2026.7.5 第5班班別会議

第5班判別会議を人文知共創センターにて2026年7月5日(日)に開催した。第5班は今年度より再編成されたため、改めてプロジェクト全体の基本構想と各研究班の位置づけの確認を行った上で、各メンバーの研究紹介と最終年度に向けての方向性、第5班企画について相談した。

中村靖子(ドイツ文学・思想史)
 「人間を作る技法/人間を解体する想像力――ハビトゥスの形成と変容、言語と機器の〈共進化〉」
本プロジェクトでの研究の出発点として、ロベルト・エスポジトの「人間の自然はすでに非自然的である」という問題提起がある。人間が自然に与えられた存在ではなく、言語、身体、欲望、制度、技術を通じて形成され続ける存在であるという点について、中村は、ブルデューのハビトゥス論を参照し、実践や表象が明示的なルールへの服従ではなく、身体化された傾向から生まれることを確認したうえで、言語を、意味を生み、その共有を可能としつつ変容させもする媒体であると捉え、キトラーの「書き取りシステム」という発想、スローターダイクの人間技法論(Anthropotechinik)を手がかりに、「人間を生むのは人間」というスローターダイクのテーゼを考察した。

池野絢子(イタリア現代美術)
池野は、西洋美術史、とりわけ20世紀前半のイタリア美術と政治の関係を中心とする自身の研究について報告した。池野は、イタリア未来派における人間と機械の関係、1960年代末のイタリアに登場したアルテ・ポーヴェラ、さらに呼吸や空気の表象に関する研究を紹介した。とくに、芸術と政治の関係を考えるうえで、身体を取り巻く空気、大気圏、呼吸、皮膜、インターフェースといった概念が重要な論点として提示された。討論では、三上晴子皮膜彫刻の概念、自己免疫疾患モデルからインターフェース概念への移行、大気圏を巨大な被膜として捉える可能性などが話題となった。池野の報告は、20世紀イタリア美術の研究を、生命、技術、政治、環境をめぐる本プロジェクトの問題意識と接続するものであり、8月の全体研究集会に向けて、呼吸・空気・被膜をめぐる議論をさらに展開する方向性が確認された。

山本哲也(臨床心理情報学)
山本は、臨床心理学および臨床心理情報学の立場から、AI、VR、ウェアラブルデバイス、デジタルツールを用いたメンタルヘルス支援の研究について報告した。報告では、うつ病の予防や再発リスクの分析、性犯罪者の再犯予防、頭痛や幸福感の予測など、複雑な健康データをAIや機械学習によって解析する取り組みが紹介された。山本は、ネガティブな思考や活動量がうつ病の再発リスクに影響すること、認知行動療法がこうした変数に働きかける方法として位置づけられることを説明し、AIが心理療法や心理教育の応用に寄与する可能性を示した。
山本の報告ではさらに、AI生成画像、VRを用いた心理療法、AIエージェントによる心理教育、子ども向けの展示・実証実験など、臨床心理学と情報技術を横断する研究の展開が紹介された。とくに、徳島の科学館等で子どもたちが操作できるAIエージェントの開発、高輪ゲートウェイでの光を用いたバイオフィードバック実証実験、関西医科大学での肥満外来へのAIエージェント介入など、今後の実証的な取り組みも共有された。また、AIエージェントの大型版は運搬が難しい一方で、60センチ程度の小型版であれば研究会等で紹介可能であることも確認された。討論では、AIエージェントやロボットが、人間の情動、身体性、対人関係、社会的課題の解決にどのように関わるかが議論された。

大平英樹(心理学・認知神経科学)
大平は、「身体化されたハビトゥス――エスポジトの免疫論と予測的処理論から」と題して報告を行った。報告では、ブルデューのハビトゥスを、社会化を通じて獲得される思考・行動・嗜好の傾向として確認したうえで、これを脳だけではなく身体全体へと拡張する必要があることが示された。大平は、エスポジトの共同体と免疫の議論を参照し、共同体が義務を共有する集団であるのに対して、免疫はその義務から逃れる、あるいは異物を排除する機能として理解されてきたことを説明した。さらに、免疫という概念がもともと法的・政治的概念であり、近代以降に生物医学の文脈で「防衛としての免疫」という身体観へと転用されたことを確認した。
報告の中心となったのは、免疫系を単なる自己・非自己の識別装置としてではなく、環境の変化、行動と結果の随伴性、報酬予測誤差をもとに身体資源を予測的に配分するアロスタティック・システムとして捉える視点である。大平は、急性ストレスによる免疫細胞の変動、NK細胞の反応、脳活動と生理反応の同時計測、報酬予測誤差と身体状態の更新などの研究を紹介し、社会的経験が脳の予測モデルを介して循環器、内分泌、免疫の応答を組織化することを示した。報告の結論では、社会的経験が脳と身体の予測的処理を通じてハビトゥスとして組織化されること、免疫系は寛容・受容と拒絶・排斥の連続体を動的に制御すること、そして反復的・持続的な刺激には馴化し、急激な変化や不連続性には反応する免疫系の特性が、社会的環境に対する身体化されたハビトゥスの振る舞いにも関わる可能性があることが示された。

