3月29日のシンポジウムにご参加いただいた方は、ご意見・ご感想をお寄せいただければ、今後の活動の参考にさせていただきます。
エラー: コンタクトフォームが見つかりません。
人間・社会・自然の来歴と未来—「人新世」における人間性の根本を問う
日本学術振興会「課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業」学術知共創プログラム
3月29日のシンポジウムにご参加いただいた方は、ご意見・ご感想をお寄せいただければ、今後の活動の参考にさせていただきます。
エラー: コンタクトフォームが見つかりません。
「お互いすり合わせるというより、セッションです」
プロジェクト代表・中村先生は研究会について、このように話します。プロジェクト全体や各班の方向性を最初からガチガチに固めるようなことはありません。メンバーそれぞれが面白いと思うことを模索し、お互いに聞きあう。そうして生まれる臨場感や緊迫感が、今までになかった研究テーマを生み出しつつあります。
たとえば、第5班「生政治とアート」メンバーの池野先生は、第2班「自然と人間の相互関係史」メンバーの伊東先生が企画したシンポジウムを通して自身のテーマが見えてきたと言います。「どのように問題の設定を行うか悩んでいましたが、シンポジウム『どこまでが動物なのか―人文学から考える』に発表者として参加する中でクリアになりました」
そのテーマとは、「人間と人間以外の生物による『表現』を考える」、というもの。一例としてクジャクを想像してみましょう。雄のクジャクが独特な模様の羽を大きく広げる“表現”は、雌に対する求愛行動のためです。雌のクジャクにとってより魅力的にうつる姿として選ばれ続けた結果、今のような姿に進化したとされています。
そして同時に、私たち人間にとっても美しいと思わされる姿です。このように種を超えて魅力を感じるのはいったいなぜなのでしょうか。このことは、人間と人間以外の生物間において、感性的コミュニケーションが成立することを意味するのでしょうか。こうした問いを、池野先生は研究の方向性の一つとして掲げています。
「まとまるのだろうか、という不安は全くありません。お一人おひとりの研究がしっかりしているので、ぜひ好きなようにやってほしいです」
それぞれが個性を発揮するプロジェクトチームを見守る中村先生は、安心したように話します。
「プロジェクトは始まったばかり。今は探索の時期として選択肢を広げるようにやってほしいですね」
(文責:綾塚達郎)
3月29日(水)に、名古屋大学にて、以下のふたつのシンポジウムを連続開催いたします。
午前の書籍刊行シンポジウムでは、このプロジェクトの代表者である中村靖子が編集し、プロジェクト始動の原動力ともなった論集の刊行を記念し、著者が5名登壇します。午後の設立記念シンポジウムでは、本プロジェクトの活動拠点となる「人文知共創センター」の趣旨と意義をご紹介するほか、センターの研究者から最先端の研究成果をご報告します。
長崎大学の中部講堂等にて「21世紀における映画と社会」を開催した。映画クルー・空族の監督である富田克也氏、脚本を担当している相澤虎之助氏、それに加え、OneMekongクルーらを迎え、二日間にわたって映画「サウダーヂ」や「国道20号線」の上映のみならず、映画と物語、音楽との関わりなど縦横に講演もしていただいた。
上映した上映した二作品に顕著なのは、山梨という地方を舞台に、大都市とは異なる人間性の構築やそれをめぐる環境のあり方である。消費者金融の店舗や大型量販店が立ち並ぶ国道と、中心街のシャッター、そして労働と移民、そしてその表象としての音楽など、ともすれば大都市を中心に構成されがちな言説やメディアのあり方とは異なり、実際に地方に生きることで忘れ去られているリアリティがありありと語られた。今回は上映することは叶わなかったが、空族の映画である「バンコクナイツ」では、タイのバンコクと、東北地方であるイサーン、そしてそこに入り込む日本人らといった別角度の表象であるが、この作品からさらに現在空族クルーらが取り組んでいる、ラオスなどのヒップホップや、台湾(それも南の地方)の映像作品についても話が及んだ。
原稿締め切りが毎週あるので、もっと書きたいけど、体力がなくなっているので、端的に何が言いたいかといえば、ものすごい疲れたけど、むっちゃ楽しかった、ということです。来なかった人たちは残念でした。えへん、いいだろう、人文知共創センターのイベント。(文責:森元斎)
長崎で映画を観る!
