2024.8.19 第5回研究集会 自然とアートセッション 

 2024年8月19日、20日に名古屋大学東山キャンパス文学部本館にて本年度第1回全体集会が開催されました。20日10時から12時にかけて、セッション3では「自然とアート」をテーマに研究発表が行われました。岩崎陽一先生が司会を担当し、金信行先生、武田宙也先生、池野絢子先生、森元斎先生の順番で発表されました。

🌟金信行先生

 金先生は、金沢二十一世紀美術館が開催する開館20周年記念展覧会「すべてのものとダンスを踊って――共感のエコロジー」(11月2日〜3月16日)における共同イベント企画の発案を募りました。またブリュノ・ラトゥール氏や長谷川裕子氏のキュレーション活動を例に、アクターネットワークを拡張していく社会思想の実践としてのキュレーションのあり方を示しました。そのほか、山梨県立大学地域人材養成センターでのイベントについての企画案も提案されました。

 質疑応答では、企画案に関して、共同キュレーターの哲学者エマヌエーレ・コッチャ氏や植物学者ステファノ・マンクーゾ氏の招聘から、特に植物や自然を中心としたシンポジウムとなることが確認されました。その際に、自然の暴力性、抑えがたさといった側面もあわせて企画に盛り込むべきだという意見がありました。また食虫植物などを取り上げ、植物の主体性やアクティブな特性を評価し、多様な植物の研究や展示企画が提案されました。

🌟武田宙也先生

 武田先生は、人新世とも関係し注目を集めているフランスの哲学者かつ精神分析家のフェリックス・ガタリの概念、「エコゾフィー(Ecosophy)」について発表されました。エコゾフィーとは心、社会、環境のエコロジーがそれぞれ相互連関している三位一体のエコロジー思想のことで、その参考例としてラ・ボルド病院を取りあげました。病院では医師と患者の二者関係ではなく、患者を取り巻く環境、人、もの、アクティビティの配置が複合的に絡み合うことで、患者の心のエコロジーに良い影響を与えると考えられ、都度、主体が新しく構築されていくような集合的な主体化が実践される拠点でした。

 質疑応答では、グループとコレクティブの差異についての議論がありました。ジャン=ポール・サルトルのグループでは人々が同じ方向を向くことで生まれる政治的方向性が求められる一方で、ジャン・ウリのコレクティブでは、その場に居合わせただけの有象無象の人々にポジティブな展望が見出されるといった説明がありました。ウリのコレクティブでは役割の固定化を避け、方向性を無化することで、常に新たな意味を持ち続けるという点が強調されました。政治学の観点からは、トップダウンの決定やアッセンブリッジの議論が、集団の多様性や可能性とどのように関連するかについても議論されました。

🌟池野絢子先生

 池野先生は、1909年にイタリアで興った未来を思考する芸術運動、未来派が提唱したマニフェストの一つ〈機械芸術宣言〉を取りあげ、機械美学をセクシュアリティの問題から検討しました。未来派は過去の芸術を徹底的に否定し、新しい近代社会の速度とダイナミズムの美を追求しましたが、戦争を賛美したために、これまで評価が難しかった芸術運動です。人間は進化すると機械と同一化すると考えていた未来派の思想は、二十世紀における進歩のイデオロギーとして捉え直され、女性の代替物と化した美しい機械に見出されるような「人間―機械」の表象における性が検討されました。さらに未来派の女性アーティストがフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティとは異なるアプローチをとったことや、芸術的な表現における女性的要素の扱いについても言及されました。

 質疑応答では、未来派の機械や戦争賛美と、近代化が遅れた当時のイタリアの現実とが合致しない点が指摘され、コンプレックスに基づく思想である可能性が示唆されました。池野先生は、未来派が現実と適合しない極端な未来像を描くことで、芸術的なビジョンを追求していたと説明しました。

🌟森元斎先生

 森先生は、芸術における暴力と欲望の関係をテーマに、キャピタリズムやアナーキズムとの関連について発表されました。特に二〇世紀初頭のアバンギャルド芸術運動(未来派、ダダ、シュールレアリスム)に焦点をあて、そのアナーキスト的側面が考察されました。ダダイストやレトリスト、シュールレアリストの活動、ベルリン・ダダとパリ・ダダの差異、フーゴ・バルの資本主義批判、ニーチェの影響についても言及されました。さらに、シチュアシオニスト・インターナショナルや映画、自然との融合についても考察し、アナーキーと芸術の関係およびその政治的影響について、議論されました。

 質疑応答では、アーティストによるコレクティブは政治的になりうるか、また、象徴化を通じて芸術がどのように影響を与えるかについても議論されました。第一次世界大戦はその重要なモデルケースであり、失敗のケースでもあります。アートと政治の関係性や、インドネシアのアーティストによるコレクティブ、ルアンルパの事例における政治性の解釈もまた重要なトピックであることが確認されました。

(文責:京都大学、博士後期課程 飯沼洋子)