2024.8.19 第5回研究集会 セクシュアリティセッション 

 セッション4では「セクシュアリティ」をテーマに鳥山定嗣先生がご発表されました。

🌟鳥山定嗣先生

 鳥山先生は、言語におけるジェンダーと作家のセクシュアリティの関係をテーマとし、フランスのソネット(十四行詩)、とりわけポール・ヴェルレーヌの詩を取りあげました。言語のジェンダーには、文法上の性(男性名詞・女性名詞・中性名詞)や脚韻の性(女性韻・男性韻)がありますが、性的マイノリティの詩人たちはこれをどのように活用しているのか、「規範からの逸脱」が論点となりました。まずソネットの歴史を概観した上で、正規のソネット(4433)の構造を逆にした倒置ソネット(3344)が19世紀に現れること、美学的な意図でこれを用いる詩人がいる(Auguste Brizeuxは倒置ソネットをピラミッドに喩える)一方、ヴェルレーヌの倒置ソネットには同性愛の主題が読みとれることを、先行研究を紹介しつつ解説されました。また、鷹、白鳥、蛇などの動物のイメージに読みとれる性的含意、ラファエロ《悪魔を倒す聖ミカエル》を想起させるキリスト教的なモチーフ、さらに屈折した自意識の表現と思われる脚韻配置の変則性にも言及されました。

 質疑応答では、フランス式ソネットの特徴(イタリア式ソネットとイギリス式ソネットとの比較)が話題となりました。また、エンブレム詩やコンクリート・ポエムとも関連する論点として、Brizeuxの倒置ソネットに見られる「ピラミッド」のような文化的象徴が男性性や権力を表現する手法と結びついているのではないかという質問に対して、Brizeuxの詩は直接的にジェンダーを問題としているわけではないが、伝統的な形式を覆す美的象徴としてピラミッドという非ヨーロッパ的な形象を用いた可能性があると応じました。また、ヴェルレーヌの詩における白鳥のメタファーをめぐって、絵画ではレダと白鳥(ゼウス)のように、白鳥が男性的な性的象徴として描かれることが多いという指摘に対して、文学では白鳥が女体を暗示する場合もあり、バシュラールの指摘するように、両性具有的な象徴とみなされることを確認されました。

(文責:京都大学 博士後期課程 飯沼洋子)

2024.8.19 第5回研究集会 自然とアートセッション 

 2024年8月19日、20日に名古屋大学東山キャンパス文学部本館にて本年度第1回全体集会が開催されました。20日10時から12時にかけて、セッション3では「自然とアート」をテーマに研究発表が行われました。岩崎陽一先生が司会を担当し、金信行先生、武田宙也先生、池野絢子先生、森元斎先生の順番で発表されました。

🌟金信行先生

 金先生は、金沢二十一世紀美術館が開催する開館20周年記念展覧会「すべてのものとダンスを踊って――共感のエコロジー」(11月2日〜3月16日)における共同イベント企画の発案を募りました。またブリュノ・ラトゥール氏や長谷川裕子氏のキュレーション活動を例に、アクターネットワークを拡張していく社会思想の実践としてのキュレーションのあり方を示しました。そのほか、山梨県立大学地域人材養成センターでのイベントについての企画案も提案されました。

 質疑応答では、企画案に関して、共同キュレーターの哲学者エマヌエーレ・コッチャ氏や植物学者ステファノ・マンクーゾ氏の招聘から、特に植物や自然を中心としたシンポジウムとなることが確認されました。その際に、自然の暴力性、抑えがたさといった側面もあわせて企画に盛り込むべきだという意見がありました。また食虫植物などを取り上げ、植物の主体性やアクティブな特性を評価し、多様な植物の研究や展示企画が提案されました。

🌟武田宙也先生

 武田先生は、人新世とも関係し注目を集めているフランスの哲学者かつ精神分析家のフェリックス・ガタリの概念、「エコゾフィー(Ecosophy)」について発表されました。エコゾフィーとは心、社会、環境のエコロジーがそれぞれ相互連関している三位一体のエコロジー思想のことで、その参考例としてラ・ボルド病院を取りあげました。病院では医師と患者の二者関係ではなく、患者を取り巻く環境、人、もの、アクティビティの配置が複合的に絡み合うことで、患者の心のエコロジーに良い影響を与えると考えられ、都度、主体が新しく構築されていくような集合的な主体化が実践される拠点でした。

 質疑応答では、グループとコレクティブの差異についての議論がありました。ジャン=ポール・サルトルのグループでは人々が同じ方向を向くことで生まれる政治的方向性が求められる一方で、ジャン・ウリのコレクティブでは、その場に居合わせただけの有象無象の人々にポジティブな展望が見出されるといった説明がありました。ウリのコレクティブでは役割の固定化を避け、方向性を無化することで、常に新たな意味を持ち続けるという点が強調されました。政治学の観点からは、トップダウンの決定やアッセンブリッジの議論が、集団の多様性や可能性とどのように関連するかについても議論されました。

🌟池野絢子先生

 池野先生は、1909年にイタリアで興った未来を思考する芸術運動、未来派が提唱したマニフェストの一つ〈機械芸術宣言〉を取りあげ、機械美学をセクシュアリティの問題から検討しました。未来派は過去の芸術を徹底的に否定し、新しい近代社会の速度とダイナミズムの美を追求しましたが、戦争を賛美したために、これまで評価が難しかった芸術運動です。人間は進化すると機械と同一化すると考えていた未来派の思想は、二十世紀における進歩のイデオロギーとして捉え直され、女性の代替物と化した美しい機械に見出されるような「人間―機械」の表象における性が検討されました。さらに未来派の女性アーティストがフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティとは異なるアプローチをとったことや、芸術的な表現における女性的要素の扱いについても言及されました。