2022年11月19日、AAAプロジェクトのミーティングで、森さんはうなだれていた。映画を上映したいのに、できない、という。このプロジェクトにもそれだけの予算はないと思いつつ、どんな映画なのかと尋ねたところ、サウダージオという言葉が返ってきた。山梨という、東京から中途半端に離れた場所で育った子供が、親の故郷を知らず「ブラジルってどこにあるの?」と聞いて、親は言葉に詰まる。あるいは、日本に絶望して、恋人のタイ人女性にタイで一緒に暮らそうと誘う日本の若者が「おれはお金を憎んでいる」と言ったとき、女性の方では「あなたはタイを知らない」「私はお金が欲しい」と突き返す。また別の場面では、かつて開発されて今はもう廃れた団地の名「さんのうだんち」を、相手は「さうだーじ?」と聞き返す。そんな片鱗を紹介しながら森さんは、「こうした台詞の合間に映し出される山梨の自然が、限りなく美しい」と語った。
その映画を上映するには、長崎でなくてはならなかった。なので私は、長崎での映画上映が実現したとしても、自分が観ることはないと思っていた。けれども、私が代表を務める特設科研「オラリティと社会」の研究課題「言説を動かす情動とファシズムの変貌」と共催で実現することになり、私は生涯で二度目に長崎を訪れることになった。名古屋から延々と新幹線を乗り継ぎ、博多で乗り換える頃には「こんなに遠いところには二度と来ない!」と、ほとんど呪詛のように呟いていたし、実際映画上映の日は、「長崎は今日も雨だった」という歌詞の通り、雨だった。にもかかわらず、映画も長崎も、十二分にその甲斐に報いてくれた。映画万歳!長崎と森先生に感謝!!(文責:中村)
第二班の第一回班別会議では、3月11日に行われるヒトと動物の関係学会のシンポジウムの予行もかねて研究報告が行われました。はじめに、動物と人間、または人間とそれ以外のものの関係について人文学的な面から考えていこうとする趣旨の説明がありました。
立花先生のご発表では、アリストテレスの人間観について、倫理学の観点からまとめていただきました。どんな立場の人を人間とするのか、幸福とは時代や場所に通じる普遍的なものなのかということについて、分野を超えた議論が交わされました。
岩﨑先生のご発表では、インドの物語において動物が言葉を話す事例を挙げ、言語を得ることで道徳的主体として行為の責任を負っているというお話をいただき、まだ議論の余地はあれど人間と動物の境界についての新たな考え方となりました。
高橋先生はご自身の研究について幅広くご紹介いただき、人間がコミュニケーションの相手をどう認識しているかということや、孤独について実証した結果を踏まえ、人間が人生と前向きに、閉塞感なく向き合うことを実現するために、何かすることではなくそこにいること(being)で愛を与えるエージェントの開発についての展望を知ることができました。(文責:鈴木映恵)
第5班は、2023年2月18日にセミナー「「人新世」におけるアート」を開催し、京都大学名誉教授の岡田温司先生を講師に迎えて「アントロポセンとアート」と題したご講演を行っていただきました。講演では、16世紀後半から20世紀初頭までという長いタイムスパンが扱われ、小氷期の気候変動と植民地主義、エコロジーとエコノミーの同根性、火山噴火とサブライム/ピクチャレスク、グローバルな気候変動への想像力、産業革命とインダストリアル・サブライム、大気汚染と芸術といった幅広いテーマが論じられました。「人新世とアート」というと、比較的最近の現代アートが俎上に載せられることが多いですが、本講演は、このテーマの歴史的な射程の広がりにあらためて注意を促すものでした。また、提示された論点はいずれも、第5班にとって今後の研究の指針を与えるような示唆に富むものでした。(文責:武田宙也)
標記シンポジウムで本プロジェクトの活動報告をすると共に、パネルディスカッションに参加しました。(https://www.jsps.go.jp/j-kadai/symposium/20221215-2.html)
2022年5月末に採択通知を受け、研究期間は6月1日からでした。我々のプロジェクトが、申請と同時に始まっていたのだったら、なかなか厳しかったかもしれません。しかし、多くのメンバーは長年の共同研究を行ってきた仲間であり、今回新たにご一緒する人たちとも、申請に向けて何度もミーティングを重ねていたので、活動報告のネタに困ることはありませんでした。
活動報告では、本プロジェクトの趣旨と目的を説明したあと、3つの研究の具体例と一つの研究実践を紹介しました。研究の具体例の1つ目は、フロイトの著作を対象としてテキストマイニングを用いた分析例です。フロイトの最初期から最後の著作に至るまでの思想の流れを説明しました。2つ目は、理論班の鈴木麗璽先生のモデルの紹介です。鈴木先生とは、このプロジェクトの前身である先導的人社研プロジェクト「予測的符号化の原理による心性の創発と共有」(代表:大平英樹)により、2017年以来ご一緒してきました。この間の議論で使ってきた動的な社会のモデルを、今後はいくつかの方面に拡張して課題のトピックに関連させていきます。3つ目は、ロボティクスと言語を主題とする第3班の南谷先生の研究の途中報告です。文学×言語哲学×発達心理学×記号創発ロボティクスの今後が大いに期待されます。
