2023.7.31 第3班の第4回班別会議

 2023年7月31日、オンライン(Zoom)にて第3班の第4回班別会議が開催されました。本班別会議では各班員の進捗報告に加えて、8/16(水)に実施する第3班・4班の合同企画案が話し合われました。

【南谷奉良】テキストマイニング用のデータ整備として、一人称の語り手を登場させるカズオ・イシグロの主要3作品The Remains of the Day (1989) , Never Let Me Go (2005), Klara and the Sun (2021)の章別のutf-8形式のファイルへの電子化及びテキストクリーニングを完了した。南谷研究室及び和泉研究室のOA・RAの協力があったことで、Klara and the Sunについては原文と翻訳を対照させた登場人物ごとの直接話法のリスト、Karel ČapekのR.U.R (1920)、自立型AIロボットが登場するIan McEwanのMachines like Me (2019)の主要登場人物三人の直接話法リストが完成した。また、7月までで共催企画である「終わらない読書会―22世紀の人文学に向けて」(南谷奉良・小林広直・平繁佳織主催)の第1,2,3回を実施した。今後も9月, 11月, 1月に3回分を開催し、年間で計6回の公開イベントを実施し、一般社会への専門知の還元と研究者ネットワークの拡大を図る予定である。他に京都大学にて生成AIを主題とするシンポを開催予定であり、本研究プログラムからは山本哲也氏にもご登壇いただく予定である。

【和泉悠】英文学作品 Klara and the Sun の日本語翻訳である『クララとおひさま』(土屋政雄訳)のテキストをすべて電子化するとともに、それぞれの会話文について、英日の対応表を作成した。文学と異なる媒体へと同様の分析を広げる目的のため、2023年春開始の児童向けアニメ作品『ひろがるスカイ プリキュア』『ポケットモンスター』の会話文書き起こしデータを継続的に作成することとした。表象が社会に与える影響という観点からは、子ども・若年層向けの作品を検討したいからである。同様の観点から、2023年度小学校国語教科書(検定教科書4種類、それぞれ1-6年生向け上巻)のテキストデータ化を開始し、現在1社分の1-2年生教科書のデータ化を終えた。

 「プリキュア」の会話データにおけるいわゆる「女ことば」に注目した計量的分析を開始し、その一部を2023年度科学基礎論学会にて発表した。「女ことば」の使用に関して、4名の主要キャラクターそれぞれに差異が存在することの指摘、また高年齢女性キャラクターとの比較を行った。

 関連する基礎研究として、『悪口ってなんだろう』(ちくまプリマー新書)を執筆した。ここでは、そもそも概念的に verbal abuse や harmful language といったものは一体何なのかを考察している。今後、人間から機械、そして機械から人間への発言を評価する際の基準を考察するのに役立つと考える。

【池田慎之介】昨年度,2つの調査を実施した。すなわち,成人期を対象としたオンライン調査で,視点取得がロボットに対する印象を変化させるか検討したものと,乳児を対象とした実験で,ロボットに報酬を与えることへの反応を検討したものである。今年度はこれらの成果を論文にまとめ,それぞれ国際誌に投稿し,審査を受けている状態である。また,今年度は幼児とロボットとの比較実験を実施する予定であり,同班で知能ロボティクスを専門とする宮澤先生との合同研究会を計画中である。

【宮澤和貴】大規模言語モデルのマルチモーダル情報統合能力について考察するために,ロボットが取得したマルチモーダル系列データを大規模言語モデルにより統合するモデルを作成した.このモデルに対して言語理解タスクと言語生成タスクを行い,言語情報と非言語情報の相互予測について評価した.実験の結果,大規模言語モデルは簡単なマルチモーダル系列データに対して言語情報と非言語情報を適切に統合して予測に利用することがわかった.今後は痛覚情報の利用や,ロボットの身体制御との統合を行うことで,ロボットが自身の身体に基づいて痛みを理解可能かを検証する予定である.

 上記の報告に続き、和泉悠先生の新著『悪口ってなんだろう』の合評会を8/16(水)に京都大学にて第3班・4班合同企画として行う運びとなりました。言語と主体化及び「痛み」を主題とする第3班と、セクシュアリティの多様性、ジェンダーを主題とする第4班の各班員の専門研究からのアプローチをもとに、悪口と「社会的痛み」の観点から同書を読み解く予定です。

2023.4.21 第2回「終わらない読書会―22世紀の人文学に向けて」を開催しました!