 質疑応答では、未来派の機械や戦争賛美と、近代化が遅れた当時のイタリアの現実とが合致しない点が指摘され、コンプレックスに基づく思想である可能性が示唆されました。池野先生は、未来派が現実と適合しない極端な未来像を描くことで、芸術的なビジョンを追求していたと説明しました。

🌟森元斎先生

 森先生は、芸術における暴力と欲望の関係をテーマに、キャピタリズムやアナーキズムとの関連について発表されました。特に二〇世紀初頭のアバンギャルド芸術運動(未来派、ダダ、シュールレアリスム)に焦点をあて、そのアナーキスト的側面が考察されました。ダダイストやレトリスト、シュールレアリストの活動、ベルリン・ダダとパリ・ダダの差異、フーゴ・バルの資本主義批判、ニーチェの影響についても言及されました。さらに、シチュアシオニスト・インターナショナルや映画、自然との融合についても考察し、アナーキーと芸術の関係およびその政治的影響について、議論されました。

 質疑応答では、アーティストによるコレクティブは政治的になりうるか、また、象徴化を通じて芸術がどのように影響を与えるかについても議論されました。第一次世界大戦はその重要なモデルケースであり、失敗のケースでもあります。アートと政治の関係性や、インドネシアのアーティストによるコレクティブ、ルアンルパの事例における政治性の解釈もまた重要なトピックであることが確認されました。

(文責:京都大学、博士後期課程 飯沼洋子)

2024.8.19 第5回研究集会 叢書第2巻セッション 

 名古屋大学・東山キャンパスで行われたAAAプロジェクト第5回研究集会 第1日目(2024/8/19)セッション2は、「生成AIとロボット」と題して、人間とAI、ロボットの関わりについて3つの研究成果が発表された。

🌟池田慎之介先生

 第1発表の池田慎之介先生(金沢大)はまず、第3班において個人の主体化における脆弱性の意義の解明というテーマが共有されていると述べ、プロジェクト内での班の位置付けを行った。そして、ロボットやAIというトピックを軸にして基礎的知見の共有を行なってきたとこれまでの活動を総括した。その後、池田先生は「ヒトとロボットの“主体的”な共生に向けて」と題して、ロボットとの共生における主体性の重要性を主張する発表を行った。ロボットやAIを道徳的行為者として存在させるためには主体性を付与することが必要であるとしたうえで、認知心理学者マイケル・トマセロの主体性の分類に依拠して、ヒトとロボットの共生においては、とりわけ「共有的主体性」が重要になると主張した。共有的主体性の確立には規範・道徳といったものが重要であり、さらに規範や道徳は他者の脆弱性や痛みへの共感に基づく。ゆえに、ロボット・AIにどうすれば共感できるのか、どうすれば主体的な協働者として認識できるのかを明らかにすることが今後の課題であると述べた。

🌟宮澤和貴先生

 第2発表の宮澤和貴先生(大阪大)は「言葉を扱うロボット・人工知能」と題して、ロボット・AIにおける実世界に根ざした言語の獲得をめぐる研究について報告した。世界モデルとして言語を獲得することを実世界に根ざした言語の獲得と定義したうえで、マルチモーダル情報と言語情報を統合することで概念モデルを形成して言語を世界モデルに内包させるための研究について紹介した。まず実体を持つロボットの言語学習において複数の感覚情報の関係を学ばせることで、概念の獲得が可能になる道を示した。次に実体を持たない人工知能においては事前学習によって単語の関係を学ばせることで、より汎用性の高い予測が実現できるとした。最後に、大規模言語モデルから大規模マルチモーダルモデルへの発展可能性とその意義を主張した。

🌟高橋英之先生

 第3発表の高橋英之先生(大阪大)は「現実に侵食するロボット」と題して、人間とロボットがどのような関係を築くべきなのかを論じた。高橋先生は人間には他者に合わせてもらいたいという欲求があることを示す実験を紹介したうえで、他方で他者に何かをしてあげたいという欲求も存在することを指摘し、大道麻由氏(大阪大)の「感謝してくれる家電スイッチ」を紹介した。しかしながら一方向的な関係には無理があるとして、「してあげたい」と「してもらいたい」のバランスが取れた関係をロボットと築くことが重要であると主張した。そのためには「してあげたい」と思えるような存在感をロボットが獲得し人間とロボットが対等な関係になることが必要であり、その方法として人間とは異質な存在としてロボットをデザインするべきだと提言した。方法の具体例として、ロボットの外見と物語(バックストーリー)に注目したアプローチが紹介された。最後に大目標として、虚構と現実の境界面を曖昧にして、社会構造をより動的なものに変容させたいと述べ、そのために中動態的状態を可能にする存在としてロボットを理解することが鍵になると述べた。

 発表後の質疑応答においては、ロボットの主体性に関してトマセロの説が人間中心主義か否か、主体性を獲得したロボットは政治的主体となって政治に参加できるようになるのかといった議論が行われた。また人間の予測通りに行動するロボットの是非についても議論が行われた。

(文責:京都大学大学院文学研究科博士後期課程2年 西村真悟)

2024.8.19 第5回研究集会 叢書第1巻セッション 

 8/19-20の2日間にわたり、AAAプロジェクト第5回研究集会が開かれた。初日に行われたセッション1とセッション2との目的は、AAA叢書の第1巻と第2巻の執筆担当者である先生方にその内容の構想を発表していただくことである。

