2024.12.7 理論班第5回会議 

2024年12月7日、名古屋大学文学部本館402室にて第5回理論班会議を開催した。

 「フロイトのテキスト分析」(中村報告)は、活動報告、今後の予定と研究進捗報告の3部構成で行われた。研究進捗報告は、コーパスに含まれる文書数の増加とそれに伴うデータ処理の進展、データの拡張による構造的トピックモデルを用いた新たな発見、トピック分析を通じた語彙解釈の試みを共有した。

 質疑応答では、前期と後期での変化があった他の思想家との比較についてコメントがあった。比較対象の選定や分析方法の妥当性について議論があり、今後の研究に向けたアプローチ法が検討された。

 「脱人間中心的な世界において「政治」はどのように可能か」(田村報告)では、「脱人間中心的な政治」の可能性について、アクターネットワーク理論(ANT)を基盤とした議論が展開された。この報告は、「政治」を人間中心的な枠組みに限定せず、モノやノンヒューマン(非人間的存在)との関係性を組み入れた新たな枠組みの可能性を模索した。

 質疑応答では、モノやノンヒューマンが政治においてエージェントとして機能し得るか、これらの要素を含む「政治」における正当性や責任の分担のあり方、モノやノンヒューマンが「政治」に本質的に貢献する可能性など議論された。

 鈴木は、まず、社会的粒子群モデルにおけるニッチ構築の概念を説明した。相互作用による環境改変とその蓄積が社会集団の挙動に与える影響を観察するために、文化的ニッチと流動的ニッチという二つの主要な要素が紹介された。続いて、囚人のジレンマと鹿狩りゲームを統合的に分析し、性格特性記述から行動傾向を抽出する試みが紹介された。

 質疑応答では、ニッチ構築の概念、主体そのものの構築、エージェントの行動が最適化されるかどうか、ニッチ構築が長期的な協力形成に与える影響と、それが他の環境要因との相互作用など議論された。

 大平健太は、今年度の論文発表と学会活動について報告し、最新の研究進捗として遅れ微分方程式における解の求めについて報告した。この研究では、遅れ微分方程式の解法における新たな手法や解析結果が提示され、今後の展望が示された。

 続いて、大平徹が、動物の表皮における模様形成のダイナミクスについて説明した。特に、成長、季節性、体温といった要因が模様の表出と消減に与える影響について詳細に解説し、シミュレーションを用いて模様形成のダイナミクスを可視化した。

 質疑応答では、大平健太の研究における遅れ微分方程式におけるパラメータの設定やその設定基準、大平徹の提示した生物学的模様形成の、他分野への応用可能性などについて活発な議論が行われた。

 「アクターネットワーク理論とブロックチェーン」(金報告)では、ANTとブロックチェーン(BC)の円滑な社会実装に焦点が当てられた。報告では、Koray ÇalışkanによるDARN(アクター、ネットワーク、装置、表象)のアプローチを用いた分析手法が紹介された。具体例(銃犯罪)を提示し、複雑な社会現象を分散的な作用の集まりとして理解する可能性が示された。

 質疑応答では、BCの活用例とその社会的意義、人間が介在しないBC、BCの実装においてアクターが果たす役割やその影響力について議論が交わされた。

 「感情分析―人間による感情判断のバイアス―」(鄭報告)は、感情分析における「データの主観性」を主な課題として提起した。この問題に対処するため、より信頼性が高いデータを抽出し、それを基に感情分析モデルの構築に取り組んだ。報告では、感情ラベル付けにおける主観性を克服する方法と、感情分析モデルのさらなる改善の可能性が示された。

 「アニミズム、ガイア、マルチスピーシーズ」(平田報告)では、アニミズムの概念とその現代的意義について説明された。アニミズムの思想的基盤としてブルーノ・ラトゥールの非近代観が挙げられ、自然と社会のハイブリッド性が強調された。また、都市を「人間だけのものではない場」として再定義し、他の種との共生が都市設計においても考慮されるべきであるという視点が提示された。

 質疑応答では、一般的な近代観とそれに基づく自然と社会の分離に関する問題、人間と非人間的行為者の関係性やその相互作用、自然と社会のハイブリッド性など活発な議論が交わされた。

 「神経ハビトゥス―ハビトゥスを生成し、維持し、変容する脳と身体のメカニズム―」(大平英樹報告)では、ピエール・ブルデューの「ハビトゥス」の概念が神経科学的視点から再検討された。報告では、脳を「予測する機械」として捉える立場から、内的モデルによる予測と実際の入力との差異(予測誤差)が行動と知覚を制御する仕組みを詳細に解説した。また、感情と身体の連携や処理流暢性などを用いて、感情の創発と意思決定において予測誤差が果たす役割が議論された。

(敬称略)

(文責: 名古屋大学人文学研究科附属人文知共創センター 鄭弯弯)

名古屋大学×金沢21世紀美術館共催シンポジウム

🌟前半の部 

2014年11月4日、名古屋大学にて、金沢21世紀美術館との共催で国際シンポジウム「すべてのものとダンスを踊って−共感のエコロジー−」が開催されました(於:東山キャンパス坂田・平田ホール)。本シンポジウムは、11月2日より同美術館で始まった同タイトルの展覧会にあわせて開催されたもので、パリ社会科学高等研究院(EHESS)のエマヌエーレ・コッチャ氏に基調講演をしていただき、ディスカッションには同館の館長である長谷川祐子氏、キュレーターの本橋仁氏、および本プロジェクトのメンバー5人が登壇しました。

 冒頭では、佐久間淳一名古屋大学副総長が挨拶をしました。「共感のエコロジー」というテーマのもと、芸術、人文学、に限らず多様な分野から研究者が集う本シンポジウムが、本プロジェクトの意義の社会発信の場となるとともに、アートと学術の連携の場として実り多いものとなることを期待する旨を述べました。