 「終わらない読書会―22世紀の人文学に向けて」@Zoom(共催:「人間・社会・自然の来歴と未来―「人新世」における人間性の根本を問う」発表報告)

(1) 発表内容のまとめ

 2023年4月21日に行った発表では、カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)の長編小説『わたしを離さないで』(Never Let Me Go, 2005)について、アイデンティティ認識の視点からの考察を展開しました。臓器移植のためにクローン人間である本作品の語り手キャシー(Kathy)は、しばしばその平坦な語り方から奥行きに欠ける登場人物と評されます。本論は個性が不鮮明のように見える語り手と、読者の内に呼び覚まされる強烈な共感とのずれを出発点とし、至る所で自身の個性をアピールするキャシーの人物像を考察しました。

 最初に論じたのは、語り手としてのキャシーの平凡さは生来の性質ではなく、彼女の生涯を通して「普通」(“normal”)と「特殊」(“different”)の二項対立の間で行ってきた「選択」の結果であることです。キャシーはクローン人間の中でも特殊な存在であるヘールシャム出身者ですが、ヘールシャムの中では他のクローンと同じ経験を持つことを重んじ、「普通」側に居続けるために様々な工夫をします。これらの行動は、閉鎖的で、水面下のいじめ問題が蔓延るヘールシャムという環境で生きる上での必要な知恵かもしれません。しかしキャシーはその平坦な語り方と裏腹に、己の特殊性をヘールシャムに対する執着、介護人としての優れた能力、そしてトミーとの間の愛から見出そうとします。友人を次々と看取る孤独な介護人となるキャシーの生涯を振り返ると、「普通」と「特殊」の間に何度も行き来し、最終的に「特殊」な存在になることを彼女自身が認めざるを得ないプロセスが明確に読み取られるようになります。

 次に、作品に繰り返し描かれる「フェンス」(“fence”)のモチーフについて論じました。キャシーが子供時代を過ごしたヘールシャムでは、フェンスの向こう側に行く者が死に至るという噂が引き継がれています。この認識はさらに歴史の授業で教わった第二次世界大戦中に建てられた強制収容所の有刺鉄線のイメージに強化され、クローン人間たちにとってフェンスは物理的・精神的に越えてはならないものとなります。しかしキャシーはバイクに乗ってフェンスを越える映画の一シーンをヘールシャムのクローンたちが何度も観たかったことを鮮明に覚えており、ヘールシャムから出た後に友人のルースとトミーと共にフェンスを越える場面も彼女の語りに明確に含まれています。こうしてフェンスの向こう側に行きたいという願望が随所仄めかされているが、最後の場面でキャシーはフェンスを越え、トミーの幻影を求めることを断念します。本発表では、ここでのトミーの幻影を「死の誘惑」、フェンスを越えない行動をキャシーの「自殺しない」決断の結果として解釈しました。出生から死までの人生において、クローン人間たちは殆ど選択する権利を許されていません。搾取され続ける人生を受け入れなければならない、自分だけの名前すら持つことができません。「選択」が許されない人生だからこそ、自分の意志で「選択」をすることはキャシーにとって並々ならぬ重みがあり、尊厳の拠り所になっています。彼女が最後に下す「自殺しない」との決断は運命への無抵抗ではなく、むしろ意識的に自分が愛したすべての人たちと同じ死に方を経験し、同じ人生を歩まんとする意志の表明です。タイトルの「Never Let Me Go」は、キャシーが読者に向けて絶えずに発信する「私を忘れるな」というメッセージの表明として解読できるのではないでしょうか。

(2) 発表テーマ/フィードバックについての省察

 「フェンス」のモチーフや自殺のテーマは、イシグロ研究をする中でかねてから取り組みたかったものであり、今回の発表で初歩的な考察をすることができました。この二つの要素はイシグロの処女作『遠い山なみの光』、また、それ以降の作品にも頻繁に組み込まれるものであります。フェンスにどのようなメッセージが込められているか、自殺は単なるネガティブな含意を表す行為なのかイシグロ作品におけるフェンスのモチーフに多様な意味合いが込められるようになり、死を選ぶことも単なるネガティブなもの以外のメッセージを読者に伝えるようになりました。40年近くの作家活動のなかで、イシグロは抑圧されながら自我が徐々に形成され、最終的に抑圧を突き破る語り手たちを次々と生み出してきました。目立った形での反抗を描かないイシグロ作品だからこそ、抑圧の中で必死に自我の存在を確立しようとする自由意志の表出を敏感に察知する読者の読む力が求められています。

