、行為計画の過程として理解する必要があると述べた。慢性疼痛やマインドフルネス瞑想に関する議論も行われ、苦痛を一枚岩の「苦悩」として捉えるのではなく、より粒度の高いカテゴリーとして再構成することにより、経験そのものが変容しうる可能性が示された。
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🌟和泉悠(南山大学):“What Does Emotional Language Mean? Dehumanizing Speech as Hierarchy Update”
和泉:情動的な言語表現は、単に感情を表すだけでなく、社会的関係や階層を更新する働きを持つという点にある。発表では、罵倒語、感嘆詞、卑語、敬語、反敬語、非人間化表現などが取り上げられ、これらは通常の記述文のように真偽で評価されるものではなく、話者の態度や発話状況に関わる使用条件的意味を持つと説明された。特に、敬語は相手を社会的に上位に置き、反敬語や侮蔑表現は相手を下位に置く働きを持つ。また、動物名を用いた非人間化表現は、対象者を「人間より低い存在」として位置づけることで、単なる悪口を超えて、社会的・存在論的な階層構造を言語的に更新する表現であると論じられた。
Barrett :「何がその表現を情動的言語にしているのか」という根本的な問いを提示した。これに対し、和泉は、情動言語というカテゴリーが自然言語の中に明示的なラベルとして存在するわけではなく、話者が情動的・表出的に負荷された表現として直観的に捉える表現群を、意味論・語用論の観点から分析していると説明した。議論を通じて、情動言語は単に話者の感情を表出するだけでなく、聞き手との社会的距離、上下関係、親密性、侮蔑、排除を操作する機能を持つことが確認された。
### 総合討論および Barrettのコメント
総合討論では、三つの発表を通じて、情動をめぐる人文学的研究と認知神経科学的研究の接続可能性が検討された。Barrettは、各発表に対して、分野横断的対話の重要性を強調した。特に、情動を研究する際には、心理学や神経科学だけでなく、歴史学、哲学、宗教学、言語学が提示する概念的・方法論的問いを取り込むことが不可欠であるとされた。情動は、脳内の固定的反応でも、文化的言説だけでもなく、身体状態、概念、言語、歴史、社会的関係が相互に作用する構成的現象であるという理解が、ワークショップ全体を通じて共有された。
文責:名古屋大学大学院人文学研究科附属人文知共創センター 鄭弯弯

