2024.3.14-15 国際シンポジウム「Anthropocene Calling: Human, Philosophy, Technology and Arts in the Age of Anthropocene」

 2024年3月14日から15日にかけて、イタリアのローマ大学トル・ヴェルガータ校にて、国際会議「Anthropocene Calling: Human, Philosophy, Technology and Arts in the Age of Anthropocene」が開催された。「地球に対する人間の不可逆的な影響力が無視できなくなった時代」を意味する「人新世」の問題に取り組むためには、必然的に分野間の垣根を超えた学際的な研究が求められる。このシンポジウムは、タイトルの通り、「人新世」という巨大な問題系を多面的な観点から検討する場として設けられ、議論の俎上に載せられた主題は自然、技術、言語文化、芸術と多岐にわたった。AAAグループ第5班とローマ大学トル・ヴェルガータ校を中心とする研究者たちが参加したこのイベントは、「人新世」というテーマにおいても、日本とイタリアの研究協力が意義深いものであることを示すものであった。

 シンポジウムの各セッションに先駆けて、ローマ大学トル・ヴェルガータ校の人文学部学科長ロレンツォ・ペリッリ教授から歓迎の辞が述べられ、続いて日伊両国の研究代表者であるジュゼッペ・パテッラ教授と中村靖子教授から開会の挨拶が行われた。本シンポジウムの導入となった両名の挨拶において、この会議の問題意識と趣旨が説明され、「人新世」について学術的に取り組むことの意義と目的が共有された。

 以下では、それぞれのセッションを逐一たどるのではなく、筆者が便宜的に腑分けした三つの論点から、本シンポジウムの概要を再構成し、報告することとしたい。各セッションの発表内容とその後の質疑応答で交わされた議論は、きわめて広範囲なトピックに及び、濃密な展開を示したために、下記の要約から漏れてしまう事項が多々あったことあらかじめ断っておく。シンポジウムの参加者については、報告文末尾にリストを付しておく。(各登壇者の氏名は敬称略とする)

 「人新世(anthropocen)」という言葉は、「人間の(anthropo-)」という接頭辞から構成されている。すなわち、人間という地球の歴史から見ればちっぽけな存在が、地質学的レベルで看過できない影響力をもつファクターとして存在感を増してきたという認識が、「人新世」には含まれている。セッション1におけるジュゼッペ・パテッラの発表は、M.ハイデガーの「世界像の時代」を下敷きに、主体と客体とが決定的に分離していく近代的な認識の問題点を確認しつつ、人間中心主義の乗り越えを目指す「人新世」の可能性を現代の幅広い思想的潮流を手がかりに示した。ここで指摘された「人新世」が含意する普遍主義(universalism)の問題性については、セッション3のヴィンツェンツォ・クオーモの発表においてさらに深く論究された。クオーモは、人新世にまつわる実験的活動について、政治的アクティヴィストの路線と共生的スペクトル(Symbiotec-spectral)の路線の二種類に分類したうえで、ミシェル・セールの哲学に触発された「寄生(parasite)」の概念に着目した。「人新世」を思弁的に論じる現代の潮流に触発されたこれらの発表は、研究領域を横断する本シンポジウムの土台となるものであった。