 参加者のフィードバックからは、以下の三点についての大きな示唆を得ました。

 ①非現実的な作品世界とリアリズムを感じさせる登場人物との共存に違和感を覚え、そのために「あえて共感しない」読み方をするという指摘と頂きました。筆者自身は一貫としてイシグロの作品と向き合う姿勢を述べると、共感しにくい主人公から隠された共感の源を探し出すというスタンスであるため、非常に新鮮な読み方を触れることができたと言えます。

 ②最後の場面において、フェンスに引っかかる「ゴミ」に注目し、ゴミがそれ以上どこへも行けないことが作品の閉鎖的な世界を強調しているという指摘を頂きました。この点について、ルースの夢の内容と合わせて読みたいと思います。ヘールシャムの思い出をさほど大切に思わないルースだが、自分が洪水に襲われるヘールシャムの教室にいる夢を見ます。そこから窓の外で空の飲料容器などのゴミが水に流される場面を見て、「とても落ち着いた」と述べます。提供が終わり、空っぽになったあとにヘールシャムで生涯を終えたい回帰願望の暗示として読み取れますが、現実世界でキャシーが見るゴミは流動的な水に運ばれず、ヘールシャムで死を迎えることももちろん実現されません。死後の里帰りを潜在意識で求めるクローンたちだが、どこまでも制限される世界の中ではそれも叶えられない悲哀が読み取られると思います。

 ③クローンたちの死に対する無抵抗な態度を、「しょうがない」という日本の物事のおさめ方の表現として解釈する意見を頂き、新鮮な驚きを得ました。臓器移植の運命に対抗できないが、キャシーたちが対抗できるものは個性の消滅です。三人のクローンではなく、「キャシー」「トミー」「ルース」という三人の人間がこの世にいたことを読者に覚えてもらいたくて、キャシーが語り始めたのではないでしょうか。今回の発表では、変えられない運命に「しょうがない」と思いながらも、「運命の変え方」ではなく「運命の受け止め方」に個性と尊厳を見出す考え方を強調しました。

 今回の発表は自分自身の文学研究に臨む姿勢を客観視することができる機会となり、実り豊かな経験となりました。参加者の方々に御礼を申し上げます。(文責:京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程 肖軼群)

2023.7.1 第2回理論班会議

2023年7月1日、名古屋大学文学部講義棟128室にて第2回理論班会議が開催されました。

 鄭弯弯先生は、「シャドウデータを用いたラベルノイズ検出方法」と題し、現代の情報処理機器の普及により、多様な分野で大量のデータが収集が可能になったという背景を踏まえて、従来の統計方法では扱いにくいノイズの多い観測データ・POSデータを扱うために、現在開発なさっているノイズ検知の最新の手法について紹介されました。また、自然言語処理における分散表現の発展がもたらす、テクスト研究のあらたな可能性を示されました。

 金信行先生のご発表では、「初期アクターネットワーク理論とテクスト分析」と題し、研究者カロン、ジョン・ロー、アリー・リップらの編集による著書、『科学技術のダイナミクスをマッピングする』(Mapping the Dynamics of Science and Technology)の思想史的文脈を解説していただきました。またそれを踏まえ科学技術研究における、ANTに基づく質的テクスト分析の着眼点、及び量的テクスト分析による展開について説明していただきました。

 鈴木麗璽先生は「シャーレの中のLenia:資源消費に基づく成長を伴うLeniaにおける、生物と環境の相互作用(Lenia in a petri dish: Interactions between organisms and their environment in a Lenia with growth based on resource consumption)」と題し、シミュレーションを用いた環境と生物の相互作用ダイナミクスの探求について発表されました。Lenia生物のカーネル(周辺密度積算関数)と成長関数に、資源チャネルと資源消費・回復ダイナミクスを導入することで環境条件を付加した、ボトムアップなルールに基づくLenia生物と資源環境の相互作用モデルをシミュレーションで実演していただきました。