 続いて中村靖子代表が本シンポジウムの趣旨説明を行いました。「詩的に人間は住まう」というヘルダーリンの言葉を引用し、言語や音、リズムを介して他者との柔軟な関係性を築いていく人間の営みを、身体の感覚と運動を通して他者と共振する、人とモノのダンスとして理解する必要があることを述べ、本プロジェクトの目的と金沢21世紀美術館のこの展覧会に共通の問題設定を提示しました。

 その後、コッチャ氏から「Metropolitan Nature: How Nature builds Cities」という題で基調講演をしていただきました。ゲーム「ポケットモンスター」を例に、ポケモン図鑑、モンスターボールなどのハイテク機器を介して、遊びの中で自然との関わり方を学ぶ子どもたちの姿から、人と自然との精神的な関わりが常に芸術とテクノロジーに媒介されていることを示し、この観点から人と自然が関わる場としての美術館の役割についてお話いただきました。

 「共感のエコロジー」を副題に持つ展覧会では、美術館がまるで一つの都市のようになり、あらゆる生き物が、単にお互いを見せ合うのではなく、同じリズムを共有して「踊る」ような共生の場を提供するという構想が紹介されています。コッチャ氏は、「いまや話すためのテクノロジーではなく、見るためのテクノロジーが必要である」と述べ、我々が他者の目を通して見ることによって、自らの身体を超えて他者と共感する場としての自然を開くことができるとし、本シンポジウムの主題となる新たなエコロジーの思想を提示されました。

(文責: 大阪大学人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)

🌟後半の部

コッチャ先生による基調講演の後、休憩を挟んで、登壇者の方々によりそれぞれのご専門の視点から今回のシンポジウムのテーマに関するお話がされました。

・長谷川祐子館長(金沢21世紀美術館館長・美術史)

 長谷川館長は、今回のご自身の立場であるキュレーターとしての役割についてまずご紹介になり、コッチャ先生との出会いから今回のシンポジウムの趣旨である「ダンス」がどのようなヒントから得られたのかを述べられました。また、美術館の色々な役割のひとつとして、差異ばかりに注目するのではなく、共通の点を探っていく場となることが重要であると述べられました。その後、展覧会のパンフレットにも記載されているダイアグラムをもとに、展覧会のコンセプトについて説明されました。そして、実際に展示されている作品の一部に触れながら、今回の展覧会において、他の存在とどのようにダンスが踊られているのかを紹介されました。

・本橋仁先生(金沢21世紀美術館キュレーター・建築史)

 本橋先生は、「エコロジカルパラダイム―建築の観点から」と題して、建築との関連からお話されました。本橋先生は最近のトレンドである木造建築を例にあげ、建築における「環境・自然・木造」という結びつけが短絡的であり、今一度本当にそれが共生であるのかといったことを考える必要があると述べられました。本橋先生は、昨今のトレンド以前から自然との共生を目指した木造建築を行ってきた存在として、設計集団Team ZOOを挙げ、彼らの建築作品を紹介しながら、そのルーツについて触れ、自然と比率の問題がモダニズム建築にはもともと含有されていたことを示唆されました。そして、これからの課題として、自然の本質的な概念が無機質なモダニズム建築に含有されていることを再検証する必要があると述べられました。

・池野絢子先生(青山学院大学・美術史)

 池野先生は、今回の展覧会の感想と交えて以下の3点についてお話されました。まず、「物質主義の問い直し」として、資本主義の恩恵を受けた「豊かな芸術」に対抗するイタリアの芸術運動「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)」が有する資本主義の再考、人間中心主義に対する問い直しなどといった意義を今回の展覧会の作品群が、同じように持っているように感じたと所感を述べられました。次に、「大気と呼吸の芸術」として、コッチャ先生の『植物の生の哲学』からの影響にも触れつつ、ご自身の今の研究対象である呼吸、大気を用いた美術について説明されました。そして最後にディスカッションへ向けて、「共感と政治」として、マリア・フェルナンダ・カルドーゾによる《芸術の起源について I-II》を取り上げ、蜘蛛の踊りを見た際のご自身の感想も踏まえ、他者との共感の問題が他種間との政治とも関わることなのではないかと問題提起されました。

・岩崎陽一先生(名古屋大学・インド哲学)

 岩崎先生は「すべてのものとダンスを踊る―シャクンタラー」として、インドの劇作家であるカーリダーサの作品『シャクンタラー』から詩を紹介されました。カーリダーサの作品では、人間と共に植物、動物、太陽や月といった様々なものが寄り集まっているといった点が今回のテーマである「すべてのものとダンスを」ということに結びつくと述べられました。そして、翻訳だけでは理解しえないことから、原文のサンスクリットで詩を実際に詠み上げられました。最後に、植物は通常、インド思想において魂を持たない人間の仲間とはされないものであるが、植物もまた「息」をする「いきもの」であり、植物を含めた様々なものがダンスをする様子がインド思想に見いだせると述べられました。

・高橋英之先生(大阪大学・ヒューマンエージェントインタラクション)

 高橋先生は「人間と機械のダンスが生み出すふしぎな冒険」と題して、人間とロボットの関係についてお話されました。高橋先生は、人間とロボットの関係として、人間がロボットに何か「してもらう」だけでなく、人間には他者に何か「してあげたい欲」が存在することに着目し、その欲求を満たしてくれるようなロボットとそれを用いた研究結果とを紹介されました。高橋先生は、「してあげたい」と「してもらいたい」のバランスが重要だとして、コミュニケーションを媒介として制御することで、人間とロボット(機械)が対等な関係になる未来を作っていくことを提案されました。機械に依存するのではない仕組みをつくることで両者の対等な関係をつくることが、他者の主観世界を共有して、自分の世界の拡大、ひいては新たな文化を生み出すことに繋がると述べられました。

・山本哲也先生(徳島大学・臨床心理情報学)