 セッション1では、テキストアナリティクスがテーマとなる叢書第1巻の執筆担当者である4人の先生方による発表が行われた。

🌟鈴木麗璽先生

 鈴木麗璽先生の発表は、LLMを活用した人工社会におけるテキストの進化ダイナミクスに関する2つの分析事例の紹介である。従来の研究とは異なり、多数のLLMエージェントからなる集団を対象とした研究における出力は自然言語に基づいており、なおかつ膨大であることから、人工社会のテキスト分析に基づく理解が課題となる。1つめの事例は、会話トピックの選好性の文化進化モデルを構築し、言葉の進化ダイナミクスを分析したものである。たとえば、ポジティブ、ネガティブ、ポジティブ・ネガティブの3種の発話をそれぞれ行うように設定した多数のエージェントの動きを分析するといった実験を行うと、ポジティブなエージェントの方が集団を作りやすいことや、ポジティブな発話には「new」といった特定の語が含まれているといった傾向がわかった。こうした分析結果から、言葉の持つ特徴が集団形成のダイナミクスに貢献する可能性があると鈴木先生は述べた。2つめの事例は、LLMを活用し、ゲーム的相互作用における戦略に言葉を利用する分析である。これは、たとえば「強い動物」というようなお題のもと、それぞれ異なる動物の名前のデータを持つエージェントを競わせるとどのような進化のシナリオになるのかを分析するものである。従来の研究では相互作用に限界があるのに対し、LLMを活用したこの研究では、無数に生じうる選択肢から生じる多様・オープンエンドな進化シナリオが期待されると鈴木先生は述べた。

🌟伊東剛史先生

 伊東剛史先生の発表は、19世紀末の標本採集人に大きな影響を及ぼしたチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ラッセル・ウォレスのそれぞれの探検旅行記である『ビーグル号航海記』と『マレー諸島探検記』とに対して行った感情の動きを分析するセンチメント分析の結果についてである。伊東先生は、まずダーウィンとウォレスとの共通点・相違点について説明し、次に両者の航海記に対するセンチメント分析の結果について報告を行った。分析を行うと、たとえば、ダーウィンとウォレス、両者の旅行記はともに帰国に近づくほどポジティブになるといった結果が出た。また、伊東先生は、旅行記に対する分析結果についての検証として、喜劇であるジェイン・オースティン『高慢と偏見』と悲劇であるトーマス・ハーディ『日陰者ジュード』についても同様の分析を行った。そこに現れる感情の動きが両作品の話の展開に合致することから、旅行記に対する分析結果も信頼性があるのではないかと語った。発表の最後には、研究をより深めるために、これから検討すべきいくつかの課題についての説明がなされた。

🌟和泉悠先生

 和泉悠先生はカズオ・イシグロの小説『クララとおひさま』の翻訳に見られる「おんな言葉」について、テキストマイニングの手法を用いて分析・考察した結果の発表を行った。和泉先生は、現実の女性の「おんな言葉」の使用率との比較を行う対象として、「おんな言葉」の計量的研究として過去に行われた実態調査の結果を取り上げた。その先行研究の結果と『クララとおひさま』に登場する女性人物のセリフにおける「おんな言葉」を表す「女性的」文末形式の使用割合を比較すると、現実の女性全体では2.9 %であったのに対し、翻訳の女性人物のセリフは94 %と、両者には大きな差異が見られた。和泉先生は、この分析結果に基づき、翻訳で見られるような「おんな言葉」が現実の人間の話し方としてはほとんど見られないということは、「おんな言葉」が女らしさの強調というレベルの話に収まるのではなく、現実の人間との根本的乖離があるのではないかということを示唆した。また発表の締めくくりとして、「おんな言葉」の使用には、読者の世界観を操作する可能性をはじめとする、様々な規範的含意の可能性があるということを指摘した。

🌟劉雪琴先生

 劉雪琴先生は、中国SF作品である『折りたたみ北京』の日本語訳である中国語からの直接翻訳と英語版を経由した重訳の2つの翻訳を対象とした、比較研究についての発表を行った。劉先生の研究によると、この2つの翻訳に用いられる語種や表現には差異が見られる。たとえば、語種については、直接翻訳は中国語の影響からか、和語や混種語が多い一方、重訳は英単語をそのままカタカナにした外来語が多いという有意な差が見られた。また、他にも、代名詞の使用については、直接翻訳は代名詞の省略が多い一方で、重訳は代名詞をそのまま翻訳したり、人名に置き換えるといった差が見られるという。修飾語については、直接翻訳は原文への忠実度が高く、重訳では省略されている形容詞の使用などが見られ、多様性という点では、直接翻訳の方が重訳より高いということが読み取れた。最後に劉先生は、今後の課題として、人称代名詞の頻度に関する考察が、単なる語彙の問題にとどまらず、物語の視点や話法とも密接に関連するため、さらなる精査・検討が必要となると述べた。

 先生方の発表の後には、質疑応答・討論の時間が設けられた。たとえば、鈴木先生の発表に対して、AIを用いた人工社会の分析が、現実の人間のコピーと言えるのか、といった研究の意義・目的および人間とAIとの関係を問うような質問がされるなど、研究のブラッシュアップに繋がる議論が多く行われた。

(文責:名古屋大学人文学研究科博士後期課程1年 田中基規)

2024.8.19-20 第5回研究集会

 当プロジェクトも、期間の折り返しを迎えています。これまで数々の課題を洗い出し、検討を進めてきました。大平英樹教授が、「後半期間は、これまでの成果を踏まえて、より戦略的にプロジェクトを展開していきたい」と話すように、今後さらに加速し、新たな流れを作るフェーズへ突入します。2024年8月19日、20日に開催された全体研究集会では、各班の話題提供と活発な議論に加え、叢書の出版や金沢21世紀美術館との共催による国際シンポジウムなど具体的な成果発表の構想についても議論されました。

 白熱した発表、議論のうち、ここでは一つ、<セッション4:セクシュアリティ>における、鳥山定嗣先生のご発表について紹介します。

 鳥山先生が掲げている一つのテーマが、「言語のジェンダーと作家のセクシュアリティ」です。その検討の一つとして、フランスの詩人であるポール・ヴェルレーヌ(1844 – 1896)の詩、「良い弟子」が紹介されました。

