🌟開催日時:2023 年 11月24日(金) 20:00〜22:00(~22:30 アフタートーク)
🌟講師:伊藤琢麻(ソルボンヌ・ヌーヴェル大学博士課程)
🌟コメンテーター:森田俊吾(奈良女子大学・専任講師)
🌟テキスト:ツァラ『ムッシュー・アンチピリンの宣言―ダダ宣言集』(塚原史訳、光文社古典新訳文庫)
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2023.8.27-28 2023年度全体研究集会(夏)
🌟8月27日(日)
ある本を名著たらしめる特徴とはいったいどのようなものでしょうか。
社会を深く洞察したテーマ設定、フィクションなのに「本当にありそう」と思わされるキャラクター描写、一貫して論理のブレが無い人物関係性など、言葉にしやすいもの、しにくいもの含め、様々な特徴が考えられます。
カズオ・イシグロ氏による名著『クララとお日さま』では、少女ジョジーと、AF(Artificial Friend:お友達ロボット)のクララを中心にさまざまな人間模様がくりひろげられています。人工知能やロボットが圧倒的なスピードで私たちの社会に組み込まれていく昨今、そうした新しい存在との付き合い方や私たちの在り方を、物語を通じて問い直される一冊です。
研究集会の一部として、南谷奉良先生がテキストマイニングの手法をもちいてこの著書の解析を行った研究結果について発表しました。たとえば「お母さん」という単語に対し、ジョジーはアメリカ英語の「Mom」、幼馴染のリックは「Mum」といった具合に表現を一貫して使い分けていることがわかり、イシグロが人物の呼称に細心の注意を払って区別していたことが例証されました。
読書中、読者がはっきりとは認識しなかったとしても、どこか社会の縮図を表しているような納得感のある物語展開を感じさせられる理由の一つは、こうした細かい表現の徹底が効果的に働いていることにあるかもしれません。テキストマイニングという手法が、今までは定量的に解析できなかった文学の特徴を炙り出す強力な武器となる可能性が共有されました。
一方、ただ新しい手法を導入するだけでは受け入れられないと南谷先生は話します。テキストマイニングを用いたうえで、その計量データをテクストに差し戻し、どんな新しい解釈が可能になるのかについて、さらに検討がなければなりません。たとえば、シリアスな場面で叫ぶ「Mom!」と、何気ない日常で呼びかける「Mum」は、その単語に含まれる意味の重みづけを同等に扱い、同じ1単語として計算しても良いでしょうか。テキストマイニングが炙り出す事実はいったい何を表すのか、どのような文脈で新しい価値の再発見となっているか、つねに考察を深める必要があります。
今回の南谷先生の発表テーマは、物語のなかで登場人物に対してどのような呼称が用いられているかに着目したものでしたが、そのテーマは第3班・和泉悠先生の著書『悪口ってなんだろう』(ちくまプリマー新書)に着想を得たものでした。新しいものは積極的にとりいれ、かつその手法がどのような特徴を持つのか慎重に吟味する。さらには分野をこえ、新しい人的交流を取り入れ、さまざまな観点からテーマについて議論し合い、新しい研究を生み出す。当プロジェクトはこうした循環を生み出す体制作りを着実に行っています。(文責:綾塚達郎)
🌙3班4班合同テキストマイニング報告
中村靖子先生からは、リルケ (1910)における語り手の感情の変化が、一文ごとにセンチメント分析によってどのように表されるかという研究について、現在の進捗をご報告いただきました。現在進行中である『マルテの手記』のドイツ語の原文の分析に加え、複数の日本語訳の間でどのような感情表現の違いが見られるかについてもテキストマイニングを用いて定量的な分析を行えるのではないかとして、今後の展望を示されました。
鳥山定嗣先生は「『源氏物語』の現代語訳のテキストマイニング 与謝野晶子訳と谷崎潤一郎訳の比較」と題し、『源氏物語』の現代語訳のうち、一般に「男性的」と評価される与謝野晶子訳と、一般に「女性的」とされる谷崎潤一郎訳それぞれの特徴を、ワードクラウド、箱ひげ図、ヒートマップなどを用いた分析によって可視化する試みについてご報告されました。