 山本先生は「デジタルと踊る共感のエコロジー―人とバーチャルキャラクターが共鳴する時代へ」と題して、人間とバーチャルキャラクターの関係についてお話されました。まず最初に山本先生は、ダンスとテクノロジーの共通点として、「境界を越えて、人々の繋がりをもたらす」ことを挙げ、デジタル技術とダンスの融合が人間に何をもたらすのかの一例として、バーチャルキャラクターと一緒に阿波踊りを踊る「AR阿波踊り」を紹介されました。また、バーチャルキャラクターとの生活がどのような影響をもたらすのかということに関して、生成AIを活用して開発された柔軟に対話可能なバーチャルキャラクターについても紹介されました。バーチャルキャラクターとの対話による影響の検証結果として、対話前後で悩みの軽減、幸せ気分の上昇といった効果があったと報告されました。そして最後に、今後の研究の可能性として人とバーチャルキャラクターの共鳴が起こりうるということを指摘されました。

・伊東剛史先生(東京外国語大学・感情史)

 伊東先生は、シンポジウムのタイトル『すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー』に着目したお話をされました。まず、タイトルの「と」に着目し、今回のテーマにおける「と」を他の言葉に変えるとどう関係性が変化するのか、といったことを述べられました。次に、「共感」を取り上げ、「共感」が包摂や拡散などの様々な要素が表裏一体である色々な側面を有するものであると指摘されました。そして最後に、「踊って」に着目し、「舞を舞う」のような重言と促音言葉にリズム・間が生じるように感じられ、生の連続性が想起されるのではないかと述べられました。

 各登壇者のお話の後で、ディスカッションタイムが設けられました。まず、コッチャ先生が登壇者の方々のお話に応じる形でコメントをされました。コッチャ先生は、今回のシンポジウムのような大学と美術館のコラボがどのような意味を持つのかということを問題として挙げ、多様なものを学術的に1つに収束させようとする傾向が大学にはあると指摘し、新しい知のあり方を見直すことがコラボの最初に必要だと述べられました。たとえば、哲学者が現状のように本や論文を出版するのみではなく、他の表現、言語、形で表現をすることの必要性が例として挙げられました。また、高橋先生と山本先生のお話にあったロボットやバーチャルキャラクターとの関係について、人間の心理に合わせて表現しようとするような犬や猫といったペットに対する態度と似た部分があるのではないかと指摘されました。そして、「すべてのものとダンス」をするために必要なこととして、人間に共通な新しい文化、地球規模での文化、言語を作る必要があると主張し、大学がそのプラットフォームとなる必要があると述べられました。

 最後には、フロアからの質問や登壇者同士でのディスカッションが行われ、周藤芳幸先生(名古屋大学人文学研究科研究科長)の閉会挨拶をもって、シンポジウムは幕を閉じました。

(文責:名古屋大学人文学研究科博士後期課程1年 田中基規)

2024.8.19 第5回研究集会 理論班セッション 

🌟大平健太先生・大平徹先生 

大平健太先生・大平徹先生は、一つの言語としての数学の役割について報告されました。地震の予測、天気予報、コロナ感染の予測などを例に、こうした現実の事象が条件付き確率として数学的にどのように記述されるのか、さらに、予測の基礎となる予兆と、予兆の評価となる予測の結果の相互のフィードバックによって、条件付き確率がどのように変化していくのかを示されました。また、暗号の作成における数学の役割に注目し、数学を応用した技術が歴史に与えたインパクトや、現代社会を支える重要な技術への数学の応用例を紹介されました。

🌟大平英樹先生

 大平英樹先生は、「ハビトゥス(ある種の社会集団で共有される傾向性)を我々はどのように学習するのか」という問いを中心に、構成主義的情動理論の立場から、基本情動説との共通点・相違点を示しつつ、感情とそれに関連して引き起こされるアクションとの関係について分析されました。感情やコア・アフェクトの生成において情報処理の理論が援用可能であることを示した動物実験や、言語モデルを搭載した複数の人工知能(AI)エージェントをバーチャル空間で共同生活させる実験を紹介し、学習によってハビトゥスを獲得するプロセスがAIと人間において酷似している可能性を示唆されました。

🌟中村靖子先生

 中村靖子先生は、『マルテの手記』の全71の手記のうち、特に恐怖について記述した第19、第47の手記について、複数のモデルでセンチメント分析を行い、その結果をモデルごとに比較するとともに、Chat-GPTを用いた8つの感情(joy, trust, fear, surprise, sadness, disgust, anger, expectation)の判断を基に、センチメントの内容を分析する試みについて報告されました。また、構造的トピックモデルによって可視化された、フロイトの著作の主題の変遷をもとに、中期に主要なトピックとなる“Traum”(夢)、後期の主要なトピックである“Witz”(機知)に再注目し、脳内で起こる情報の圧縮と転換という観点から夢と機知の類似点及び相違点を考察されました。

🌟田村哲樹先生

 田村哲樹先生は、人間とモノやノン・ヒューマンの集合による行為や現象を、アクターネットワーク理論における「アクター」や「エージェンシー」という概念に基づいて脱人間中心的に記述する場合、政治という観点から見て人間のどのような資質が弱められるのか、反対に政治的なものとして一層強調されるものはなにかを考察されました。その際、AIやロボットが、何らかのモノやノン・ヒューマンの立場を「代表」 するという形で、AIやロボットを人間とモノやノン・ヒューマンの「媒介者(mediator)」として捉え直すことの可能性を検討されました。

🌟平田周先生

 平田周先生は、ハビトゥスの概念に反省性を取り入れ、ブルデューとラトゥールの社会学的立場を調停したこれまでの研究を踏まえ、ラトゥールが、我々に人間とは異なる生物の存在様態の探求を可能にし、世界を居住可能にするものとして主張する「習慣」という概念を紹介されました。一方で、ラトゥールとは異なる立場から世界の居住者としての人間と動物の関係を考察した論者として、バティスト・モリゾを取り上げ、我々が直面する環境や生物の危機は、自然を受動的なものとして考え、人間以外の生物を世界の居住者から除外しようとする我々の態度にあるとする議論を紹介されました。これらを踏まえ、こうしたモリゾの議論における「追跡」の概念と、ラトゥールの「翻訳」の概念の対応を指摘されました。

 討論では、以下のような観点から第5セッションのそれぞれの報告について、その展開可能性や相互の関連性が議論されました。

  • 言語モデルを搭載したAIが暮らすバーチャル空間において 個々のエージェントに固有の内部状態や個性が育まれているのか、またそれはどのようにして測定可能なのか?
  • 人間によって代弁・代理されることのない、ノン・ヒューマンによる政治について、ロボットやAIなどの人工物をノン・ヒューマンの代理として立てることはノン・ヒューマンの多様性を保証できるのか?
  • 何がハビトゥスに含まれるのか、例えば防災訓練や、コロナ禍における「新しい生活習慣はどうか?
  • ハビトゥスと文化の違いとはなにか?
  • 生物のジェスチャーや自然現象など、ノン・ヒューマン同士の非言語的(人間の言語によらない)コミュニケーションを政治という観点からどのように捉えることができるのか?

