名古屋大学・東山キャンパスで行われたAAAプロジェクト第6回研究集会2日目(2025/3/29)セッション3では、第4班から3名が発表を行った。
🌟鳥山定嗣先生
鳥山先生はまず、第4班の今後の予定について全体に共有した。具体的には、叢書第4巻の出版スケジュールと構成の計画を、ついで2026年の7月か9月に国際シンポジウムを開催予定であることを報告した。また自身のこれまでの成果としてフランス詩の脚韻におけるジェンダーについての研究を挙げ、今後はバルトの「中性」概念を出発点に言語学や哲学の知見を取り入れ、より広く言語とセクシュアリティの関係を考察したいと述べた。
🌟マリ=ノエル・ボーヴィウ先生
ボーヴィウ先生は「明治期日本における西洋のアフォリズムと女性嫌悪」と題してこれまでの成果と今後の展望について報告した。
まず、研究の大きな枠組みとして、言語と言説におけるジェンダー認識の形成について、歴史・文化背景からのアプローチ、文学研究のアプローチ、社会学的文学研究のアプローチの3点から考察する、というように研究対象と研究手法を共有した。次に、これまでの活動報告として、2023年に開催したシンポジウムの論文集『越境するアフォリズム』(アプレミディ)の出版を挙げた。それから自身の具体的な成果報告を行った。まず、近代日本におけるアフォリズム系の形式についての先行研究を紹介し、西洋のアフォリズムから日本のことわざの形式が考察されていたことや、西洋のアフォリズムが西洋近代思想の輸入とレトリック強化のために紹介されていたことを確認した。次に、西洋のアフォリズムと女性というテーマの関係について、女性嫌悪的な例は古くから存在しているが19世紀フランスにおいては性をめぐる言説が変化したことによって女性を男性とまったく異なる存在として扱うようなアフォリズム集が出版されるなどの変化があったことを指摘した。そして、日本では中江兆民と森鴎外がこのような女性嫌悪的アフォリズム集を翻訳出版している。しかしながら、明治時代の女性をめぐる言説は差別一辺倒なわけではなく、たとえば福沢諭吉は西洋の考えを利用して女性の権利を主張していた。女性嫌悪的なアフォリズムを男性向けに訳している中江も、実は一方で女性の権利を唱えてもいる。以上のような調査結果をもとに、女性嫌悪のテーマの特徴や当時の日本における女性嫌悪的言説との関連、翻訳における社会・政治的背景が及ぼす影響について分析を進めていきたいと今後の展望を述べた。
🌟立木康介先生
立木先生は「最後にもう一度問いたい「同性婚」の意義」と題して、同性婚をめぐる今日的議論のなかで忘れられつつある「反結婚」の思想にいまいちどスポットを当てた。
立木先生は世界で同性婚が法制化されてきた事実を好意的に受け止めながらも、結婚制度すなわちモノガミーに基づいて家族を形成するという営みそのものを問い直す言説が近年聞かれなくなったことへの違和感から、フランス同性愛運動に最初期からかかわってきた二人の著者Marie-Josèphe BonnetとAlain Nazeにおける反同性婚の議論を紹介した。1970年代にはじまるフランスの同性愛運動は、基本的に「反結婚」(=反家父長制)であり、その点で、やはり70年代に生まれた女性解放運動(フェミニズム)と連帯していた。しかし80年代になると、ミッテラン政権の誕生、同性愛の脱刑罰化、エイズとの闘いを通じて、そこに変化が刻まれ、同性婚の法制化をめざす動きが生まれるに至った。エイズの犠牲になったのは主にゲイ(男性同性愛者)だったこともあり、この動きはレズビアンを置き去りにする形で進んだ。1999年にPACS(市民連帯協定)が制定される過程では、パートナーシップを兄弟姉妹間にも開くCUC(市民結合契約)が検討されたが、あくまで同性婚を見据えた同性愛者たちの反対で見送られ、結婚に準じる制度としてのPACSに落ち着いた。世紀が変わってからは、極右の反イスラム・イデオロギーに同調し、同性愛を禁じるイスラム文化にたいして西洋文明の優位性を訴える観点から、同性婚を支持し、要求する「ホモナショナリスト」たちも現れた。こうした流れを経て、フランスでは2013年に同性婚の法制化がなされるが、その過程でレズビアンは周縁化され、反結婚・反家族の主張もかき消されていった。同性婚の法制化によって、同性カップルが子供をもつ道が拓かれたことで、今後はこれらのカップルが生殖医療の利用者になりうる。結婚制度と並んで、しかしそれとは別の問題として、生殖医療のあり方についても、なお議論を深める余地があるとの見解が、最後に示された。
🌟坂口菊恵先生
坂口先生は、人文社会学的なアプローチと、相対すると考えられがちな自然科学を背景とした世界認識の融和について、セックス/ジェンダーの多様性を題材に科学史を交えて論じた。
「ジェンダー」は社会構築主義的な立場から、生物学的な世界観を否定する文脈で用いられがちである。しかしながら、「ジェンダー」という語を言語学の用語を超えて性のありさまを表現するために使い始めたのは性科学者John Moneyであった。Moneyは染色体がXかYかでは2分できない性発達の多様性を表現するために「ジェンダー」という語を導入した。すなわち、ジェンダーとは発達神経内分泌学の概念であった。Moneyはジェンダー・ロール(性役割)発達におよぼす環境の影響を強く見積もり過ぎていたため、「Moneyの双子」としてしられる重大な人権侵害事件のみならず、性分化の特異性(Differences in Sex Development)を持つ子どもたちの治療指針を策定し、残した負の影響も大きかった。
一方で、以降の行動生物学的な研究がジェンダー・アイデンティティの成因をうまくとらえられなかったのは、客観的な記述のできない内観の存在を説明要因から排除した、近現代科学的世界観に共通する問題である。現在、身体内外からの情報インプットと、それに対する内的イメージとのすり合わせを中心に認知発達の多様性を記述する、自由エネルギー理論(ベイズ脳モデル)を用いてジェンダー・ロール(外向きの表現)とジェンダー・アイデンティティ(内的経験)の異同を論じる途がひらけている。
ベイズ脳モデルに依拠すると、ASDやサヴァン症候群に見られる「予測をうまく使えない脳」構造と、社会の期待するジェンダー・ロールに自己意識(ジェンダー・アイデンティティ)をうまく同一化できない脳構造が類似しているとして、成人期の性別違和を感覚処理の観点から説明する道筋を示した。次に、そのような感覚処理の特異性と職業選択との関係を明らかにするために実施した調査について報告し、研究者と非研究者のあいだで感覚過敏・鈍麻の差があまり出なかったという分析結果と、感受性という指標が従来型の神経発達症とギフテッド型のそれの違いを予測するものとなる可能性があるという展望を示した。
3人の発表後に質疑応答が行われた。アイデンティティという概念が集団の連帯に及ぼす影響についての質疑応答では、マイノリティの中のマイノリティの声が聞こえなくなってきているという問題が提起された。また、定型発達とはそもそも何であるのかという問いかけも行われた。1日目の講演者である大澤先生からはマイノリティをフィクションで描く際の倫理について立木先生に質問がなされ、当事者でなくとも当事者のことを深く語れるフィクションの力を重視するべきであり、現実・虚構・真実の3項で考えていくべきだという回答がなされた。
(文責:京都大学大学院文学研究科博士後期課程2年 西村真悟)