 他方で、「人間」概念の問い直しは、われわれの心理的、認知的、環境的条件を明らかにする研究によって議論が深化された。セッション1の中村靖子と大平英樹、セッション2のフランチェスコ・カンパニョーラによる発表は、こうした問題意識を共有していたと言える。人間特有の感情表現、とりわけ文学におけるそれを、機械学習によるデータ分析を用いて解析した中村の発表は、文学表現とその翻訳における感情の分布を数値的なモデルを通して可視化した。感情を人間に専有された神秘から解放し、データの連なりとして読み解く分析手法は、次の時代の「人文学」――人間についての学――のあり方の一つを指し示している。大平は、人間の心理的機能の根幹に予測的プロセスが介在するというテーゼを、豊富な資料によって説得的に論証した。認知機能の盲点をつく錯視などの事例は、人の意識がいかにすでに獲得された知識や習慣によって構造化されているのかを示している。ところで、人はまた彼らを取り巻く環境にも依存しながら自己を形作っていく。カンパニョーラの発表は、まず聖ヒエロニムスや聖アントニウスなど西洋の文化圏に広がる「荒野の心性」へと言及しつつ、その後すぐさま踵を返して、和辻哲郎の風土論、花田清輝の砂漠論といった日本の文芸批評へと視野を広げていった。人間の意識やものの見方が、それ自体で存在するのではなく、外部や内部――ここでいう「内部」は、主体によって飼いならされた馴染み深いものではなく、無意識のような他者として現われてくる内部である――との相互作用のなかで生まれ、涵養されていくという認識は、「人新世」というテーマと共鳴しないながら、シンポジウムの通奏低音のように響いていた。

 人新世は、人間が歴史的に肥大化させてきたテクロノジーの暴力がその誘因の一つになっていることから、理論的、実践的、双方の観点からの技術論の検討を割けて通ることはできない。発表者のなかでも、とくに壮大な技術文化論を展開したのは、セッション5のロベルト・テッロージであろう。彼は、大胆にも、「人新世(anthropocene)」ではなく、「技術新世(technocene)」なる語の採用を提案する。人類の歴史を決定づけたのは、人間の文化活動というよりは、むしろあらゆるエネルギーの流れを最適化し、コントロールしてきた「テクロノジー」の運動それ自体にある。近年のヴァーチャルリアリティの利用可能性を臨床カウンセラーの立場から報告した山本哲也の発表は、現代社会がテッロージの構想する「技術新世」論に接近しつつあることを告げている。実物の人間の身体をスキャンすることで作成したヴァーチャルなアバターを心理カウンセリングに応用する試みは、機械と生命体の境界線が融解した世界がすでに現実となりつつあることを物語っているのであろうか。

 とはいえ、そうした技術の進歩を野放しにしておけば、社会のいたるところで種々の混乱を招くことは目に見えている。最先端のテクロノジーに対して反射的に寄せられる感情的な拒絶になびくことは、新たな文化の創出を阻害する不毛な反動のそしりを免れないが、かといって安易な技術信奉論にもそれなりのリスクが伴うものである。セッション4のマリオ・ヴェルディッキオの発表は、新興の技術に不可避につきまとう「社会技術的盲点(sociotechnical blindness)」を人新世にも当てはめ、新時代の到来をセンセーショナルに喧伝するスローガンに潜む社会実践的な陥穽を指摘した。また、セッション5に登壇した報告者(二宮)の発表も、ドイツの美術史家アビ・ヴァールブルクの思索に即しつつ、人間が作り上げてきた文化からあらゆる熟慮の余地を簒奪していく技術の暴走を批判的に検討するものであった。ヴァールブルクの技術文明批判の背景には、ネイティヴ・アメリカンの神話的思考に対する民族誌的・図像論的な読み直しがあったが、テクロノジーが破壊したのはまさにそこに息づいていた世界の意味を掴み取るための「思考の空間」である。技術と人間のあいだの緊張状態を解きほぐし、その両者の関係をどのようにとらえなすのかという問題は、「人新世」の時代の喫緊の学術的課題である。

 人新世は、地球規模での環境破壊・環境汚染への危機意識にもとづいている。1950年代以降、大量生産・大量消費、核燃料の開発、生態系の破壊などが進展するにつれて、惑星の滅亡につながる最悪のシナリオを避けるための最低限の倫理の必要性が、専門家やアクティヴィストによってたびたび唱えられてきた。時代の流れに人一倍敏感な芸術家たちは、科学者や政治家とは別のかたちで、地球環境やエコロジーの問題系を自分たちの取り組むべき対象として見出してきた。池野絢子は、20世紀美術における「呼吸」や「空気」というテーマについて発表された。とりわけ60年代に活動した、ジュゼッペ・ペノーネと三上晴子の二人を取り上げて、かたやイタリア、かたや日本を中心に作品を発表してきた両芸術家が「空気」にいかなる意味を見出したのかが豊富な作例とともに示された。日本の写真家畠山直哉の写真シリーズを「人新世」の時代の風景として読み解く武田宙也の発表も、やはり地球環境を普段とは違った視点から切り取る芸術家の感性に肉薄していくものであった。畠山作品のなかに結晶化したイメージは、奇妙な仕方で交錯する自然と文化の接触と葛藤を描いている。