 一見、キリスト教的な詩のように読めます。ですが、いくつかの解釈において、この詩は同性愛について読んだものと言われています。ヴェルレーヌは当時、アルチュール・ランボー(1854 – 1891)と同性愛の関係にありました。この詩は、そのランボーの財布から出てきたものです。当時世間一般に公表されていなかったことから、ヴェルレーヌからランボーへ送られた私的な詩であることがわかります。そこから、詩中の「私」はヴェルレーヌ、「君」はランボーと見ることができます。その他にも、「選ばれた私」と「呪われた私」のような両義的な表現や、鷹や白鳥という性的な意味を匂わせる動物表現、脚韻の工夫による表現などをはじめとして、同性愛的な含意をいくつも読み取ることができます。

 鳥山先生は先行研究の指摘を紹介しつつ、同性愛的な解釈に通ずる、詩の構造の検討を加えました。ソネットと呼ばれる14行詩(13世紀イタリアに誕生し、16世紀フランスに伝わった定型詩)は、4行-4行-3行-3行と構成されるのが一般的でした。しかし、この詩の構造は斬新で、3行-3行-4行-4行と構成されています。この倒置構造に、通常の愛とは異なる同性愛の含意を読み取ることができます。

 確かに、言葉を変えたところで社会への影響は大きくないかもしれません。しかし、「そこはそう簡単には割り切れないのではないか」と鳥山先生は話します。自然現象の一つとみなされる性(セックス)も、言葉にする時点ですでにジェンダー化されているという見方もあります。そう考えれば、言語上の破格行為も社会変革と無縁とは言えないのではないでしょうか。

 「単なる自己満足と見る人もいるかもしれません。それでもこの詩は、当時の社会規範やジェンダー観に対するささやかな抵抗だったのではないかと思います。」

 “私”自身の性別を明らかにすることなく自分について語ることが難しい、そのような言語がフランス語をはじめ世界には少なからず存在します。言葉がジェンダー規範に与える影響は、今後も深く検討される必要があります。

(文責・綾塚達郎)

2024.7.27 第三回ロボット視察研究会―ロボット・人工物の主体化・身体性をめぐって

2024年7月27日に大阪大学にて、第3班企画のロボット視察研究会「第三回ロボット視察研究会―ロボット・人工物の主体化・身体性をめぐって」が開催された。本研究会では、大阪大学長井研究室にてロボット視察を行った後、2件のライトニングトークを含む合計5件の発表が行われた。

🌟長井研究室ロボット視察

 長井研究室ロボット視察では、はじめに長井研究室助教でAAAプロジェクト第3班メンバーである宮澤が長井研究室の研究トピックや設備等について説明した。その後、3台のロボットのデモンストレーションを視察しつつ、活発な意見交換を行った。視察したデモンストレーションは、Universal Robots社のアームロボットUR5eとUniversal Manipulation Interfaceを用いた模倣学習によるティーカップの操作、株式会社ア-ルティのヒューマノイドロボットBonoboによるジェスチャーを交えた雑談対話、そして、Boston Dynamics社の四足歩行ロボットSpotによる歩行や物体把持であった。

 それぞれのロボットのデモンストレーションごとに、実際にロボットが動作している様子を見たり、ロボットに触れたりすることで最新のロボット研究についてより深く知ることができた。また、ロボットのデモンストレーションを行った長井研究室の学生とロボットを前にしながら意見交換することで、ロボットの身体性や運動制御の難しさ、センサー配置とその理由など、非常に多くのことを議論できたロボット視察となった。

🌟高見滉平さん(長井研究室修士2年)

 対話システムは広く研究されており、雑談対話システムもまた研究が進んでいる。これらの議論の中心は、対話システムをより人間らしくすることや、共感を示すことなどである。しかしながら、本研究では対話相手の発話のセンチメントを報酬とする強化学習モデルを提案し、発話を選択することで、対話相手の感情を考慮し対話相手の発話を直接制御することを提案した。その有効性を検証するため、シミュレーションや被験者実験を行った。本研究会の発表では、実験の予備的な解析結果について示した。さらに、AI Agentの主体化について、AI Alignmentの観点からも議論をした。

🌟福田聡也さん(長井研究室修士1年)

近年、対話システムが盛んに研究されている。対話システムが今後より進展していくには、対話相手の心的状況を考慮して対話したい。そこで、対話相手の発話の肯定度を考慮した発話選択のモデルとLLMへの性格の付与を行った対話誘導モデルを提案した。この提案手法により、ネガティブな対話相手の発話をポジティブに誘導できるかを検証するためにシミュレーション対話実験を行った。その結果、対話相手の発話の肯定度が上昇し、このシステムの有効性が示された。また、人工物の主体化プロセスについて考える際に、人工物が他者から傷つけられる能力を持つことが重要であると考えている。そこで、言語を扱う人工物としてLLMを用いて、LLMが言語的に傷つけられる能力を持つかを検証した。具体的には、LLMに対して罵倒語を与えて、ベンチマークタスクを実行した時のタスクの成功率を評価した。本研究会では、予備的な実験結果の共有を行い、LLMの主体化に関する議論を行った。

🌟池田慎之介先生

 池田は,「言語獲得における身体性の機能:ヒトとロボットの対比を見据えて」という題で,言語獲得において身体性がどのように機能しうるかを論じた。特に,記号接地問題,オノマトペ,痛みをキーワードにし,先行研究を整理した上で,今後の研究課題について述べた。議論では,LLMは過去の人間による言語活動の蓄積に立脚しているため記号接地問題を回避してしまいうること,身体性に基づく(過去の蓄積を参照できないような)新たな言語活動においてはヒトとロボットとで振る舞いに差が生じうることなどが指摘された。今後の方向性として,ヒトとロボットとで主体化のプロセスが異なる可能性があるため,その点について痛みや身体を軸として掘り下げていく必要性が認識された。