(文責: 大阪大学人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)

2024.8.19 第5回研究集会 セクシュアリティセッション 

 セッション4では「セクシュアリティ」をテーマに鳥山定嗣先生がご発表されました。

🌟鳥山定嗣先生

 鳥山先生は、言語におけるジェンダーと作家のセクシュアリティの関係をテーマとし、フランスのソネット(十四行詩)、とりわけポール・ヴェルレーヌの詩を取りあげました。言語のジェンダーには、文法上の性(男性名詞・女性名詞・中性名詞)や脚韻の性(女性韻・男性韻)がありますが、性的マイノリティの詩人たちはこれをどのように活用しているのか、「規範からの逸脱」が論点となりました。まずソネットの歴史を概観した上で、正規のソネット(4433)の構造を逆にした倒置ソネット(3344)が19世紀に現れること、美学的な意図でこれを用いる詩人がいる(Auguste Brizeuxは倒置ソネットをピラミッドに喩える)一方、ヴェルレーヌの倒置ソネットには同性愛の主題が読みとれることを、先行研究を紹介しつつ解説されました。また、鷹、白鳥、蛇などの動物のイメージに読みとれる性的含意、ラファエロ《悪魔を倒す聖ミカエル》を想起させるキリスト教的なモチーフ、さらに屈折した自意識の表現と思われる脚韻配置の変則性にも言及されました。

 質疑応答では、フランス式ソネットの特徴(イタリア式ソネットとイギリス式ソネットとの比較)が話題となりました。また、エンブレム詩やコンクリート・ポエムとも関連する論点として、Brizeuxの倒置ソネットに見られる「ピラミッド」のような文化的象徴が男性性や権力を表現する手法と結びついているのではないかという質問に対して、Brizeuxの詩は直接的にジェンダーを問題としているわけではないが、伝統的な形式を覆す美的象徴としてピラミッドという非ヨーロッパ的な形象を用いた可能性があると応じました。また、ヴェルレーヌの詩における白鳥のメタファーをめぐって、絵画ではレダと白鳥(ゼウス)のように、白鳥が男性的な性的象徴として描かれることが多いという指摘に対して、文学では白鳥が女体を暗示する場合もあり、バシュラールの指摘するように、両性具有的な象徴とみなされることを確認されました。

(文責:京都大学 博士後期課程 飯沼洋子)

2024.8.19 第5回研究集会 自然とアートセッション 

 2024年8月19日、20日に名古屋大学東山キャンパス文学部本館にて本年度第1回全体集会が開催されました。20日10時から12時にかけて、セッション3では「自然とアート」をテーマに研究発表が行われました。岩崎陽一先生が司会を担当し、金信行先生、武田宙也先生、池野絢子先生、森元斎先生の順番で発表されました。

🌟金信行先生

 金先生は、金沢二十一世紀美術館が開催する開館20周年記念展覧会「すべてのものとダンスを踊って――共感のエコロジー」(11月2日〜3月16日)における共同イベント企画の発案を募りました。またブリュノ・ラトゥール氏や長谷川裕子氏のキュレーション活動を例に、アクターネットワークを拡張していく社会思想の実践としてのキュレーションのあり方を示しました。そのほか、山梨県立大学地域人材養成センターでのイベントについての企画案も提案されました。

 質疑応答では、企画案に関して、共同キュレーターの哲学者エマヌエーレ・コッチャ氏や植物学者ステファノ・マンクーゾ氏の招聘から、特に植物や自然を中心としたシンポジウムとなることが確認されました。その際に、自然の暴力性、抑えがたさといった側面もあわせて企画に盛り込むべきだという意見がありました。また食虫植物などを取り上げ、植物の主体性やアクティブな特性を評価し、多様な植物の研究や展示企画が提案されました。

🌟武田宙也先生

 武田先生は、人新世とも関係し注目を集めているフランスの哲学者かつ精神分析家のフェリックス・ガタリの概念、「エコゾフィー(Ecosophy)」について発表されました。エコゾフィーとは心、社会、環境のエコロジーがそれぞれ相互連関している三位一体のエコロジー思想のことで、その参考例としてラ・ボルド病院を取りあげました。病院では医師と患者の二者関係ではなく、患者を取り巻く環境、人、もの、アクティビティの配置が複合的に絡み合うことで、患者の心のエコロジーに良い影響を与えると考えられ、都度、主体が新しく構築されていくような集合的な主体化が実践される拠点でした。

 質疑応答では、グループとコレクティブの差異についての議論がありました。ジャン=ポール・サルトルのグループでは人々が同じ方向を向くことで生まれる政治的方向性が求められる一方で、ジャン・ウリのコレクティブでは、その場に居合わせただけの有象無象の人々にポジティブな展望が見出されるといった説明がありました。ウリのコレクティブでは役割の固定化を避け、方向性を無化することで、常に新たな意味を持ち続けるという点が強調されました。政治学の観点からは、トップダウンの決定やアッセンブリッジの議論が、集団の多様性や可能性とどのように関連するかについても議論されました。