 われわれを取り囲んでいる自然を表象する芸術といえば、ながらく風景画というジャンルが西洋文化で重要な役割を果たしてきた。イギリスの風景画家ジョン・コンスタブルの代表作《乾草の車》に対するアクティヴィストの抗議運動から出発したパオロ・ダンジェロの発表は、「風景(landscape)」という語の持つ否定的なコノテーションへの批判を紹介しながら、それに「環境(envrionmental)」が対置されてきた経緯をイタリアの文脈に即して説明した。しかしながら、文明の美意識が内面化された「風景」をより現実の自然に近い「環境」に置き換えればよいというほど事態は単純ではなく、ダンジェロは20世紀の風景美学者ロザリオ・アッスントの先駆的な仕事にうながされつつ、風景と環境の二項対立を脱却する方向性を示した。続く岡田温司の発表は、さらに時代を遡り、19世紀から20世紀初頭の著述家のなかにエコロジー思想の一端を探求するものであった。アレクサンダー・フォン・フンボルト、エルンスト・ヘッケル、エリゼ・ルクリュという三名のテクストと実践は、かたちは異なれ、それぞれの仕方でエコロジカルな美学の萌芽を提示している。植民地主義と裏腹に、フンボルトを惹きつけたエキゾチックな風景画、ヘッケルの独自の自然哲学にもとづく、見るも美しい生物のイラスト、ルクリュの構想した「ブルー・マーブル」(1972年にアポロ17号から撮影された青い地球のイメージ)をも思わせる巨大なジオラマ装置。19世紀の思想家たちの脳裏に渦巻いていた地球という惑星のイメージは、文化史的に興味深いだけでなく、今日求められる新たなコスモロジーを模索するうえでも示唆に富んだものである。

 今回の国際会議では、AAAグループ第5班の研究者が中心となって組織したこともあり、人文学における「人新世」のインパクトについて論究されることが多かった。さらに、芸術や技術を含めた文化史を「人新世」という観点から検討する機会を得ることができた。総じて言えば、「人新世」というキータームが多様な研究領域をつなぐ結節点として作用し、新たな知的探求を促すものであることを確認できたことが大きな収穫のひとつであったと言えるだろう。

 国際シンポジウムとは別に、今回のイタリア会議の合間をぬって、ロベルト・エスポジト氏との面会も実現することができた。第5班の主要トピックである「生政治」は、彼の哲学的仕事が一つの着想源となっている。かつてエスポジト氏が所長を勤めていた、ナポリにある「イタリア哲学研究所(Istituto Italiano per gli Studi Filosofici)」の歴史ある建物を案内してもらい、その後、氏のご自宅で小一時間ほど歓談し、近くのレストランで昼食をともにした。「コムニタス(ともに生きること)」の思想家ならではの、溢れるほどの歓待の精神をもった優しい人柄を、その一挙手一投足から感じ取ることができた。今後、エスポジト氏とのさらなる研究協力が期待される。

 今後の展望としては、今回のシンポジウムで深めることのできた「人新世」についての知見を、AAAプロジェクトの他の研究班にフィードバックしていく必要があるだろう。今回の国際会議は、参加者の都合上、人文学の立場から「人新世」について議論することが多かったが、自然科学や社会科学の幅広い視野を交えることで、学際的な研究プロジェクトの強みを発揮することができる。科学的な分析概念、社会実践の指針となる標語、創造的な芸術的活動の原動力など、多様なレイヤーをもつ「人新世」に、学術的な深みを与え、より広範な議論へと拡張していくためにも、今回のシンポジウムはきわめて貴重な足がかりとなった。今後、研究プロジェクトでは、本会議をもとにした論集の出版を予定しており、これを機にさらなる研究の発展が期待できる。