🌟肖軼群さん

 肖は、「分断を告げる身体――触覚から読むカズオ・イシグロ『クララとお日さま』」というタイトルで、触覚の視点から『クララとお日さま』の新しい読みを再考する内容で発表を行った。AFであるクララが経験する触覚体験を二つのカテゴリーに分けて、望ましくない触覚体験として「肘を掴む」こと、望ましい触覚体験をとして「抱擁」を例として分析を行った。クララが触覚について学習するプロセスを考察していくうちに、彼女が抱く人間に平等に扱われたい願望、そして人間との一体感を味わいたい欲求が判明する。AIやロボット工学についての知見を吸収しながら、人工知能を搭載したロボットを一人称語り手として設定するイシグロは、ロボット小説における身体性の問題を提起し、触覚に込められている人間とロボットとの間の権力関係のメカニズムを前景化しているという結論を提示した。

🌟宮澤和貴先生

 宮澤は「Agent AIとWorld Models:人工物の主体化を考える」と題し、近年盛んに研究されている自律性を持つAI(Agent AI)と、エージェントが持つ世界の予測モデル(World Models)をもとに、人工物の主体化に関する発表を行った。大規模言語モデルなど、大規模に学習されたモデルが単なる関数や道具としてではなく、自律的な振る舞いを実現できるようになりつつある。AIの自律性が向上し、その振る舞いを人間が想定することが困難になるほど、AIやロボットの主体化プロセスに関する議論の重要性が増すと考えられる。研究会では、人工物の主体化プロセスを記号創発システムの中で捉えることについて議論した。その中で、主体化プロセスは固定的な状態ではなく、常に変化し続けるプロセスとして主体性を捉えることの重要性が議論された。また、エージェントが自ら獲得する主体性だけでなく、他者から与えられる主体性の存在についても議論が行われた。この視点は、主体化プロセスの多面性と複雑性をさらに浮き彫りにするものであった。

2024.7.6 第1班の第4回班別会議

2024年7月6日、名古屋大学人文知共創センター室にて第4回理論班会議が開催されました。

 中村靖子先生は、構造的トピックモデルを用いてフロイトのテクストにおけるトピックの変遷を視覚化し、特に中期に中心的なトピックとなる“Traum”(夢)と、後期に中心的なトピックとなる“Witz”(機知)に注目してフロイトのユーモア論を紹介されました。

 質疑応答では、著者の思想的変遷を扱う研究において量的研究に対して質的研究が今後どのように位置づけられるべきかについて議論がなされ、研究の妥当性の確認としての量的研究の意義が再確認されました。

 鄭弯弯先生は、語彙の難易度を推定するための指標として、単語の親密度を導入する試みについて紹介されました。単語の親密度は、単語の出現頻度とは異なり、言葉を使う人の実感に依存する主観的指標であり、出現頻度のみを用いる場合に比べてより高い精度で語彙の難易度を推定できることが期待されています。 

 質疑応答では、方言や同義語の難易度を比較する際に親密度という指標がどう働くのか、語の古さが語の難易度や親密度とどのように関係するのか、などが議題に上がりました。

 鈴木麗璽先生は、言葉を持ったエージェントを対戦させ、言語モデルを用いて特定の指標によって勝者が弱者にとって代わり、さらに低い確率で単語を変異させる言語の生態ゲームによって、言語を進化的に扱う試みについて報告されました。次いで、この生態ゲームのテキストマイニング的な応用の可能性について問題提起されました。

 質疑応答では、人間の代わりに生成モデルを被験者として用いる心理学研究がマスレベルでは一定の成功を収めていることなどを例に、高度な人工知能エージェントの出現により人間観が問い直される可能性が指摘され、言語モデルの心理学研究への応用可能性が議論されました。

 大平徹先生は、2つの方程式が独立している場合に比べ、同じ値のまま両者の間に遅れカップリングを導入するだけではるかに大きな振動が生じることに着目し、集団の相互作用が生み出すリズムや構造を、遅れ微分方程式を用いて記述する試みについて報告されました。

 質疑応答では、研究の独創性として、遅れを導入しない従来のモデルでは増幅し続けて無限に発散するものしか記述できなかったのに対し、遅れ微分方程式は微弱な信号から非常に大きな振動を生み出すものでありながら制御可能なモデルであるという点が強調されました。

 金信行先生は、技術イノベーションの発展に経済の観点を含める形で、ラトゥールとは異なる立場からアクターネットワーク理論(Actor-Network-theory: ANT)を展開したミシェル・カロンの議論を取り上げ、カロンが提案する、媒介物を含むアクターが、様々な翻訳を通じて構成する技術経済ネットワーク(Techno-Economic Network: TEN)という概念をもとにANTの応用可能性を検討されました。 

 質疑応答では人間の脱中心化という観点から、ANT的な記述において翻訳のプロセスから人間による評価が排除されえないことの是非や、現代において情報のアウトプット(テクストの制作)の主体となりうる人間以外のアクターについて議論が交わされました。

 田村哲樹先生は、「政治体」と「集合体」を区別しようとしたラトゥールの議論を取り上げ、ANTを踏まえた政治や民主主義の概念について再検討されました。また、人工知能の民主主義的・非民主主義的側面を腑分けして後者を抑制しつつ前者を活用する方向性を検討しされました。

 質疑応答では、ランダムな抽選による代表者の選出、AIエージェントの政治参加などを例に、平等性、多様性、中立性といった観点から民主的な政治参加とはなにかという議題があげられました。

 平田周先生はラトゥールのANTを都市研究に応用する試みについて報告されました。従来の社会学の代替ではなく補完として、ANTの役割を批判的に検討したニール・ブレナーの議論を基に、政治経済学との接合によるANTの有効性と、ANTの存在論的な限界について考察されました。

