本研究集会では、特別講演のゲストとして、島根県立大学の村井重樹先生、神奈川工科大学の小田切祐詞先生にお越しいただきました。当センター第1班、北陸大学の金信行先生のお声がけにより実現し、それぞれ、「セッション2:ハビトゥスの社会的基盤とその社会学的応用可能性―ポスト・ブルデュー社会学を見据えて」、「セッション4:プラグマティック社会学と構築主義」のテーマでご講演いただきました。さらに、第1班、大平英樹先生の繋がりにより、フィレンツェ大学からEmanuele Castano先生に駆けつけていただき、「セッション3:Beyond Genes and Parents: The Effects of Cultural Products on Human Psychology」のテーマでご講演いただきました。プロジェクトの成果が、メンバーの繋がりによって支えられていることを象徴するようなプログラム構成となりました。
以下は一部とはなりますが、Castano先生のご講演について報告します。
●Emanuele Castano先生 「Beyond Genes and Parents: The Effects of Cultural Products on Human Psychology」
Castano先生が取り組むこの研究アイデアは、この問いに一つのヒントを与えてくれるかもしれません。「Fiction」にも様々なものがありますが、その一つとして小説が挙げられます。さらに、小説を文学小説と大衆小説に分けましょう。実証研究において、文学小説をよく読む人と、大衆小説をよく読む人では、「Reading the Mind in the Eyes Test」をはじめとするいくつかの検証を通して、前者の方が他者の心的状態を推測する能力が高いという結果が出ました。文学小説では、大衆小説に比べて登場人物同士の複雑な関係性や、それぞれの心理描写を細かく描く傾向があります。確かに読みごたえがあり、手に取るハードルは高いかもしれませんが、他者心理の推測能力を鍛える“gym”となっているのかもしれません。
Emanuele Castano先生(フィレンツェ大学)のご講演「Beyond Genes and Parents: The Effects of Cultural Products on Human Psychology」では、人間の心が形成される過程において、遺伝や養育環境に加え、文化的産物が果たす役割に焦点が当てられた。文化的産物は「何を考えるか」だけでなく「どのように考えるか」に影響を及ぼす点が強調され、とりわけ文学的フィクション(literary fiction)と大衆的フィクション(popular fiction)の比較を通して、その効果の相違が実証的に論じられた。
実験的研究では、「著者認知テスト(Author Recognition Test)」や社会的認知は「Reading the Mind in the Eyes Test」をはじめとする複数の課題によって、被験者を無作為に文学的フィクション、大衆的フィクション、ノンフィクションなどの読書群に割り当て、比較評価を行った。研究の結果、文学的フィクションを読む被験者は社会的認知、とりわけ他者の心的状態を推測する能力(Theory of Mind)において有意に高い得点を示した。一方、大衆的フィクションには同様の効果は認められず、その主な役割は娯楽性や安心感の提供にあることが示唆された。さらに、複数文化圏での調査結果は、この傾向が普遍的であることを裏づけた。
セッション「自然2」における発表では、崇高(Sublime)の概念を軸に、人新世における美学・哲学的視点から論じられた。武田は写真家、畠山直哉の作品を対象とし、そのテーマである崇高について分析した。畠山の作品では自然と人間、自然と技術の関係を同等のものと扱う点に、ロマン主義的な崇高の概念とは異なる要素が見出されることを指摘した。そしてニコラ・ブリオーの人新世的崇高(Anthropocenic Sublime)を参照に、人間と自然の現代的な関係性を捉え直し、人新世における崇高の新たなあり方を提示した。Patellaは一八世紀以降、重要視されてきた自然に対する美的感受性、つまり崇高の概念に焦点をあてた。従来の崇高論では自然を他者性として畏怖する視点(感傷的崇高)と、主体の鏡として内面化する視点(形而上的崇高)が見出される。そして環境危機を背景とした現代においては、不気味さ(Uncanny)が新たな生態学的感情として表出していることを指摘し、三つの崇高の形態を提示した。Heritierは、法と美学の視点から、人間の本質に関する三つの概念(1.homo homini lupus, 2.homo homini deus, 3.homo homini homo)から、プラトンのコーラや京都学派の議論を手がかりに、人間中心主義における自由と責任の新たな基盤、そして多元的社会の基盤について論じた。
【シンポジウム 参加者リスト(発表順)】 – Atsushi OKADA, Professor, Kyoto Seika University – Roberto TERROSI, Researcher, University of Rome Tor Vergata – Federico LUISETTI, Associate professor, University of St. Gallen – Giuseppe PATELLA, Professor, University of Rome Tor Vergata – Paolo HERITIER, Professor, University of Eastern Piedmont – Nozomu NINOMIYA, JSPS Postdoctoral Fellow / The University of Tokyo – Asako FUKUDA, Assistant Professor, Professional Institute of International Fashion – Natsuki SAITO, Researcher, Nagoya University – Yu IZUMI, Associate professor, Nanzan University / RIKEN AIP – Shinnosuke IKEDA, Associate professor, Kanazawa University – Yasuko NAKAMURA, Professor, Nagoya University – Wanwan ZHENG, Assistant Professor, Nagoya University – Tetsuya YAMAMOTO, Associate professor, Tokushima University – Hideki OHIRA, Professor, Nagoya University – Mario VERDICCHIO, Associate professor, University of Bergamo – Yoko IINUMA, PhD student, Kyoto University – Ayako IKENO, Associate professor, Aoyama Gakuin University
「ジェンダー」は社会構築主義的な立場から、生物学的な世界観を否定する文脈で用いられがちである。しかしながら、「ジェンダー」という語を言語学の用語を超えて性のありさまを表現するために使い始めたのは性科学者John Moneyであった。Moneyは染色体がXかYかでは2分できない性発達の多様性を表現するために「ジェンダー」という語を導入した。すなわち、ジェンダーとは発達神経内分泌学の概念であった。Moneyはジェンダー・ロール(性役割)発達におよぼす環境の影響を強く見積もり過ぎていたため、「Moneyの双子」としてしられる重大な人権侵害事件のみならず、性分化の特異性(Differences in Sex Development)を持つ子どもたちの治療指針を策定し、残した負の影響も大きかった。