🌟【シンポジウム 参加者リスト】

-Yasuko NAKAMURA, Professor, Nagoya University

-Giuseppe PATELLA, Associate professor, University of Rome Tor Vergata

-Hideki OHIRA, Professor, Nagoya University

– Francesco CAMPAGNOLA, Principal Investigator, University of Lisbon

– Hironari TAKEDA, Associate professor, Kyoto University

– Paolo D’ANGELO, Professor, University of Rome Tre,

– Atsushi OKADA, Professor, Kyoto Seika University,

– Vincenzo CUOMO, Director, Review “Kaiak”

– Mario VERDICCHIO, Researcher, University of Bergamo

– Tetsuya YAMAMOTO, Associate professor, Tokushima University

– Roberto TERROSI, Researcher, University of Rome Tor Vergata

– Ayako IKENO, Associate professor, Aoyama Gakuin University

– Nozomu NINOMIYA, PhD candidate, Kyoto University

(文責:京都大学大学院人間・環境学研究科二宮望)

2024.3.31 第4回全体集会 セクシュアリティの多様性班セッション

 鳥山先生は、「言語のジェンダーと作家のセクシュアリティの関係性」について、文法上の性・脚韻の性・詩のリズムとジェンダーおよびセクシュアリティという3つの観点からご報告されました。文法上の性については、「夜」は多くの言語や神話で女性と結びついている一方、「月」は言語・神話間で性のゆらぎがあるとのことでした。脚韻の性については、男性韻と女性韻に関する言説は歴史的に変遷しており、16世紀では男性優位・女性蔑視であったのに対し、18世紀では両者のバランスをとろうとする傾向が出てきたとのことでした。詩のリズムとジェンダーおよびセクシュアリティについては、従来忌避されてきた11音節詩句を用いて詩作した詩人の系譜をたどり、それぞれの詩人の詩について詳しくご解説されました。最後には、文学・絵画における「両性具有」のテーマにも触れられました。

 ボーヴィウ・マリ=ノエル先生は、「簡潔さのレトリックと女性差別」について、主に明治時代の日本のアフォリズムに焦点を当ててご報告されました。中江兆民・幸徳秋水・森鴎外といった明治の文学者が編纂した格言集の原本を調査し、西洋の「misogyny (女性嫌い)」に関するアフォリズムが日本でどのように受容され、どのように政治とかかわってきたのかということをお話しされました。明治時代には主に「金言」と訳されていたアフォリズムですが、大正時代になると「警句」と訳されることが一般的になり、アフォリズムの役割が教養的なものから読者を面白がらせるものへと変わっていったとのことでした。

 立木康介先生は、現代社会が抱える「対象のモノ化、モノの対象化」という問題について、何人かの文学者や哲学者の言説を手がかりに論じられました。プルーストが作品で描いている「近さのなかの遠さ」という主題は、ハイデガー哲学における「物理的な近さは心理的な近しさをもたらさない」という認識と通底しており、現代社会のさまざまなメディアは「他者」(対象)との距離は縮めるが「近しさ」はもたらさないという点で、「対象のモノ化」を引き起こしているとのことでした。この「対象のモノ化」という現象を追求した人物として、ドゥボール、デュアメル、アガンベンにも言及されました。また、ゴミ屋敷問題に典型的に見られるように、近しい「他者」の喪失が「モノ」にとってかわられる「モノの対象化」も現代社会の病理だと指摘されました。