 田村哲樹先生は「「熟議的な結婚」について」と題し、「民主主義的な結婚」の一類型としての「熟議的な結婚」について、その具体像を示されるとともに、従来の「結婚」の境界に対し、熟議に基づく結婚の境界についてあらたな可能性を示されました。「結婚」についてのフェミニズム/ジェンダー論の見解を踏まえつつ、そこで見落とされている「熟議」という要素について活発な議論が行われました。

 大平健太先生は、「遅れと共鳴2」と題し、特定のリズム(周期・周波数)が最大になって現れるような共鳴の現象について、自己フィードバックの遅れを加えた微分方程式を用いて発表されました。前回のご発表で提案された方程式に、指数のファクターを加えたより複雑な式により、一般には難しいとされてきた遅延微分方程式の解の挙動をある程度とらえることができる事例が示されました。

 大平徹先生は「確率的独立と相関:古典と量子」と題し、古典確率と量子力学の差異(例:ものごとの関係性を示す基準)と類似(例:個別の事例を離れて全体を見渡すことの必要性)を示しつつ、古典系、特に確率において起きる「意外な」ことが、量子系で「常識的」となる例を提示し、古典系と量子系の境界の探求とその展開についてご説明されました。

 平田周先生は、「社会学の科学認識論と社会主義」と題し、社会学の誕生による哲学的な問いかけの変容を検討するカルサンティ(1966-)の研究を紹介されました。前半ではサン=シモン(1760-1825)からラトゥール(1947-2022)に至る、近代のフランスにおける社会学の認識論の展開を概観し、後半では社会主義の再定義(自由主義の過度な生産主義・競争に対する排外的なナショナリズム、さらには両者に対する反動としての社会主義)についてご説明いただきました。

 中村靖子先生のご発表では、「スピノザ論争 Spinoza-Streit(汎神論論争)」と題し、加藤泰史編『スピノザと近代ドイツ——思想史の虚軸』(岩波書店  2022 年)をもとに、無神論者として危険視されいていたスピノザの哲学が、近代ドイツの思想史にもたらした多大なる影響を追いつつ、スピノザの汎神論に対する反発と接近の歴史をご紹介いただきました。

 各ご発表の後の質疑応答では活発な議論が行われ、それぞれの研究テーマの連関と、研究の分野横断的な発展の可能性について話し合われました。(文責:大阪大学 人文学研究科 博士前期課程1年  葉柳朝佳音 )

2023.5.31 第3班テキストマイニング研修会

 2023年5月31日に京都大学文学研究科南谷研究室にて、名古屋大学の鄭弯弯先生を講師として迎え、「テキストマイニング研修会」を実施しました。

 主催である南谷先生(京都大学)をはじめとして、和泉悠先生(南山大学)、鳥山定嗣先生(京都大学)、南谷研究室のオフィスアシスタント(OA)加藤柚月さん(京都大学 文学研究科 修士課程 英語学英米文学専修)の5名が参加し、テキストマイニングソフトMTMineRの使い方に関する研修会を受けました。はじめに参加者同士でそれぞれの研究課題を交換し、その後操作上不明な点を鄭先生に質問しながら、各々の分析内容に沿ってMTMineRを操作しました。

 今回は、南谷先生のテキストマイニング研究を補佐するリサーチアシスタント(RA)として私は本研修会に参加しました。20世紀英国の作家ヴァージニア・ウルフを研究対象とするため、ウルフの中長篇作品11篇をコーパスとして、MTMineRの初歩的な操作を学びました。準備段階としてのテキスト整形の方法から、特徴的な語彙を視覚的に表示するワードクラウド、使用される語彙の豊富さ、多次元のデータを低次元に圧縮した主成分分析などMTMineRの多様な機能を習得することができました。

例えば図1と図2はウルフ作品における各動詞の出現頻度上位の相関係数行列を用いた主成分分析の散布図です。A Room of One’s Own (1929, ARoOO) と Three Guineas (1938)のエッセイ2篇が左辺に、その他のフィクションは右辺に寄っているのが目につきます。小説作品が集まる右辺には動きを表すような動詞(go, move, sit, stand)が多くプロットされているようにも見えます。また、Voyage Out (1915)と Night and Day (1919)の初期長篇小説2篇は、後期のモダニズム的手法が前面に出た作品群から離れて重なり合うようにプロットされています。

