『生物から見た世界』──ユクスキュルの生物学的宇宙──
発表概要
『生物から見た世界』について
第11回では、生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll, 1864-1944)の著書『生物から見た世界』(1934)を課題本として取り上げました。ユクスキュルは、生物が身体器官による環境の知覚と、環境に対する働きかけのループ(機能環)を通じて、個々の生物は自らを「主体」とする行動の領域、すなわち「環世界」(Umwelt)を構築すると考えました。『生物から見た世界』は、このような環世界の形成を生物学的な理論によって記述しようとする挑戦的かつ入門的な著作となっています。この本は、環世界論の具体的な理論や概念を紹介するだけでなく、様々な生物の生態に関する観察・実験をもとに具体例を示しています。加えて、共著者ゲオルグ・クリサート(Georg Kriszat)による挿絵が、人間には見ることのできない様々な生物の環世界を想像させ、見た目にも楽しい一冊になっています。本発表では、特にユクスキュルが提示する独自の「主体」概念に着目し、生物がどのような意味で主体であるのか、そしてこの主体という概念が生物以外のものにどれだけ拡張可能であるのかを考察しました。
環世界論における時間と空間
ユクスキュルは、触覚や視覚などの知覚だけでなく、古典物理学において普遍的で均質なものとして扱われてきた「時間」や「空間」もまた、主体の身体状態の変化によって構築されるものであると主張します。例えば人間は、眼球の角度を変える筋肉や、水晶体の厚みを調整する筋肉の運動と、それに伴う焦点の位置や視界の変化とを結びつけることで、視覚的な空間を構築していると説明されます。このような観点からユクスキュルは、環世界の数だけ時間と空間が存在し、それぞれの時間・空間の形式は、主体が備えている身体器官に応じて構築されていると主張しました。
環世界論の思想史的背景と目的
ユクスキュルは「生きた主体なしには空間も時間もありえない」というテーゼによって環世界論は、哲学者イマニュエル・カント(Immanuel Kant, 1724–1804)の学説と生物学を結びつけている、すなわち「カントの学説を自然科学的に活用」[24]していると主張しました。ユクスキュルによれば、カントは、人間と世界との関係を、主体による対象の構成(=認識)プロセスとして理論化[Uexküll (1920): 9]しました。カントが主張する人間の認識能力を、ユクスキュルは、カント以降に蓄積された生物学的知見、およびユクスキュル自身による動物の観察・実験の成果を統合することで、生物学的な観点から根拠づけようとしたのです。そして、そのようにして得られた主体と対象の関係に対する生物学的説明を、人間以外の生物へと敷衍することによって、あらゆる生物を主体として、生物と生物を取り巻く外界との相互作用を記述することが、環世界論の目的でした。
環世界論の再解釈――人間の環世界の特殊性
ユクスキュルは、心理的なプロセス(認識)ではなく身体的なプロセス(知覚と身体作用)によって構成されるものとして環世界を説明することで、カントが人間に限定していた認識論的主体の概念を、あらゆる生物へと拡大しました。これに対しマルティン・ハイデガー(Martin Heidegger, 1889–1976)は、ユクスキュルが紹介したいくつかの実験を引用しつつ、人間と世界との関係は、その他の生物とは根本的に異なると主張しました。ハイデガーによれば、人間が対象の存在そのものを認識対象として形成することができるのに対し、動物の機能環において知覚と行動とがあまりにも密接に結びついているために、動物は、対象の存在そのものや、存在の意味を問うことができません。こうした動物と対象の関係を、人間と対象の関係と比較してハイデガーは、すなわち「人間は世界形成的である」のに対し、「動物は世界に乏しい」と主張しました。
カッシーラー(Ernst Cassirer, 1874–1945)は、シンボル系(言語、知識・記号体系など)による介入の有無という観点から、人間と動物の機能環の差異を強調しました。カッシーラーは、動物の機能環が知覚系と作用系からなるのに対し、人間の場合にはこの二つの系の間に「シンボリック・システム(象徴系)として記載されうる第三の連結」が介入していると指摘しました。ユクスキュルは、機械は「人間の器官の延長」であり、独自の環世界を構築する主体ではないと主張しましたが、人間の身体器官が道具によって延長可能なものであるとするなら、カッシーラーのいうシンボル系もまた、人間の器官の延長として考えることができます。