 坂口菊恵先生は、「トップダウン/ボトムアップで見るセクシュアリティとジェンダー」という題で、とくに自閉スペクトラム症に焦点を当ててご発表されました。従来は主に男性ホルモンの過多という「超男性脳仮説」によって説明されてきた自閉スペクトラム症ですが、「自由エネルギー理論」を導入することで、自閉スペクトラム症の人の脳のはたらきとトランスジェンダーや統合失調症の人の脳のはたらきに共通項を見出せるなど、より多くのことが説明可能になるとのことでした。また、創造性と神経発達症・精神疾患・性自認のゆらぎとの遺伝的なかかわりについて、親が従事する創造的な分野によって子供の得意な分野の偏りがあるのかということを今後は調査されるとのことでした。

 発表後の討論では、「文学者が天才的な作品を書いた理由は脳の発達特性によって説明できるか」「男女の身体性の違いは言語における性の分割に反映しているのか」といった議題について、活発な議論が交わされました。

(文責:京都大学文学研究科 博士課程2年 楠元淳平)

2024.3.31 第4回全体集会 理論班セッション

 金信行先生は現在までの研究成果として、H. ミアレの論文『ホーキング Inc.』(2014)を基に、科学技術社会論(Science, technology and society, STS)におけるアクターネットワーク理論(Actor-network-theory, ANT)の役割について提案されました。金先生は、知識生産におけるAI技術と人間の関係を考察する上で、人間・非人間を含めた声なきアクターを、知識生産のネットワークを構成するものとして捉え直す枠組みとしてANTの重要性を指摘しています。また今後の目標として、ブロックチェーンとそれを基盤とするNFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)が、デジタルアートにもたらす影響についてELSI(Ethical, Legal and Social Issues: 倫理的・法的・社会的課題)の観点から研究するという展望を示されました。

 討論ではアクターネットワーク理論による記述の限界が指摘され、それをいかにして乗り越えるべきかが議題となりました。

 田村哲樹先生は、「「方法論的国家主義」なき熟議的民主主義のために」というタイトルで、従来の熟議システム論についての批判的な考察を発表されました。熟議民主主義の現実的な制度化を検討する上で、これまで熟議システム論の立場からはフォーラム中心的な熟議民主主義の捉え方が批判されてきました。田村先生はこうした批判の意義と射程を確認した上で、そこでもなお国家や政府を中心とした民主主義観が前提とされていることが指摘され、そうした方法論的国家主義を乗り越えるために、従来の「マクローミクロ」図式によらない、「同時並行的」に作動する複数の熟議システムという、修正された熟議システム論を提案されました。

 討論では、熟議システムの構成単位について疑問が投げかけられ、いかにして熟議システム論においてシステムの境界線を規定するのかについて議論がなされました。

 大平徹先生・大平健太先生は、手に乗せた棒のバランスを取る課題や、目を閉じた状態で身体を直立に保つという課題において、身体に一定のリズムを持った刺激を与えることが課題の実行を容易にする場合があることを示した実験を紹介し、生物にとって自己フィードバックの遅れが持つ積極的な意義を考察されました。また、複数の振動による遅れの相互作用が個々の振動よりも遥かに大きな振動を生み出す現象を数学的に記述する試みとして、解を持たないとされる従来の遅れ微分方程式に対し、解を持つ、あるいは高い精度で解を推定できる新たな遅れ微分方程式を提案されました。

 討論では、ノイズとなる刺激を与えることがクローズドなフィードバックループ(鋭敏性)を緩める働きを持つという点に関心が集まりました。

 鄭弯弯先生は、「文学作品の感情分析の予備実験」と題し、既存の言語モデルが文学作品の感情分析に適応可能かを検討した研究を紹介されました。『グリム童話』「七羽のカラス」の日本語テクストについて、複数の言語モデルを用いて文ごとのセンチメントスコアを算出し、それぞれのモデルによって算出されたスコアを、テクストから読み取れる感情の変化、及び各文のベクトルと比較し、それぞれの言語モデルの特徴や欠点を指摘するとともに、文学作品の感情分析に適した新たな言語モデル構築を構築する必要性やそれに向けての課題を示されました。