 また図3は、名詞の出現頻度上位による作品ごとのヒートマップです。細かくてやや見にくいですが、エッセイ2篇が woman/man の2語の使用で顕著に区別されています。フェミニズムの古典ともされるこれら2篇において、男女のジェンダーに大きな関心が向けられていることが語彙の観点からも示されていると言えるのかもしれません。

 このように本研修会では、鄭先生の丁寧な指導を通じて、MTMineRの基本的な操作について多くを学ぶことができました。今後もRAの業務内でテキストマイニング技術を習熟させていく予定です。(文責:京都大学文学研究科 博士後期課程 英語学英米文学専修 平井尚生)

2023.5.26 第4班ワークショップ 「17世紀〜21世紀のフランス文学におけるジェンダーと性」

2023年5月26日、京都大学大学院文学研究科・文学部フランス語学フランス文学研究室にて、「17世紀〜21世紀のフランス文学におけるジェンダーと性」« Genre(s) et Sexualité(s) dans la littérature de langue française (17e – 21e siècles) » と題するワークショップを催しました。本プロジェクトメンバーのマリ=ノエル・ボーヴィウ(明治学院大学)と鳥山定嗣(京都大学)に加え、フランスからシャルル・ヴァンサン先生(ヴァランシエヌ大学)とラファエル・ブラン先生(リヨン高等師範学校)を、国内からジュスティーヌ・ル・フロック先生(京都大学)をお招きし、各自の研究紹介と意見交換をおこないました。

 ル・フロック先生は「マドレーヌ・ド・スキュデリー『サッフォーの物語』における女性の表象」(La représentation des femmes dans L’Histoire de Sapho de Madeleine de Scudéry)と題して、17世紀フランスの女性作家マドレーヌ・ド・スキュデリーの作品におけるサッフォーの描かれ方を通して、女性の教育やふるまいに関するこの作家の見解を紹介されました。

 ブラン先生は「18世紀における性差の問題を探求するためのアプローチ」(Différentes pistes pour une exploration de la question de la différence des genres au 18e siècle)として、フランス革命期にフランス語の「女性らしさ」を批判し、言語の「男性らしさ」を取り戻すべきという言説があったこと、カサノヴァ作品における言語とジェンダーの問題、ユートピア文学(両性具有、性差なき世界)など、さまざまな研究アプローチを示されました。

 ヴァンサン先生は「エリザベット・バダンテールの後、ディドロ、トマ、デピネ夫人を読み直す」(Relire Diderot, Thomas et Madame d’Épinay après Élisabeth Badinter)という観点から、現代フランスの思想家・フェミニストであるバダンテールの著作を批判的に検討し、18世紀の社会的・文化的背景を十分に考慮して、ディドロ、トマ、デピネ夫人をはじめとする18世紀の作家を読む必要を説かれました。

 ボーヴィウは「簡潔さのレトリックと女性差別」(La rhétorique de la concision au service de la discrimination : l’exemple de la discrimination de genre)という問題について、現代フランスにおける「コラージュ・フェミニスト」の運動を紹介し、簡潔さのレトリックがジェンダー差別の問題とどのように結びついているかを示しました。

 鳥山は「フランス詩におけるジェンダーとセクシュアリティ」(Genre et sexualité dans la poésie française)について、脚韻などに見られる言語的ジェンダーが作家のセクシュアリティとどのように関わるか、また16世紀以降の辞書や詩論書の記述が当時のジェンダー観をいかに反映しているか、その一端を紹介しました。

 その後、質疑応答および全体討議をおこない、人文学の研究を他分野(とくに生物学、行動学、進化心理学、精神分析学)に結びつける可能性(たとえば「両性具有」に関する言説と用語法の歴史的検討)や、海外の研究者と協力する可能性について話し合いました。(文責:鳥山・ボーヴィウ)

2023.3.29 『予測と創発―理知と感情の人文学』刊行記念シンポジウム / 名古屋大学人文学研究科附属人文知共創センター設立記念シンポジウム<けさひらく人文知>

シンポジウムを終えて——盛山和夫先生、周藤研究科長と共に

3月29日午前・午後、2本立てでシンポジウムを開催いたしました。

●『予測と創発―理知と感情の人文学』刊行記念シンポジウム

『予測と創発——理知と感情の人文学』(春風社)