南谷奉良先生は、「登場人物の呼称と「悪態」からみる『クララとお日さま』――テキストマイニングとChatGPTによる応用的読解」と題し、カズオ・イシグロの小説『クララとお日さま』(2021)を扱ったテキストマイニングの実践例をご紹介されました。その際、罵り言葉を学習するヨウムや、コロナ禍における罵り言葉の増加を例に、言語獲得におけるミラーリング行為の問題や、悪態がもたらす心理的効果を取り上げ、それらを踏まえて、呼称、罵り言葉、卑猥語などに注目した登場人物ごとの語彙の定量的分析による、新たな作品解釈の試みについて報告されました。
質疑応答では、テクストの統計的な処理に基づく感情表現や人物像の分析という観点から活発な議論が交わされ、文学研究と心理学の関連性や応用可能性についても言及がなされました。(文責:大阪大学大学院人文学研究科 博士前期課程1 年 葉柳朝佳音 )
🌟8月28日(月)
2023.6.18-21 呼吸哲学学会参加報告
第5班のメンバー池野絢子は、2023年6月18日から21日にかけてスロベニアのポルトロシュで開かれた国際学会Respiratory Philosophy: A Paradigm Shift in Philosophyに参加しました。
私たちの生にとって根本的なものであると同時に、あまりにも身近な現象である呼吸は、これまで西洋哲学の領域で中心的なテーマになってきませんでした。しかしリュス・イリガライやペーター・スローターダイクを先駆として、近年では哲学の分野でも研究が進んでいます。本学会はスロベニアのZRS Koperと神戸大学のKOIAS(神戸雰囲気学研究所)の共催によって開催され、非西洋圏の空気や雰囲気をめぐる議論をも広く参照しながら、従来の哲学のありかたを問い直すことを目指したものです。
池野はKOIASのメンバーの一人として本学会に参加し、Figures of Breathing in Contemporary Art: The Artist as a Bricoleurと題した研究発表を行いました。20世紀以降の芸術家たちが空気や呼吸という、形のないものをどのように表現してきたか、そしてとくに1960年代の芸術家たちが呼吸のテーマにいかなる意味を見出そうとしたかを検討する内容です。空気、特に空気の動き(風)をいかに表現するかは芸術家たちが幾世紀にもわたって取り組んできた課題ですが、本プロジェクトとの関連で考えると、人新世時代の芸術における空気や大気の表象についても考えることができるように思いました。第五班の主催した岡田温司氏によるセミナー(2023年2月18日)はまさにそうした内容でしたが、本学会とちょうど同時期にヴェネツィアのプラダ財団でも人新世時代の気候変動と芸術をテーマにした展覧会Everybody Talks about the Weatherが開催されており、芸術の領域における関心の高まりが伺えます。他方で、呼吸は決して人間だけの営みではないので、それを人間以外の生物と人間との関わり(政治)のなかで考えてみる必要性を、本学会を通じて感じました。今回得られた知見は、第五班が2024年3月にローマで開催を予定している国際シンポジウムに向けて深めていきたいと考えています。
4日間にわたる学会では、参加者の研究発表のみならず、呼吸を感じるワークショップやコンサートも開催され、終始リラックスした雰囲気のなかで進められました。なお、本学会での研究発表は、JSPS科研費19K13014の助成による成果であることを付け加えておきます。(文責:池野絢子)
2023年度文学部・人文学研究科秋季サロン
「ハイブリッド人文学」ーースキルとツールの共進化−」
企画概要:文献解読において、人間側にスキルの上達があり、他方にテクノロジーが提供するツールの向上があり、両者が相互的に創発し合い、共進化する中で人文学が展開している。このような研究の最前線をアピールする。