🌟池野絢子先生

 池野先生は、1909年にイタリアで興った未来を思考する芸術運動、未来派が提唱したマニフェストの一つ〈機械芸術宣言〉を取りあげ、機械美学をセクシュアリティの問題から検討しました。未来派は過去の芸術を徹底的に否定し、新しい近代社会の速度とダイナミズムの美を追求しましたが、戦争を賛美したために、これまで評価が難しかった芸術運動です。人間は進化すると機械と同一化すると考えていた未来派の思想は、二十世紀における進歩のイデオロギーとして捉え直され、女性の代替物と化した美しい機械に見出されるような「人間―機械」の表象における性が検討されました。さらに未来派の女性アーティストがフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティとは異なるアプローチをとったことや、芸術的な表現における女性的要素の扱いについても言及されました。

 質疑応答では、未来派の機械や戦争賛美と、近代化が遅れた当時のイタリアの現実とが合致しない点が指摘され、コンプレックスに基づく思想である可能性が示唆されました。池野先生は、未来派が現実と適合しない極端な未来像を描くことで、芸術的なビジョンを追求していたと説明しました。

🌟森元斎先生

 森先生は、芸術における暴力と欲望の関係をテーマに、キャピタリズムやアナーキズムとの関連について発表されました。特に二〇世紀初頭のアバンギャルド芸術運動(未来派、ダダ、シュールレアリスム)に焦点をあて、そのアナーキスト的側面が考察されました。ダダイストやレトリスト、シュールレアリストの活動、ベルリン・ダダとパリ・ダダの差異、フーゴ・バルの資本主義批判、ニーチェの影響についても言及されました。さらに、シチュアシオニスト・インターナショナルや映画、自然との融合についても考察し、アナーキーと芸術の関係およびその政治的影響について、議論されました。

 質疑応答では、アーティストによるコレクティブは政治的になりうるか、また、象徴化を通じて芸術がどのように影響を与えるかについても議論されました。第一次世界大戦はその重要なモデルケースであり、失敗のケースでもあります。アートと政治の関係性や、インドネシアのアーティストによるコレクティブ、ルアンルパの事例における政治性の解釈もまた重要なトピックであることが確認されました。

(文責:京都大学、博士後期課程 飯沼洋子)

2024.8.19 第5回研究集会 叢書第2巻セッション 

 名古屋大学・東山キャンパスで行われたAAAプロジェクト第5回研究集会 第1日目(2024/8/19)セッション2は、「生成AIとロボット」と題して、人間とAI、ロボットの関わりについて3つの研究成果が発表された。

🌟池田慎之介先生

 第1発表の池田慎之介先生(金沢大)はまず、第3班において個人の主体化における脆弱性の意義の解明というテーマが共有されていると述べ、プロジェクト内での班の位置付けを行った。そして、ロボットやAIというトピックを軸にして基礎的知見の共有を行なってきたとこれまでの活動を総括した。その後、池田先生は「ヒトとロボットの“主体的”な共生に向けて」と題して、ロボットとの共生における主体性の重要性を主張する発表を行った。ロボットやAIを道徳的行為者として存在させるためには主体性を付与することが必要であるとしたうえで、認知心理学者マイケル・トマセロの主体性の分類に依拠して、ヒトとロボットの共生においては、とりわけ「共有的主体性」が重要になると主張した。共有的主体性の確立には規範・道徳といったものが重要であり、さらに規範や道徳は他者の脆弱性や痛みへの共感に基づく。ゆえに、ロボット・AIにどうすれば共感できるのか、どうすれば主体的な協働者として認識できるのかを明らかにすることが今後の課題であると述べた。

🌟宮澤和貴先生

 第2発表の宮澤和貴先生(大阪大)は「言葉を扱うロボット・人工知能」と題して、ロボット・AIにおける実世界に根ざした言語の獲得をめぐる研究について報告した。世界モデルとして言語を獲得することを実世界に根ざした言語の獲得と定義したうえで、マルチモーダル情報と言語情報を統合することで概念モデルを形成して言語を世界モデルに内包させるための研究について紹介した。まず実体を持つロボットの言語学習において複数の感覚情報の関係を学ばせることで、概念の獲得が可能になる道を示した。次に実体を持たない人工知能においては事前学習によって単語の関係を学ばせることで、より汎用性の高い予測が実現できるとした。最後に、大規模言語モデルから大規模マルチモーダルモデルへの発展可能性とその意義を主張した。

🌟高橋英之先生

 第3発表の高橋英之先生(大阪大)は「現実に侵食するロボット」と題して、人間とロボットがどのような関係を築くべきなのかを論じた。高橋先生は人間には他者に合わせてもらいたいという欲求があることを示す実験を紹介したうえで、他方で他者に何かをしてあげたいという欲求も存在することを指摘し、大道麻由氏(大阪大)の「感謝してくれる家電スイッチ」を紹介した。しかしながら一方向的な関係には無理があるとして、「してあげたい」と「してもらいたい」のバランスが取れた関係をロボットと築くことが重要であると主張した。そのためには「してあげたい」と思えるような存在感をロボットが獲得し人間とロボットが対等な関係になることが必要であり、その方法として人間とは異質な存在としてロボットをデザインするべきだと提言した。方法の具体例として、ロボットの外見と物語(バックストーリー)に注目したアプローチが紹介された。最後に大目標として、虚構と現実の境界面を曖昧にして、社会構造をより動的なものに変容させたいと述べ、そのために中動態的状態を可能にする存在としてロボットを理解することが鍵になると述べた。

 発表後の質疑応答においては、ロボットの主体性に関してトマセロの説が人間中心主義か否か、主体性を獲得したロボットは政治的主体となって政治に参加できるようになるのかといった議論が行われた。また人間の予測通りに行動するロボットの是非についても議論が行われた。

(文責:京都大学大学院文学研究科博士後期課程2年 西村真悟)

2024.8.19 第5回研究集会 叢書第1巻セッション 

 8/19-20の2日間にわたり、AAAプロジェクト第5回研究集会が開かれた。初日に行われたセッション1とセッション2との目的は、AAA叢書の第1巻と第2巻の執筆担当者である先生方にその内容の構想を発表していただくことである。