 これに対しオーディエンスからは、テクストの感情分析において「感情」とはだれの感情なのかという疑問が寄せられ白熱した議論が交わされました。

 平田周先生は、この研究会の理論的柱となっている、ブルデューとラトゥールの2つの社会学的立場をどのように調停するべきかという問題について報告されました。平田先生は個人の行為に先立つ知覚や評価の図式が社会環境によって形成されると主張するブルデューの「社会的なものの社会学」と、人間と非人間のアクターの「集合体」の記述によって社会を捉えようとするラトゥールの「連関の社会学」を比較して両者の争点をまとめ、両者の議論を接続する必要性があることを示し、その接続のための条件についての考察を発表されました。

(文責:大阪大学 人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)

2024.3.30-31 2023年度全体研究集会(春)

 2022年8月11日、12日に最初のキックオフミーティングが開催されてから早くも1年半。2024年3月30日、31日に全体研究集会が開催されました。

 現在進行中の研究も、一部では成果のまとめ、発表が盛んに行われるようになってきました。その一つが、2024年3月14日から15日にかけてローマ・トル・ヴェルガータ大学にて「Anthropocene Calling」と題したローマ国際会議です。今回の全体研究集会では、京都大学の二宮望(RA)さんより報告がありました。

失われたラファエロ・サンティ(1483年~1520年)の素描にもとづく、16世紀(1475年ごろ~1534年ごろ)の版画家・マルカントニオ・ライモンディの版画《パリスの審判》
フランスの画家、エドゥアール・マネ(1832年~1883年)による《草上の昼食》。ラファエロの《パリスの審判》の右下に描かれている3名を参考に制作されたとされる

 日本からは、中村靖子先生、大平英樹先生、武田宙也先生、池野絢子先生、山本哲也先生、二宮望先生、岡田温司先生(本プロジェクトによるご招待)が参加しました。ローマ国際会議では、「人新世」のあり方を浮き彫りにするようなそれぞれの研究が発表され、活発な議論が交わされました。そのうちの一つ、二宮さんの発表は、美術史家・ヴァールブルクの研究についてでした。盛期ルネサンスを代表する画家・ラファエロが描いた《パリスの審判》をもとに、同時期の版画家・ライモンディによって制作された銅版画があります。19世紀の画家・マネはこの作品を参考にして《草上の昼食》を描き上げました。これを見たヴァールブルクは、時代を経るごとに太陽の神や雷の神といった、神の存在が描かれなくなっていくことに着目。ここに、科学の進歩によって自然を飼いならしていく様を見出したのでした。二宮さんは、「神が描かれなくなっていった背景にはもっと複雑な事情があるのでは」、と話しつつも、ヴァールブルクを例に文明と自然の変わりゆく関係性について話題提供を行いました。

 全体研究集会ではその後も大変興味深い発表と活発な議論が続きました。南谷先生がオーガナイズした第3班の発表では、奈良先端科学技術大学院大学の日永田智絵先生、大阪大学の大道麻由さんがご来訪されました。それぞれ、「感情モデルの開発~感情理解に向けた構成論的アプローチ~」、「物語を共有するロボット」と題した研究発表が行われました。

 2024年度も、ハワイパネルや世界哲学会議など、世界をまたにかけてAAAプロジェクトメンバーが活躍する予定です。

(文責:綾塚達郎)

2024.2.22 第3班の第5回班別会議

2024年2月22日、オンライン(Zoom)にて第3班の第4回班別会議が開催されました。(参加者/敬称略:池田慎之介、和泉悠、大平英樹、ソニア・ザン、鄭弯弯、中村靖子、南谷奉良、宮澤和貴)本班別会議では各班員の2023年度の進捗報告に加えて、班員である宮澤和貴先生が登壇される共催企画の第6回終わらない読書会についての打ち合わせ、次期テキストマイニング講習会及び叢書刊行企画会議の日程調整が行われました。2023年度の第三班の活動成果は極めて順調で、ロボット、生成AI、痛みと可傷性、主体化と言語獲得のモチーフを通じて、当初の目的である班員間の異なるディシプリンを研究内容面で関連させることが実現しつつあります。また、予定していた年2回の班別研究会議と第4班との合同研究会も実施することができ、着実に人文知と自然科学の連携が取れてきていることを実感できています。