 2022年11月30日、『予測と創発——理知と感情の人文学』(春風社)が出版されました。「予測と創発」をテーマに、ドイツ文学、フランス文学、インド哲学、美術史、応用数学、感情史、心理学といった、多岐にわたる分野からの論考が全11章にまとめられています。当シンポジウムではこれらの論考をベースに以下タイトルの講演が行われました。

・大平英樹 先生 「予測により創発される心性」
・伊東剛史 先生 「新種発見の感情史―『鳥学共同体』における名誉と栄誉」
・平⽥周 先生 「尋問、モラル・エコノミー、罰の不公平な配分―ディディエ
・ファッサンによる国家の抑圧装置に関する研究を⼿がかりに」
・松井裕美 先生 「新しい客観性の模索 かたちの変化の予測可能性と不可能性」
・大平徹 先生 「遅れと予測 過去からの逆襲」

ご興味のある方はぜひ書籍を手に取ってお読みください!

●名古屋大学人文学研究科附属人文知共創センター設立記念シンポジウム<けさひらく人文知>

 プロジェクトが発足し半年以上が経ちました。班別会議を重ねる中で少しずつ方向性が見えてきた今、あらためてスタートを切るためのシンポジウムを開催しました。

エールを送る杉山直名古屋大学総長

 冒頭では、杉山直名古屋大学総長、佐久間淳一名古屋大学副総長にご挨拶いただきました。杉山総長は、「幸せには科学技術だけではたどりつけません。現代社会が非常に複雑になっている中、人の営みを明らかにしていく人文知も必要です」と話し、「人間の価値や尊厳といったものも含めて、人文知で解き明かしていってもらいたい」とエールを送りました。

盛山和夫先生

 その後、日本学術振興会「課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業」事業委員会・委員長の盛山和夫先生に、「人文学・社会科学の学術知共創がめざすもの――意味世界の探究とは何か――」というタイトルでご講演いただきました。人文学・社会科学を取り巻く現状を、これまでの経緯も交えながら詳しくご解説いただいたうえで、「狭い専門領域を超えた多様な分野の研究に関心を持つ人たち」が集まり、「現実世界が抱えている共同のテーマに皆で一斉に取り組む」ことの大切さについてお話いただきました。

 また、会場は多くの来場者で満席となり、講演や報告発表だけでなく、その後の質疑応答の時間も大いに盛り上がりました。 (文責:綾塚達郎)

2023.3.28 2022年度全体研究集会

「お互いすり合わせるというより、セッションです」

中村靖子 プロジェクト代表

 プロジェクト代表・中村先生は研究会について、このように話します。プロジェクト全体や各班の方向性を最初からガチガチに固めるようなことはありません。メンバーそれぞれが面白いと思うことを模索し、お互いに聞きあう。そうして生まれる臨場感や緊迫感が、今までになかった研究テーマを生み出しつつあります。

 たとえば、第5班「生政治とアート」メンバーの池野先生は、第2班「自然と人間の相互関係史」メンバーの伊東先生が企画したシンポジウムを通して自身のテーマが見えてきたと言います。「どのように問題の設定を行うか悩んでいましたが、シンポジウム『どこまでが動物なのか―人文学から考える』に発表者として参加する中でクリアになりました」

研究集会のようす。各班メンバーが一堂に会した

 そのテーマとは、「人間と人間以外の生物による『表現』を考える」、というもの。一例としてクジャクを想像してみましょう。雄のクジャクが独特な模様の羽を大きく広げる“表現”は、雌に対する求愛行動のためです。雌のクジャクにとってより魅力的にうつる姿として選ばれ続けた結果、今のような姿に進化したとされています。

性淘汰によって今の姿に進化したクジャク。美しい姿をしているが、人に対して魅力的になることを目的に進化したわけではない

 そして同時に、私たち人間にとっても美しいと思わされる姿です。このように種を超えて魅力を感じるのはいったいなぜなのでしょうか。このことは、人間と人間以外の生物間において、感性的コミュニケーションが成立することを意味するのでしょうか。こうした問いを、池野先生は研究の方向性の一つとして掲げています。

 「まとまるのだろうか、という不安は全くありません。お一人おひとりの研究がしっかりしているので、ぜひ好きなようにやってほしいです」

 それぞれが個性を発揮するプロジェクトチームを見守る中村先生は、安心したように話します。

「プロジェクトは始まったばかり。今は探索の時期として選択肢を広げるようにやってほしいですね」

(文責:綾塚達郎)