環世界論の現代的展開――拡張・接続される機能環
このように言語や機械といった外部の要素が人間の機能環に介入しているとき、そのような拡張された機能環を通して実行される行動の「主体」そのものもまた拡張されているということができます。私たちは目に入る対象を記号や概念の助けを借りて認識し、言語を用いて思考し、語り、情報を記録し、伝達し、知識体系を作り、物語を作ります。シンボル系はこうした人間の活動を支えると同時に、これらの活動によって自分自身の記号体系を更新し維持しています。私たちの行動領域は、このようなシンボル系との協働によって拡張されているのです。
言語や道具は、単に私たちの機能環に介入し行動の領域を拡張するだけでなく、言語や道具は、人間と人間の機能環をつなぐ媒体にもなります。たとえば視覚障害者を支援する”Be My Eyes” というアプリでは、カメラの映像と言葉によるコミュニケーションを通じて、目の不自由なユーザーの困りごとをボランティアが協力して解決します。例えばボランティアは、リモコンのどのボタンが電源ボタンかを教えたり、どの靴下が互いにペアになっているかを教えたりすることができます。ボランティアは、目の不自由なユーザーにとっての器官の延長、すなわちまさに「私の目(My Eyes)」として行動をサポートすることができるのです。
質疑応答とフィードバック
参加者からの皆様からは、たくさんの質問やご意見をいただき、議論を盛り上げていただきました。以下に、アンケートでお寄せいただいたご質問を一部抜粋させていただきます。
Q 植物の環世界についてわかっていることはあるのか?
A 植物の環世界についてユクスキュル自身による言及は少なく、かつネガティブなものが大半です『意味の理論』(1940)では、「植物には、環世界を構築し支配するための受容器官も効果器官も備わっていない」とする一方で、植物も動物と同様に外界からの刺激を選択的に受容するような身体構造をもつとしています。ユクスキュルは動物の知覚と作用の結びきをインパルスの働きによって理解しようとしていたため、それが欠けている植物には、少なくとも動物と同じような意味での環世界は欠けていると考えていたものと思われます。ただし発表者の立場では、環世界論の主張を整合的に読み解くなら、刺激の選択的受容と、それによって制御された作用のループは必ずしもインパルスを持たなくとも、機能環と呼びうると考えています。この観点から、光や温度の変化を刺激として受容し、それに基づいて発芽や光合成を行うという意味で、植物も環世界を持つと解釈できます。
Q ハリガネムシに規制されたカマキリの入水行動の例について、行為を意図と行動に分別すれば意図の主体はハリガネムシ、行動の主体はカマキリということになるのか?
A 環世界論における「主体」は意図や意思を前提としておらず、刺激の需要とそれに対する反応という身体的な過程を基盤として成立しています。したがって、寄生しているハリガネムによってカマキリの知覚と反応の結びつきが変化しているという今回の例で、入水行動の主体について考える際には、カマキリとハリガネムシを一つ複合体として考えています。
Q ユクスキュルがハンブルクに設置された「環世界研究所」の名誉教授に招かれたことは当時の学問的(生物学的)風潮に適応していたから?
A ユクスキュルは当時の生物学では少数派の新生気論的を支持していたことや、反ダーウィニズム的な主張を繰り返していたことから、むしろ生物学のメインストリームからは外れていました。ユクスキュルは一部の支援者により、晩年になってようやく研究者として有給のポストを得られたとされています。生物学の王道ではないものの、一定の支持者はいた、というのが実情ではないかと思います。
ご参加いただいた皆様、読書会を運営してくださっている南谷奉良さん、小林広直さん、平繁佳織さん、コメンテーターを引き受けてくださった根木颯也さん、共催の「人間・社会・自然の来歴と未来―「人新世」における人間性の根本を問う」、皆様に改めて御礼申し上げます。
文責:大阪大学人文学研究科博士後期課程 葉柳朝佳音