日時:2023年10月21日(土)13:00~14:30
場所:名古屋大学東山キャンパス 文学部棟2階237
2023.9.28 第4回「終わらない読書会─22世紀の人文学に向けて」@Zoom
共催:「人間・社会・自然の来歴と未来―「人新世」における人間性の根本を問う」発表報告
🌟発表題目:『恋するアダム』を読む—情動に関する描写を中心に
(1)発表内容のまとめ
2023年9月29日に行った発表では、イアン・マキューアンのSF小説『恋するアダム』を取り上げました。舞台設定は架空の1980年代、イギリス・ロンドン。フォークランド紛争でイギリスが敗北していたり、科学者のアラン・チューリングが生きていたりと、現実とは異なるもうひとつの世界が描かれています。主人公のチャーリーは遺産をはたいて人間そっくりのアンドロイドであるアダムを購入します。チャーリーの恋人であるミランダにアダムは恋をして、三角関係が生じます。
政治、技術、人間という存在、ヒューマノイドロボットとの共存、愛や恋の感情、命とは、など議論の幅の広い本作ですが、今回の発表では特に「情動」に着眼して発表しました。これは発表者の個人的興味によるもので、人間とヒューマノイドの間にあるはずの根本的な差は、「情動の有無」ではないか、と現在は考えているからです。そこで、小説のなかでマキューアンがどのようにチャーリーおよびアダムの情動(あるいは情動のように見えるもの)を描いているのか、具体例を引きながら考えてみました。
人間と同等かそれ以上の知能を備えているとされるアダムには、すぐれた言語能力や情報処理能力だけでなく、人間であるかのような質感が備わっています。たとえば肌はあたたかく、触ると奥に筋肉の感触があります。喋るときには呼気と舌と歯と口蓋を使って声を出します。体からはかすかにオイルの匂いが漂い、特に息には温かいテレビの裏側のような匂いがするそうで、それは人間との差を強調してしまう部分かもしれません。
このように、人間とは何かが違うけれど、高精度で人間を模倣しているアダムによって、チャーリーは様々な感覚を喚起させられています。発表者にとって印象的だったのは、アダムの初期充電が終わったときの描写です。
(前略)そばに近づいてみると、呼吸はしていなかったが、うれしいことに、左胸のあたりが規則的に脈打っていた。(略)彼には体内に送り出す血液があるわけではないが、このシミュレーションには効果があった。わたしの疑念がちょっぴり薄れたのである。ばかげているのはわかっていたが、アダムを保護してやりたいような気分になった。(略)生命兆候は信じやすかった。(略)裸の男のかたわらに立って、頭で理解しているものと実際に感じるものとの乖離に戸惑っているというのは気味が悪かった。
(16ページより・強調は発表者による)
心臓を持たないアダムが、鼓動があるかのように見せかけている理由は一体何なのでしょう。チャーリーは、この生理現象のモノマネに、すっかり騙されてしまいます。なぜなら「生命兆候は信じやす」いからです。生命兆候は、人間の情動の一種です。
人間そっくりに脈打ちはじめている裸のアダムを前に、チャーリーの感情は揺れています。「うれしく」なったあと、まるで子どもを見ているような気持ちになって「保護してやりたく」なります。しかしその一方で、アダムには心臓を動かす必要が一切ないことも理解しているため、「実際に感じるものとの乖離に戸惑」い、さらにその状態を「気味悪い」と感じています。
アダムが人間の生理現象を忠実に再現するのは、彼と対峙する人間に共感を芽生えさせるためでしょう。チャーリーがいかに理性では「気味悪い」と思おうと、チャーリーの感覚は自動的にといってもいいほど反射的に、アダムを自分と同じく生きているものとして捉え、「うれしい」「保護してやりたい」という気持ちにさせるのです。
発表では、情動を軸に、アダムとミランダのセックスや、その後の三角関係などについても考察しました。
反省点として、最初にもう少し詳しく情動論について紹介すべきでした。
(2)フィードバックについての省察