 質疑応答では、ブレナーの取る立場とANTの立場での視点の違いが指摘され、ブレナーの批判の妥当性が検討されました。また、ANTでは人間どうしの平等性だけでなく人間以外のモノを含めたアクター間の平等性について考察することができるのか、そのときの平等性の質的な違いをどう捉えるべきかなどについて議論がなされました。

(文責: 大阪大学人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)

2024.6.18 第3班の第6回班別会議

2024年6月18日、オンライン(Zoom)にて第3班の第6回班別会議が開催されました(参加者/敬称略:池田慎之介、和泉悠、大平英樹、肖軼群、ソニア・ザン、鄭弯弯、中村靖子、南谷奉良、平井尚生、宮澤和貴)。本班別会議では各班員の進捗報告に加えて、宮澤の在籍する大阪大学で開催する「第三回ロボット視察研究会―ロボット・人工物の主体化・身体化をめぐって」についての打ち合わせ、また叢書刊行へ向けた10月実施の若手研究発表会の打ち合わせが行われました。

 前述の視察研究会では、イギリスの小説家カズオ・イシグロを専門に研究する肖軼群氏(京都大学)から、カズオ・イシグロ作品をロボットの触覚という観点から分析する研究発表が行われるほか、ロボットの身体性、主体化について班員の池田、宮澤から研究発表が予定されています。また、本研究会は他班のメンバーからも広く参加を募っており、研究班の枠組みを越えた交流が見込まれます。

🌟南谷奉良

 2024年5月17日の第7回終わらない読書会―22世紀の人文学に向けて―」を開催し、講師に金嶋ゆうひ氏を迎え、村田沙耶香の『コンビニ人間』を扱った。金嶋氏がイベント報告で詳細に説明しているように、(1)KH Coderによるテキストマイニングを用いた計量分析と特徴語の解説、(2)主人公の変化の考察(3)現実世界を通した読解を行った。7月19日には、終わらない読書会の第8回を開催予定(対象テキスト:佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』)が開催予定である。また業績成果として、和泉氏の悪口の研究から着想を得た論文が2024年末に刊行予定の書籍用に査読中である点、また日本医用画像工学会の学会誌『Medical Imaging Technology』に対して、京都大学公開シンポジウム「未だ生成されざる学知に向けて―生成AIの諸問題と可能性」に登壇したメンバーのうち4名(うち2名は南谷と山本哲也)の寄稿が決定し、8月に生成AIの特集が刊行されることが報告された。

🌟和泉悠

 和泉はオンラインにおける有害な言語表現についての研究を進めた。2024年3月に、言語処理学会30回年次大会において、「ホープスピーチ研究のための日本語データセット」を発表した。何らかの意味での希望的な表現に注目することにより、規制に頼ることなく、有害表現を抑制する可能性を探求した。 また、2024年5月、University of Hawaiʻi at Mānoaで開かれた、12th East-West Philosophers’ Conferenceでは、“Abusive Language in the Age of AI: Insights from the Japanese Linguistic and Cultural Context”というタイトルで研究発表を行った。比較言語学的な知見を通じて、今後増加することが見込まれるAIによって生成される有害な言語表現に関する課題を検討した。

🌟池田慎之介

 池田は主に以下の3点について報告を行った。まず,前年度に実施した研究によって得られた知見について,scientific reports誌へと投稿中である。1st roundの審査を経てMajor Revisionの判定を受け,現在その修正稿について2nd roundの審査を受けている状況である。次に,0歳児の乳児から小学生の児童まで幅広い年齢層を対象とした実験調査を実施する環境の構築が完了した。これにより,あらゆる発達段階の子どもを対象として様々なデータを取得することが可能となった。最後に,別途競争的研究資金を獲得し,VRを用いた実験を行うための環境を整えた。これにより,仮想現実・拡張現実空間における様々な行動実験が可能となった。

🌟宮澤和貴

 2024年6月に、2024年度人工知能学会全国大会において、「大規模言語モデルを基盤としたロボットの言語獲得に関する考察」というタイトルで発表を行った。この発表では、記号創発システム、大規模言語モデル、そしてロボットの身体の関係を踏まえて大規模言語モデルを利用したロボットの言語獲得について考察した。

 LLMの性格特性と対話相手の感情価を考慮した雑談対話システムのロボットへの実装を行った。このシステムでは、ロボットは音声とジェスチャーを用いてユーザーと雑談対話を行う。今後は、ジェスチャーのみでなく移動や物体の操作を含めた対話システムへと拡張することで、第3班のテーマである言語獲得と主体化プロセスを検証するロボットシステムとして活用できるようにする予定である。

 LLMの痛みに対する理解と影響を調査するために、痛みを伴う言葉として罵倒語をプロンプトに含めた際のLLMの出力の変化を検証した。今後はより自然な形で罵倒語を提示する方法や、モデル内部の解析を行うことを計画している。

2024.5.17 第7回「終わらない読書会─22世紀の人文学に向けて」@Zoom

【1】発表内容のまとめ

 村田沙耶香『コンビニ人間』を取り上げ、働くなかで人がモノに近づくというテーマで読解しました。

 作品を簡単に紹介しますと、主人公の古倉さんは36歳の女性で、コンビニのベテランアルバイト店員です。自然に振舞うと周りから「奇妙がられる」ため、「普通」にならなければという義務感から、周りの人を模倣したり指示に従ったりし続けてきました。その延長で、同居相手の白羽さんの強引な提案を受け入れ退職にまで至ります。しかし作品のラストで、古倉さんだけが「コンビニの『声』」を聞いたことをきっかけに、店員復帰を自ら選択します。

 テーマの”人がモノに近づく”という表現は、他者をモノ扱いすることで相手がモノに近づくことと、人が自らモノに近づくことを含んでいます。具体的には、他者の人格を尊重せず都合良く扱ったり、自分の人格よりも組織の中での立場を優先し続けたりする等の振舞いです。これは機能を果たすことと内在的価値を求めることとの葛藤とも表現できます。なお、適切な用語があるかもしれませんが、ここでは人格という言葉を用い、実現したいこと、どんなことにやりがいを感じるか/感じないか、感情等、幅広く”本来のその人らしい在り方”という意味を持たせています。