🌟南谷奉良

2023年5月31日に実施したテキストマイニング講習会(講師:鄭弯弯氏)と第3・4班合同企画『悪口ってなんだろう』(和泉悠著)合評会の成果を通して、Kazuo Ishiguro, Klara and the Sunについてのテキストマイニング分析を8月27-28日の第3回研究集会で発表した。業績成果としては、第三班のキーワードである「痛み」に関連した論文を、京大英文学会誌のAlbionに投稿し、2023年11月に掲載された。共催企画の「終わらない読書会」の第5回目を実施し、伊藤琢麻氏(ソルボンヌ・ヌーヴェル大学博士課程)と、コメンテーターとして森田俊吾氏(奈良女子大学・専任講師)を招聘して若手研究者のネットワークの拡大を図り、生成AIによる作詩の可能性とダダイズムの特質を議論した。同読書会については第6回目を3/15に開催し、本班員の宮澤和貴氏を講師として、Klara and the Sunをロボットの言語・概念学習の観点から読みなおしを行う予定である。人工知能関連では、人文知を活用した生成AIをテーマとする京都大学公開シンポジウムを12/10に開催し、オーガナイザーを務めた。同シンポジウムには、AAAの第5班の山本哲也氏をパネリストの一人として招聘し、科学技術史、ゲーム文化学、地理学、英文学、臨床心理学・心理情報学の観点から、生成AIの多様な応用可能性と諸問題について議論を行った。生成AIについては開発の速度が極めて早いことから、関連する主要な出来事と応用可能性と問題についてフォローアップする必要があり、「孤独とロボット」の問題を研究しているソニア・ザン氏(大阪大学人類学部招聘研究員)にニュースのリスト化作業を時系列順に進めてもらっている。

🌟和泉悠

2023年前半に開始した、児童向けアニメ作品『ひろがるスカイ プリキュア』『ポケットモンスター』の会話文書き起こしデータの作成を後半においても進めた。それぞれ30話程度の書き起こしを行い、あわせて1万5000件程度の発話データを収集した。今後分析を進めていく。

 デジタル社会における有毒・有害な言語についての研究成果をまとめ、AAAの他のメンバーとともに国際会議にて発表する準備をおこなった。2024年度に開催される2つの国際会議に、要旨を提出し、採択された(World Congress of Philosophy in Rome 2024年8月、The 12th East-West Philosophers’ Conference 2024年5月)

 ヘイトスピーチといったオンライン上の有毒・有害な言語に対抗するひとつの手段として、ホープスピーチと呼ばれる言語の側面についての研究が英語や南アジアの言語を対象として始まっているが、日本語を対象とした研究はまだ存在しない。そこで日本語YouTubeコメントで構成されるデータセットを作成した。その成果は言語処理学会30回年次大会(2024年3月)で発表される。

🌟池田慎之介

2023年度は、2022年度に実施した2件の研究を査読付き国際誌に投稿した。1件はSocial Psychology and Society誌に採択となり、現在印刷中である。もう1件はPsychologia誌に採択され、既にAdvance online publicationとして公刊されている。また,ChatGPTがヒトの意思決定に及ぼす影響について新たに1件の調査研究を実施し、現在得られた結果を解析中である。更に、他班の2名と共同研究計画を立て,民間財団の助成へと申請を行った。この研究は、VR環境下で個人のセクシャリティの変容を検討するものであ、AAAプロジェクトでの研究を押し広げるものとなる。加えて、今年度より着任した金沢大学において、子ども研究を行うための環境を構築した。これにより次年度からは,スムーズに子どもを対象とした実験が行えるようになった。