実践例としては、南谷先生が長年実践されてきた読書会をご紹介しました。人文学では昔から読書会は、当該の分野で重要文献を共に読みつつ議論を交わす場であり、若手育成の場としての役割も果たしてきました。「終わらない読書会―22世紀の人文学に向けて」と銘打って、南谷先生が大学内外の人たちを100人以上動員して新たな形態の読書会を展開させます。
パネルディスカッションでは、本シンポジウムのタイトルでもある「未来社会を見据えた人文学・社会科学分野における学術知共創の課題について」、事業委員長の盛山和夫先生を初めとして人文学以外の方々から、人文・社会科学に寄せる期待について語られました。これらに対し、私からは、研究に携わる当事者として、人文学の人間として、人文学をめぐる社会的・学問的状況について、歴史的文脈を振り返りつつ、人文学の言葉ならでは語ることができる「希望」や「赦し」、細分化し専門化した知を編むという役割などを紹介しました。いずれも、メンバーとの議論の中で出てきたものです。その意味でこのご報告は、本プロジェクトの知の結集でありました。(文責:中村靖子)
大阪大学基礎工学研究科にて,超班型特別企画「ロボットと感情」ワークショップを開催しました。人とロボットの共生について考える際に避けて通れない問題の一つに,「ロボットには“感情“を実装させることができるのか」というものがあります。本ワークショップでは,日本における Android 研究・開発の最先端をになう石黒研究室のメンバーである高橋英之特任准教授の企画の元,「ロボットと感情」について検討するため,様々な領域の研究者が集いました。はじめに,石黒研究室の所有する人間の話し言葉に反応する Android や複数体のお喋りロボットなどの実演を見学したのち,大平英樹教授による感情についての講演を聞き,その上でロボットと感情についてディスカッションを行いました。ディスカッションでは,どうすればロボットに感情が備わったと見做すことができるのか,ロボットに感情が備わると何が起きると予測されるか,そもそも感情とは何なのか,等の幅広い論点について,認知神経科学や心理学,複雑系科学,科学哲学史など様々な研究領域の専門家から多角的・超領域的な議論がなされました。本研究プロジェクトの第3班では今後,このワークショップで得られた知見やアイディアを基に,実証的な研究を行っていく予定です。(文責:池田慎之介)
12月12日、人文学研究科附属人文知共創センターの看板除幕式が挙行されました。
人文学研究科附属人文知共創センターは、人文学が自然科学を含むさまざまな分野の研究者と共に協働し、未来社会にむけた総合的な人文知を創出することを目指して設置されました。
上掲式には、杉山直総長、周藤芳幸研究科長、中村靖子センター長、星野幸代副研究科長、梶原義実副研究科長、センター専任教員、センター兼任教員らが参加し、執り行われました。周藤研究科長からはセンターの概要が説明され、「諸科学を先導する人文学という力強い旗印のもと、このセンターが人文学の発展にブレークスルーをもたらすものとなることへの期待が述べられました。続いて杉山総長からは、「「総合知」は理系の研究者だけでは達成できない」と、共に「総合知」を共創すべく人文学へのエールが送られました。
理論班(第一班)のメンバーに加え、拡張会議として各班を代表する先生が集まりました。今後の班別会議の運用方法について各班の目線を合わせつつ、理論班メンバーの金信行先生、鈴木麗璽先生、田村哲樹先生より研究進捗について報告がありました。
それぞれ違った専門分野をもつメンバーが集まると、研究内容を多角的に考察することができます。たとえば金先生のご発表において、社会を「社会的なつながり」ではなく、「人間と非人間の連合体」として再定義するというラトゥールの認識に対し、非人間には政治的な能力があるのか、それともあると“見なす”のみなのか、という議論が展開されました。仮に非人間をAIロボットと置き換えるならば、その能力があるとする方向で第三班は検討を進めています。他方、非人間をまた他のオブジェクトに置き換えた場合、汎用性は変わるのでしょうか。
多くの視点を取り入れつつ、各班の研究が進められています。(文責:綾塚達郎)
【研究報告】
・金信行「ブリュノ・ラトゥールによるテレストリアル概念の提唱とその批判的合意について」
・鈴木麗璽「社会集団の生成と崩壊に関するモデル・実験アプローチ」
・田村哲樹「人新世における民主主義の課題は何か?」