 私は十数年間の会社員経験の中で、本心では充実感を持てないときに、仕事だから我慢して当たり前と現状を甘受し続けるうち、自分が人ではなくモノになっていく感覚を持ち、残念に感じることが何度もありました。また同僚や友人、家族との会話からも、仕事の上で誰かに都合良く扱われ意欲を削がれた経験等を確認できたので、多くの人が同様の事態に遭遇しているのではないかと考え、テーマに設定しました。

 当日は発表に移る前に、南谷さんより働くことと身体性の関係についてコメントをいただきました。日々の動作の反復によって体形や所作にその職業らしさが定着するように、身体は職業から強く影響を受けるとのご指摘でした。

 続いて匿名チャットアプリAIVISにて、参加者の方から作品の感想を書き込んでいただき、主催者の方々にコメントをいただきながら参照しました。感想は48件あり、「普通」や「正常」に関して考えたこと、古倉さんに対する考察や共感、コンビニという舞台への考察、作品中の印象的な表現等、多様なお考えを伺うことができました。

 さて、発表内容は、1計量テキスト分析、2主人公の変化の考察、3現実世界を通した読解 これら3点から構成しました。

1 計量テキスト分析

 KH Coderを利用して作品全体の計量テキスト分析を行い、語の出現回数、共起ネットワーク(一緒に出現する語同士を線で結んだ図)等を確認しました。このうち発表では頻出語に絞って分析結果を紹介しました。例えば「コンビニ」という語です。この語は、文庫で161ページある作品のなかで111回出現します。私は場面に限らず目にする印象を持ちましたが、分析結果から古倉さんの退職(文庫p.140)以降の「特徴語」(注1)であることがわかりました。(図1)。また、「コンビニ」と一緒に出現する語が、物語の進行とともに変化することもわかりました。途中では「働く」「店員」「思う」ですが、ラストに近づくと「声」「人間」「身体」「音」「自分」になります。(図2)。このように計量テキスト分析を通して、主観的な印象と客観的な分析結果の相違点や、読んでいても気づかなかった文章の特徴を掴むことができました。

(図1)

注1:KH Coderでは、「データ全体に比して、それぞれの部において特に高い確率で出現している語」を「特徴語」と呼ぶ。

注2:数値は「Jaccardの類似性測度で」「0から1までの値をとり、関連が強いほど1に近づく。」(注1、2とも、引用元は樋口耕一『社会調査のための計量テキスト分析』p.39)

注3:部は『コンビニ人間』にはないが、発表者にて付与した。

(図2)

2 主人公の変化の考察

 最初に、主要登場人物の特徴や、他の登場人物との関係性を整理しました。

 古倉さんについては、周りの人が特性を理解しようとせずにモノ扱いしていると読み取りました。中でも家族は、大切にしているつもりが結果的にモノ扱いしてしまっているように見えました。白羽さんは、女性蔑視と読み取れるセリフが多く嫌悪感を掻き立てます。そこで、男性学の視点を取り入れることで、嫌悪感を乗り越えて言動の背景を推測することを試みました。また白羽さんについてのみ、痩せ過ぎの高身長との身体的特徴が繰り返し描写され、風貌の異様さが強調されます。白羽さんは言動の異様さにより周りから「異物」扱いされますが、もし言動が「普通」だったとしても、風貌のせいで「異物」扱いされるのではないかと考えました。

 次に、古倉さんの変化について、周りに言われるがまま無批判に目指していた「普通」に対して、意味を知った上で距離を取ったからこそ、作中で「普通」ではないとされるコンビニアルバイトへの復帰を自ら決断するに至ったと考察しました。これは古倉さんが実存を取り戻したとも読めると思います。

 最後に、平繁さんより英語版を中心にコメントをいただきました。古倉さんを類型化して捉えることの是非や、白羽さんの人物像について英語版の文体は日本語版と比べて粗暴な印象を喚起したこと等をご指摘いただきました。

3 現実世界を通した読解

 現実世界を通して作品の読解を深めることを目的としました。

 私の認識では、働くなかで公式な場と非公式な場が混在しているように見えることを提示しました。働くなかで人がモノに近づくことの特徴として、公式な場の体裁を整える必要に迫られて、また、非公式な場で実務上の必要に迫られての結果であることが挙げられるのではないかと考えます。作品中には、公式な場である朝礼に、「誓いの言葉」の省略(文庫p.35)や悪口大会(同p.75-76)により、非公式な場が混ざり込む様子が確認できます。現実世界についても同様の視点で捉えてみようと、作品の舞台であるコンビニ各社の統合報告書や組織図、経済産業省「新たなコンビニのあり方検討会」中のオーナーヒアリング資料を参照しました。加えて、私や参加者の体験談を共有しました。(事前アンケートに15件のご回答をいただきました。改めて、ご協力ありがとうございました。)

 併せて、ラース・スヴェンセン『働くことの哲学』を参照し、19世紀の工場労働者の管理手法であったテイラー主義の価値観が、現代の会社にも引き継がれているとの指摘を紹介しました。誰もがそのような価値観を無自覚に内面化し、働くときには人はモノ扱いするものだと、自分や他者に社会的規範として押し付けている可能性があります。これは『コンビニ人間』の、周りの人が古倉さんに社会的規範を押し付ける描写と似ています。

 以上のような現実世界の実情を踏まえ、『コンビニ人間』にエピローグをつけるとしたら、自己決定をするようになった古倉さんは働きがいを感じられるのだろうかと問いかけました。私の考えでは、モノ扱いされたと感じ意欲を削がれてしまう場面に遠からず直面するでしょう。それでも現場と本社などの立場を越えた仲間を得て、顧客が価値を感じられ従業員も働きがいを感じられる店を目指して現状を変えることに取り組み、その中で少しずつ充実感を得ていくのではないかと、願望も込めて想像しました。

【2】フィードバックについての省察

 当日も事後も多くのコメントをいただき、ご参加の皆様のおかげで何倍にも面白い時間になりましたし、私も大変勉強になりました。ありがとうございます。

 それでは、ご質問にお答えしたいと思います。

>計量テキスト分析について、コンビニ人間を読むうえでどのように活用できるでしょうか?小説を深堀りして解析する以外に、小説を楽しむためにも活用できたりするでしょうか?