 セッション1では、テキストアナリティクスがテーマとなる叢書第1巻の執筆担当者である4人の先生方による発表が行われた。

🌟鈴木麗璽先生

 鈴木麗璽先生の発表は、LLMを活用した人工社会におけるテキストの進化ダイナミクスに関する2つの分析事例の紹介である。従来の研究とは異なり、多数のLLMエージェントからなる集団を対象とした研究における出力は自然言語に基づいており、なおかつ膨大であることから、人工社会のテキスト分析に基づく理解が課題となる。1つめの事例は、会話トピックの選好性の文化進化モデルを構築し、言葉の進化ダイナミクスを分析したものである。たとえば、ポジティブ、ネガティブ、ポジティブ・ネガティブの3種の発話をそれぞれ行うように設定した多数のエージェントの動きを分析するといった実験を行うと、ポジティブなエージェントの方が集団を作りやすいことや、ポジティブな発話には「new」といった特定の語が含まれているといった傾向がわかった。こうした分析結果から、言葉の持つ特徴が集団形成のダイナミクスに貢献する可能性があると鈴木先生は述べた。2つめの事例は、LLMを活用し、ゲーム的相互作用における戦略に言葉を利用する分析である。これは、たとえば「強い動物」というようなお題のもと、それぞれ異なる動物の名前のデータを持つエージェントを競わせるとどのような進化のシナリオになるのかを分析するものである。従来の研究では相互作用に限界があるのに対し、LLMを活用したこの研究では、無数に生じうる選択肢から生じる多様・オープンエンドな進化シナリオが期待されると鈴木先生は述べた。

🌟伊東剛史先生

 伊東剛史先生の発表は、19世紀末の標本採集人に大きな影響を及ぼしたチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ラッセル・ウォレスのそれぞれの探検旅行記である『ビーグル号航海記』と『マレー諸島探検記』とに対して行った感情の動きを分析するセンチメント分析の結果についてである。伊東先生は、まずダーウィンとウォレスとの共通点・相違点について説明し、次に両者の航海記に対するセンチメント分析の結果について報告を行った。分析を行うと、たとえば、ダーウィンとウォレス、両者の旅行記はともに帰国に近づくほどポジティブになるといった結果が出た。また、伊東先生は、旅行記に対する分析結果についての検証として、喜劇であるジェイン・オースティン『高慢と偏見』と悲劇であるトーマス・ハーディ『日陰者ジュード』についても同様の分析を行った。そこに現れる感情の動きが両作品の話の展開に合致することから、旅行記に対する分析結果も信頼性があるのではないかと語った。発表の最後には、研究をより深めるために、これから検討すべきいくつかの課題についての説明がなされた。

🌟和泉悠先生

 和泉悠先生はカズオ・イシグロの小説『クララとおひさま』の翻訳に見られる「おんな言葉」について、テキストマイニングの手法を用いて分析・考察した結果の発表を行った。和泉先生は、現実の女性の「おんな言葉」の使用率との比較を行う対象として、「おんな言葉」の計量的研究として過去に行われた実態調査の結果を取り上げた。その先行研究の結果と『クララとおひさま』に登場する女性人物のセリフにおける「おんな言葉」を表す「女性的」文末形式の使用割合を比較すると、現実の女性全体では2.9 %であったのに対し、翻訳の女性人物のセリフは94 %と、両者には大きな差異が見られた。和泉先生は、この分析結果に基づき、翻訳で見られるような「おんな言葉」が現実の人間の話し方としてはほとんど見られないということは、「おんな言葉」が女らしさの強調というレベルの話に収まるのではなく、現実の人間との根本的乖離があるのではないかということを示唆した。また発表の締めくくりとして、「おんな言葉」の使用には、読者の世界観を操作する可能性をはじめとする、様々な規範的含意の可能性があるということを指摘した。

🌟劉雪琴先生

 劉雪琴先生は、中国SF作品である『折りたたみ北京』の日本語訳である中国語からの直接翻訳と英語版を経由した重訳の2つの翻訳を対象とした、比較研究についての発表を行った。劉先生の研究によると、この2つの翻訳に用いられる語種や表現には差異が見られる。たとえば、語種については、直接翻訳は中国語の影響からか、和語や混種語が多い一方、重訳は英単語をそのままカタカナにした外来語が多いという有意な差が見られた。また、他にも、代名詞の使用については、直接翻訳は代名詞の省略が多い一方で、重訳は代名詞をそのまま翻訳したり、人名に置き換えるといった差が見られるという。修飾語については、直接翻訳は原文への忠実度が高く、重訳では省略されている形容詞の使用などが見られ、多様性という点では、直接翻訳の方が重訳より高いということが読み取れた。最後に劉先生は、今後の課題として、人称代名詞の頻度に関する考察が、単なる語彙の問題にとどまらず、物語の視点や話法とも密接に関連するため、さらなる精査・検討が必要となると述べた。

 先生方の発表の後には、質疑応答・討論の時間が設けられた。たとえば、鈴木先生の発表に対して、AIを用いた人工社会の分析が、現実の人間のコピーと言えるのか、といった研究の意義・目的および人間とAIとの関係を問うような質問がされるなど、研究のブラッシュアップに繋がる議論が多く行われた。

(文責:名古屋大学人文学研究科博士後期課程1年 田中基規)

2024.8.19-20 第5回研究集会

 当プロジェクトも、期間の折り返しを迎えています。これまで数々の課題を洗い出し、検討を進めてきました。大平英樹教授が、「後半期間は、これまでの成果を踏まえて、より戦略的にプロジェクトを展開していきたい」と話すように、今後さらに加速し、新たな流れを作るフェーズへ突入します。2024年8月19日、20日に開催された全体研究集会では、各班の話題提供と活発な議論に加え、叢書の出版や金沢21世紀美術館との共催による国際シンポジウムなど具体的な成果発表の構想についても議論されました。

 白熱した発表、議論のうち、ここでは一つ、<セッション4:セクシュアリティ>における、鳥山定嗣先生のご発表について紹介します。

 鳥山先生が掲げている一つのテーマが、「言語のジェンダーと作家のセクシュアリティ」です。その検討の一つとして、フランスの詩人であるポール・ヴェルレーヌ(1844 – 1896)の詩、「良い弟子」が紹介されました。