参加者のフィードバックからたくさんの気づきを得ました。本当にありがとうございます。すべてにお答えしたいところなのですが、以下2点にコメントします。
①アダムには特に物理的側面における特異性(例えば触れるとか)があると改めて気づきました。
チャットGPTを始めとする生成AIは、人間の形をしている必要がありません。二次元的なやりとりで済ませられるからです。しかし、それだけでは飽き足らず、人間のかたちをした人間そっくりのロボットを作りたいという欲望は多くの人々に共有されており、実現させるための研究も数多く行われています。それにしても、なぜ人間そっくりである必要があるのでしょうか?発表者も常々疑問に思っていました。
この疑問に対して、コメンテーターを務めてくださったロボット工学者の宮澤和貴さんから、「人間とそっくりに作れば、すでに人間のために作られているこの社会におけるさまざまな道具を共有できるというメリットがあります」とのアドバイスをいただきました。なるほど、と膝を打つご回答でした。
②アダムになぜ性器がついているのか、必要なのかというトピックにおいて様々な意見がありましたが、私は、『聖なるズー』における動物性愛者たちの思考を借りて考えてみました。アンドロイドであるアダムの性器は、アダムが一瞬でも人間と対等な立場で存在することができるようにと付けられたのではないでしょうか。人間に近づけるため、視覚的な意味で取り付けたという面もあるでしょうが、アダムが人間らしさを学ぶのは肉体構造だけでなく、あくまで人間との共同生活の中(その過程)にあります。共同生活の一部としてのセックスが可能となるよう、そして人間と対等であると思えるように、そういった人間らしい精神を得るための性器であり、セックスであるような気がします。
参考資料として挙げてくださった『聖なるズー』は発表者の単著で、人間と動物の性を含む関係についての学術調査をもとにしたノンフィクションです。私自身、気づかなかったことをご指摘くださいました。本当にありがとうございます。確かにその通りです。
アダムは性器を使用して、セックスそのものの感覚のみならず、誰かを狂おしく求めることや、さらには屈辱的なかたちでのマスターベーションまで経験します。それらの実践を通して、アダムは恋を自覚し、だからこそ、死にたいと一瞬でも思わなかったのだと自己を考察しています。さらに、マスターベーションは嫌な思い出となってしまったようで、そうであれば、自己を大切にするとはどのようなことかを学んだのではないでしょうか。
ご指摘を頂いて、目からウロコが落ちる思いでした。ありがとうございました!
みなさんとまた、様々な本について語り合うのを楽しみにしております。
(文責:大阪公立大学UCRC研究員/ノンフィクション作家 濱野ちひろ)
2023.9.18 第3班特別会議
2023年9月18日に大阪大学にて、第3班特別会議が開催されました。本会議では、大阪大学長井研究室のロボット研究環境および実際に動作するロボットの見学が行われました。
ロットの温度、動き、サイズ、対面時の印象などを確認し、参者同士で議論を行いました。その中で、ロボットの故障や廃棄に関する話題も上がりました。このようなロボットが持つ脆弱性に関する議論は、第3班のテーマである”個人の主体化における脆弱性の意義の追求”に関連して、ロボットがどのように利用可能かについての考察に繋がり有意義でした。また、ロボットの言語獲得モデルに関する研究について宮澤が説明しました。知能ロボットを作ることで人間を知るという構成論的アプローチや、ロボットの言語獲得モデルの具体的な計算モデルについて、参加者の間で理解を深めました。加えて、長井研究室修士2年の日紫喜氏からは大規模言語モデルを用いたロボットの行動理由の説明に関する研究紹介があり、山本哲也氏からは2023年9月15日〜17日に行われた日本心理学会第87回大会での発表について、ChatGPTを用いた研究を中心に紹介が行われました。本会議を通して、第3班の研究におけるロボットや言語モデルの利用方法について、大変有益な洞察を得ることができました。(文責:宮澤和貴)