 こちらは当日お答えしましたが、肝心な内容を漏らしてしまったため補足いたします。

 計量テキスト分析の良さは、主観的な印象と客観的な分析結果との比較から発見を得られることにあると思います。発表や当日の回答は、語の単位での狭く深い方向の分析の話に留まりましたが、より広い視点で、事柄の単位で分析することが可能です。KH Coderでは、コーディングと呼ばれる手順を踏むことで、特定の事柄の出現する場面や、出現回数の増減等を確認できるようになります。樋口耕一『社会調査のための計量テキスト分析』p.31-49では、チュートリアルとして夏目漱石『こころ』を取り上げ、人の死という事柄について分析し、「先生」の死が唐突に見えるという批判を検証しています。

 『コンビニ人間』も、私としてはラストの古倉さんの変化が唐突に訪れた印象を受けたので、同様の分析を試みたのですが、習熟不足と時間的制約のため十分な結果を出すことができませんでした。1計量テキスト分析について事柄単位の分析も加えたうえで、2主人公の変化の考察を融合させられれば、2の客観性をより高められたと思います。

『コンビニ人間』の店員の交換可能性と、『クララとお日さま』のAIの代替可能性は、どう違うのだろうか?すぐに思いつくのは、通貨は交換可能性、代替可能性とは言わない?

 発表では、交換と代替という言葉を区別せず使ってしまいましたが、コメントを拝見し、両者の違いに注意を向けることができました。ありがとうございます。直接的なお答えにならないかもしれませんが、私なりに考えたことを書きたいと思います。

 『コンビニ人間』の古倉さん達従業員は、個別性を保持したまま、店員という役割に関して交換可能となります。

 一方『クララとお日さま』では、ジョジーに万が一のことがあったら、AIロボットのクララがジョジーの代替となる(クララが、ジョジーを精巧に模したロボットに移行する)という計画が立てられます。これはクララの個別性が失われることを前提とします。もしクララが人だったら、技術的に可能であってもそのような計画は立てないでしょう。クララが、計画を実行した場合もともとのクララの本体はどうなるのだろうかと問うたのに対し、ジョジーの母親は問題にすらしていない様子が描写されます。(カズオ・イシグロ『クララとお日さま』文庫p.337)ここから、母親が、ロボットは道具なのだから人の都合に合わせた使い方をするもので、個別性を尊重する必要はないと思っていると推測できると思います。

 ところで、日常生活で擦り減ったタイヤを新品に取り替えるとき、「タイヤを交換する」と言います。「タイヤBに、亡くなったタイヤAの代替となってもらう」とは言いません。同じ型番ならタイヤAもBも同じと見なし、個別性はないものと考えるからです。

 交換可能な店員という表現には、タイヤ交換と同じく、店員を務め得るならヒトAヒトBヒトCも同じというように、個別性の排除の前提が置かれているように思います。しかし、人は個別性を保持したまま、店員という役割を果たすので、店員である間も同時にその人自身でもあります。店員の役割を担う人の個別性は、店員と不可分です。それにも関わらず個別性の排除の前提が置かれるところが、交換可能な店員という表現の特徴かと考えました。

古倉さんの至った「コンビニ人間」としての再生という終幕は正視できる順当なエンディングなのか、それともさらに読み手を不安な境地へと追い込む波乱含みのエンディングなのか(以下、勝手ながら編集させていただきました。)作中では、古倉さんの36歳、独身、アルバイトという設定が「普通」ではないことの表象とされますが、2024年現在では状況が変わり「普通」となりました。それでも、女性や外国人を含む非正規労働者は、経済的、体力的に厳しい状況に置かれており、古倉さんやダット君達の今後が気がかりです。

 小林さんからも当日、非正規労働の拡大によって経済的な格差が広がってきたという、2024年現在も含めた社会的背景についてご指摘をいただきました。先行研究でも、古倉さんの今後について、非正規労働による生活困窮の恐れが指摘されています。(サービス業と社会的承認 : 『コンビニ人間』と異世界男子の時代に 久米依子 2021年)

 ご指摘を受け止めながら、私の見方を付け加えるとしたら、非正規労働者の待遇適正化は、事業存続には不可欠となるだろうと予想します。もちろん簡単なことではないからこそ適正化が進まない現実があるのですが、魅力のない職場には無限に労働力は供給されないと思います。加えて古倉さんも、自身の待遇等について気に留めてこなかったように見えますが、作品のラストに変化したことで問題意識が芽生え、エピローグとしてお伝えした展開になり得るように考えます。読み手が(ことによると古倉さんも)不安になるかもしれませんし、波乱含みでもあるものの、希望を持てるエンディングでは、とお答えしたく思います。

 今回は、働くことで生じる他者との関係性の負の側面を取り上げました。言うまでもないことですが、他者との協働を通して得られる喜びもまた、確かにあります。より多くの人が働くことから喜びや充実感を得られるようになることを願います。

 最後になりましたが、参加いただいた皆様、運営いただいた南谷さん、小林さん、平繁さん、共催の「人間・社会・自然の来歴と未来―「人新世」における人間性の根本を問う」、皆様に改めて御礼申し上げます。

(文責:金嶋ゆうひ)