 一見、キリスト教的な詩のように読めます。ですが、いくつかの解釈において、この詩は同性愛について読んだものと言われています。ヴェルレーヌは当時、アルチュール・ランボー(1854 – 1891)と同性愛の関係にありました。この詩は、そのランボーの財布から出てきたものです。当時世間一般に公表されていなかったことから、ヴェルレーヌからランボーへ送られた私的な詩であることがわかります。そこから、詩中の「私」はヴェルレーヌ、「君」はランボーと見ることができます。その他にも、「選ばれた私」と「呪われた私」のような両義的な表現や、鷹や白鳥という性的な意味を匂わせる動物表現、脚韻の工夫による表現などをはじめとして、同性愛的な含意をいくつも読み取ることができます。

 鳥山先生は先行研究の指摘を紹介しつつ、同性愛的な解釈に通ずる、詩の構造の検討を加えました。ソネットと呼ばれる14行詩(13世紀イタリアに誕生し、16世紀フランスに伝わった定型詩)は、4行-4行-3行-3行と構成されるのが一般的でした。しかし、この詩の構造は斬新で、3行-3行-4行-4行と構成されています。この倒置構造に、通常の愛とは異なる同性愛の含意を読み取ることができます。

 確かに、言葉を変えたところで社会への影響は大きくないかもしれません。しかし、「そこはそう簡単には割り切れないのではないか」と鳥山先生は話します。自然現象の一つとみなされる性(セックス)も、言葉にする時点ですでにジェンダー化されているという見方もあります。そう考えれば、言語上の破格行為も社会変革と無縁とは言えないのではないでしょうか。

 「単なる自己満足と見る人もいるかもしれません。それでもこの詩は、当時の社会規範やジェンダー観に対するささやかな抵抗だったのではないかと思います。」

 “私”自身の性別を明らかにすることなく自分について語ることが難しい、そのような言語がフランス語をはじめ世界には少なからず存在します。言葉がジェンダー規範に与える影響は、今後も深く検討される必要があります。

(文責・綾塚達郎)

2024.7.27 第三回ロボット視察研究会―ロボット・人工物の主体化・身体性をめぐって

2024年7月27日に大阪大学にて、第3班企画のロボット視察研究会「第三回ロボット視察研究会―ロボット・人工物の主体化・身体性をめぐって」が開催された。本研究会では、大阪大学長井研究室にてロボット視察を行った後、2件のライトニングトークを含む合計5件の発表が行われた。

🌟長井研究室ロボット視察

 長井研究室ロボット視察では、はじめに長井研究室助教でAAAプロジェクト第3班メンバーである宮澤が長井研究室の研究トピックや設備等について説明した。その後、3台のロボットのデモンストレーションを視察しつつ、活発な意見交換を行った。視察したデモンストレーションは、Universal Robots社のアームロボットUR5eとUniversal Manipulation Interfaceを用いた模倣学習によるティーカップの操作、株式会社ア-ルティのヒューマノイドロボットBonoboによるジェスチャーを交えた雑談対話、そして、Boston Dynamics社の四足歩行ロボットSpotによる歩行や物体把持であった。

 それぞれのロボットのデモンストレーションごとに、実際にロボットが動作している様子を見たり、ロボットに触れたりすることで最新のロボット研究についてより深く知ることができた。また、ロボットのデモンストレーションを行った長井研究室の学生とロボットを前にしながら意見交換することで、ロボットの身体性や運動制御の難しさ、センサー配置とその理由など、非常に多くのことを議論できたロボット視察となった。

🌟高見滉平さん(長井研究室修士2年)

 対話システムは広く研究されており、雑談対話システムもまた研究が進んでいる。これらの議論の中心は、対話システムをより人間らしくすることや、共感を示すことなどである。しかしながら、本研究では対話相手の発話のセンチメントを報酬とする強化学習モデルを提案し、発話を選択することで、対話相手の感情を考慮し対話相手の発話を直接制御することを提案した。その有効性を検証するため、シミュレーションや被験者実験を行った。本研究会の発表では、実験の予備的な解析結果について示した。さらに、AI Agentの主体化について、AI Alignmentの観点からも議論をした。

🌟福田聡也さん(長井研究室修士1年)

近年、対話システムが盛んに研究されている。対話システムが今後より進展していくには、対話相手の心的状況を考慮して対話したい。そこで、対話相手の発話の肯定度を考慮した発話選択のモデルとLLMへの性格の付与を行った対話誘導モデルを提案した。この提案手法により、ネガティブな対話相手の発話をポジティブに誘導できるかを検証するためにシミュレーション対話実験を行った。その結果、対話相手の発話の肯定度が上昇し、このシステムの有効性が示された。また、人工物の主体化プロセスについて考える際に、人工物が他者から傷つけられる能力を持つことが重要であると考えている。そこで、言語を扱う人工物としてLLMを用いて、LLMが言語的に傷つけられる能力を持つかを検証した。具体的には、LLMに対して罵倒語を与えて、ベンチマークタスクを実行した時のタスクの成功率を評価した。本研究会では、予備的な実験結果の共有を行い、LLMの主体化に関する議論を行った。

🌟池田慎之介先生

 池田は,「言語獲得における身体性の機能:ヒトとロボットの対比を見据えて」という題で,言語獲得において身体性がどのように機能しうるかを論じた。特に,記号接地問題,オノマトペ,痛みをキーワードにし,先行研究を整理した上で,今後の研究課題について述べた。議論では,LLMは過去の人間による言語活動の蓄積に立脚しているため記号接地問題を回避してしまいうること,身体性に基づく(過去の蓄積を参照できないような)新たな言語活動においてはヒトとロボットとで振る舞いに差が生じうることなどが指摘された。今後の方向性として,ヒトとロボットとで主体化のプロセスが異なる可能性があるため,その点について痛みや身体を軸として掘り下げていく必要性が認識された。