🌟 宮澤和貴

第41回日本ロボット学会学術講演会にてオーガナイズドセッション「OS20:大規模言語モデルとロボティクス」を開催した。1件の基調講演と、7件の一般発表が行われ、大規模言語モデルとロボティクスの接点について幅広く議論した。今後は言語に限らず視覚や聴覚、ロボットの制御についても議論を広げていく。また、性格を付与したChatGPTによる対話誘導に関する研究を進めた。ポジティブやネガティブなどの性格を付与したChatGPTを用いて、ChatGPT同士での対話実験を行い、対話相手の発言をポジティブに誘導できるかを検証した。さらに、大規模言語モデルへの罵倒に関する研究の準備を進めた。ロボットの身体に根ざした痛みの理解に先立ち、大規模言語モデルが言語的な痛みをどのように理解し、痛みを伴う言葉がどのようにモデルの出力に影響を及ぼすのかを検証する予定である。

[第6回案内]

🌟開催日時:2024 年 3 月 15 日(金)20:00〜22:30
🌟講師:宮澤和貴(大阪大学 大学院基礎工学研究科 助教)
🌟コメンテーター:日永田智絵(奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科情 報科学領域 助教)
🌟テキスト:カズオ・イシグロ『クララとお日さま』土屋政雄訳(早川書房 2021 年) (※文庫本も利用できますが、読書会での参照時には単行本に準拠します。)

中村代表が人社委員会で報告してきました

 科学技術・学術審議会学術分科会 人文学・社会科学特別委員会(第 21 回)において、中村代表が人文知共創センターの活動について報告しました。https://www.mext.go.jp/content/20240126-mxt_sinkou01-000033699_00.pdf

 これに関して、名古屋大学人文学研究科の周藤芳幸研究科長が「研究科長だより」で紹介して下さいました。

1 ⽉ 26 ⽇には、⽂科省の科学技術・学術審議会学術分科会の第 21 回⼈⽂学・社会科学特別委員会がオンラインで開催され、中村先⽣が「⼈⽂知共創を⽬指すために」というタイトルで講演をされました。せっかくなので、プログラムの全体を紹介しておくと、はじめに⼀橋⼤学経営管理研究科・イノベーション研究センターの軽部⼤教授から「我が国の⼈⽂学・社会科学の国際的な研究成果のモニタリングについて」という話題提供があり、そこでは、SciVal による分析に研究者へのインタビューを加味することで⼈⽂学・社会科学の研究成果の国際性を可視化する試みが提⽰されていました。おもしろかった(?)のは、「いまどき専⾨書を刊⾏することが研究業績になる分野があることを今回のインタビューで初めて知った」という発⾔で、これには、さっそく井野瀬久美恵さん(イギリス近現代史・ジェンダー史で有名な⻄洋史の⽅)が、「歴史学では研究成果を⼀冊にまとめることが就職にあたって重視されているが、これからは変わっていくのか」、と質問をされていました。これに対しては、「⼈社系と⼀⼝に⾔っても、体系性を重視する分野とそうでない分野(単発的な新知⾒が重視される分野)があり、前者では著書が重視されるのではないか」という返答があり、さらに様々な議論が交わされていました。とくに⽬新しい意⾒があったわけではありませんが、テクノロジー(とりわけ翻訳ツール)の進化が現状では無に等しい⽇本語で書かれた研究の国際的な評価にどのように貢献しうるのか、そもそも評価と資源配分との関係はいかにあるべき かなど、活発な意⾒交換が繰り広げられていて、なかなか刺激的でした。さて、肝⼼の中村先⽣のご報告については、とりわけ⼈⽂知共創センターの活動における中村先⽣の卓抜し たリーダーシップに対して、委員の先⽣⽅から⼝々に賛辞が寄せられていたのが印象的で、私も傍聴しながらとても誇らしく感じた次第です。中村先⽣、岩﨑先⽣、鄭先⽣のご尽⼒に感謝するとともに、引き続き部局として⼈⽂知共創センターの活動を⽀援していきたいと 考えています。

「研究科長だより 19」(2024年2月14日発信)