🌟肖軼群さん

 肖は、「分断を告げる身体――触覚から読むカズオ・イシグロ『クララとお日さま』」というタイトルで、触覚の視点から『クララとお日さま』の新しい読みを再考する内容で発表を行った。AFであるクララが経験する触覚体験を二つのカテゴリーに分けて、望ましくない触覚体験として「肘を掴む」こと、望ましい触覚体験をとして「抱擁」を例として分析を行った。クララが触覚について学習するプロセスを考察していくうちに、彼女が抱く人間に平等に扱われたい願望、そして人間との一体感を味わいたい欲求が判明する。AIやロボット工学についての知見を吸収しながら、人工知能を搭載したロボットを一人称語り手として設定するイシグロは、ロボット小説における身体性の問題を提起し、触覚に込められている人間とロボットとの間の権力関係のメカニズムを前景化しているという結論を提示した。

🌟宮澤和貴先生

 宮澤は「Agent AIとWorld Models:人工物の主体化を考える」と題し、近年盛んに研究されている自律性を持つAI(Agent AI)と、エージェントが持つ世界の予測モデル(World Models)をもとに、人工物の主体化に関する発表を行った。大規模言語モデルなど、大規模に学習されたモデルが単なる関数や道具としてではなく、自律的な振る舞いを実現できるようになりつつある。AIの自律性が向上し、その振る舞いを人間が想定することが困難になるほど、AIやロボットの主体化プロセスに関する議論の重要性が増すと考えられる。研究会では、人工物の主体化プロセスを記号創発システムの中で捉えることについて議論した。その中で、主体化プロセスは固定的な状態ではなく、常に変化し続けるプロセスとして主体性を捉えることの重要性が議論された。また、エージェントが自ら獲得する主体性だけでなく、他者から与えられる主体性の存在についても議論が行われた。この視点は、主体化プロセスの多面性と複雑性をさらに浮き彫りにするものであった。

2024.7.6 第1班の第4回班別会議

2024年7月6日、名古屋大学人文知共創センター室にて第4回理論班会議が開催されました。

 中村靖子先生は、構造的トピックモデルを用いてフロイトのテクストにおけるトピックの変遷を視覚化し、特に中期に中心的なトピックとなる“Traum”(夢)と、後期に中心的なトピックとなる“Witz”(機知)に注目してフロイトのユーモア論を紹介されました。

 質疑応答では、著者の思想的変遷を扱う研究において量的研究に対して質的研究が今後どのように位置づけられるべきかについて議論がなされ、研究の妥当性の確認としての量的研究の意義が再確認されました。

 鄭弯弯先生は、語彙の難易度を推定するための指標として、単語の親密度を導入する試みについて紹介されました。単語の親密度は、単語の出現頻度とは異なり、言葉を使う人の実感に依存する主観的指標であり、出現頻度のみを用いる場合に比べてより高い精度で語彙の難易度を推定できることが期待されています。 

 質疑応答では、方言や同義語の難易度を比較する際に親密度という指標がどう働くのか、語の古さが語の難易度や親密度とどのように関係するのか、などが議題に上がりました。

 鈴木麗璽先生は、言葉を持ったエージェントを対戦させ、言語モデルを用いて特定の指標によって勝者が弱者にとって代わり、さらに低い確率で単語を変異させる言語の生態ゲームによって、言語を進化的に扱う試みについて報告されました。次いで、この生態ゲームのテキストマイニング的な応用の可能性について問題提起されました。

 質疑応答では、人間の代わりに生成モデルを被験者として用いる心理学研究がマスレベルでは一定の成功を収めていることなどを例に、高度な人工知能エージェントの出現により人間観が問い直される可能性が指摘され、言語モデルの心理学研究への応用可能性が議論されました。

 大平徹先生は、2つの方程式が独立している場合に比べ、同じ値のまま両者の間に遅れカップリングを導入するだけではるかに大きな振動が生じることに着目し、集団の相互作用が生み出すリズムや構造を、遅れ微分方程式を用いて記述する試みについて報告されました。

 質疑応答では、研究の独創性として、遅れを導入しない従来のモデルでは増幅し続けて無限に発散するものしか記述できなかったのに対し、遅れ微分方程式は微弱な信号から非常に大きな振動を生み出すものでありながら制御可能なモデルであるという点が強調されました。

 金信行先生は、技術イノベーションの発展に経済の観点を含める形で、ラトゥールとは異なる立場からアクターネットワーク理論(Actor-Network-theory: ANT)を展開したミシェル・カロンの議論を取り上げ、カロンが提案する、媒介物を含むアクターが、様々な翻訳を通じて構成する技術経済ネットワーク(Techno-Economic Network: TEN)という概念をもとにANTの応用可能性を検討されました。 

 質疑応答では人間の脱中心化という観点から、ANT的な記述において翻訳のプロセスから人間による評価が排除されえないことの是非や、現代において情報のアウトプット(テクストの制作)の主体となりうる人間以外のアクターについて議論が交わされました。

 田村哲樹先生は、「政治体」と「集合体」を区別しようとしたラトゥールの議論を取り上げ、ANTを踏まえた政治や民主主義の概念について再検討されました。また、人工知能の民主主義的・非民主主義的側面を腑分けして後者を抑制しつつ前者を活用する方向性を検討しされました。

 質疑応答では、ランダムな抽選による代表者の選出、AIエージェントの政治参加などを例に、平等性、多様性、中立性といった観点から民主的な政治参加とはなにかという議題があげられました。

 平田周先生はラトゥールのANTを都市研究に応用する試みについて報告されました。従来の社会学の代替ではなく補完として、ANTの役割を批判的に検討したニール・ブレナーの議論を基に、政治経済学との接合によるANTの有効性と、ANTの存在論的な限界について考察されました。

 質疑応答では、ブレナーの取る立場とANTの立場での視点の違いが指摘され、ブレナーの批判の妥当性が検討されました。また、ANTでは人間どうしの平等性だけでなく人間以外のモノを含めたアクター間の平等性について考察することができるのか、そのときの平等性の質的な違いをどう捉えるべきかなどについて議論がなされました。

(文責: 大阪大学人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)