秋庭史典(美学)
秋庭は、美学の制度化、情報学との接続、アートの領域における自然科学との連携可能性について報告した。討論では、美学がどのように制度化されてきたのか、また現代の芸術研究において、自然科学、情報学、環境論、技術論とどのように協働できるのかが論じられた。秋庭の報告は、アートを人文知の内部に閉じた対象として扱うのではなく、科学技術、制度、環境、社会的実践との関係のなかで捉え直す方向性を示すものであった。これは、第5班が掲げる「生政治とアート」という課題、すなわち、生を管理する制度や技術と、それに抗し、あるいはそれを変形する芸術実践との関係を考えるうえで重要な論点となった。

亀田真澄(ソビエト文化・文学)
亀田は、スラブ研究、ソビエト文化・文学、プロパガンダ、共感の概念、ソ連とアメリカの文化的・政治的関係をめぐる自身の研究について報告した。報告では、ソ連研究における社会主義と共産主義の問題、プロパガンダ研究の新しいアプローチ、クロアチアをフィールドとして選ぶ理由などが紹介された。討論では、ソ連の収容所経験とユダヤ人の収容所経験の比較、植民地主義の問題、ネクロポリティクス、被害者意識の政治化、20世紀後半以降の記憶と政治的正当化の問題が取り上げられた。
亀田の報告に関連して、12月に予定されているアシル・ムベンベ招聘の可能性や、平田によるムベンベとファノンをめぐる問題提起も共有された。とくに、暴力、収容所、植民地主義、被害者性、政治的分断といった論点は、第5班の生政治研究にとって重要な参照軸となる。亀田の報告は、ソビエト文化・文学研究を、近代以降の政治的暴力、記憶、共同体、免疫、排除の問題へと接続するものであった。

大久保美紀(美学・記号学・エコロジー)
大久保は、美学、記号学、エコロジー、技術と生命の関係をめぐる自身の研究および実践について報告した。報告では、エコロジーと技術、主体性、生命、環境をめぐる展覧会や芸術実践が紹介され、技術と生命の関係をどのように捉えるか、また現代美術が人間中心主義をどのように問い直すことができるかが論じられた。「メタモルフォーゼ」や「石に話すことを教える」といった展覧会・実践への言及があり、変容、身体、ケア、環境、技術をめぐる問題が報告の中心にあったことがうかがえる。
大久保の報告をめぐる討論では、エコロジカル・アート、ラトゥールのキュレーション実践、クリティカルゾーン、呼吸、空気、被膜といった概念が交差した。とくに、人間を独立した主体としてではなく、環境、技術、他者、生命過程との関係のなかで捉える視点が共有された。8月の全体研究集会では、大久保の発表に対して平田周と金信行がコメントを担当する予定であり、美学、都市論、アクターネットワーク理論、エコロジーを横断する議論の展開が期待される。

菅実花(芸術実践・表象文化論)
菅は、人形を用いた写真・映像作品を中心とする自身の制作について紹介した。報告では、ドールや人形を用いた作品実践が、身体、ジェンダー、欲望、視線、生命と非生命の境界、人工物としての身体といった問題にどのように関わるかが話題となった。菅の作品は、人間らしさ、身体性、人工性、生命性の境界を問い直すものである。8月の全体研究集会では、菅の発表に対して高橋英之と山本哲也がコメントを担当する予定であり、ロボティクス、臨床心理情報学、芸術実践のあいだで、人形、AIエージェント、ロボット、身体イメージをめぐる議論が展開されることが期待される。

山本哲也(臨床心理情報学)
後半のセッションにおいて山本は、臨床心理学とAIを組み合わせた自身の研究を踏まえ、菅の人形を用いた作品や大久保の技術・生命をめぐる議論に対してコメントした。山本は、AIエージェントを単なる情報処理装置としてではなく、人間の身体性、感情、対人関係、社会的実践を媒介する存在として考える必要があると述べた。

高橋英之(ロボティクス)
高橋は、ロボットが人間との関係のなかでどのような役割を担いうるのかを、共在ロボットと癒しロボットの違いに触れながら検討した。共在ロボットが知識や技能の獲得を支援する装置として位置づけられるのに対し、癒しロボットや対話型エージェントは、情動的な関係や安心感、ケアの場面に関わる。その上で、ロボットが、人間の情動や社会的関係にどのように作用するかについて発言した。山本のAIエージェント研究、菅の人形を用いた作品、大久保の技術と生命をめぐる議論は、それぞれ異なる領域に属しながらも、人間と人工物の関係、身体性の拡張、生命らしさの演出、ケアや癒しの技術化という点で接続している。

平田周(都市論)
平田は、大久保美紀の発表に対するコメンテーターとしての役割を確認した。討論では、アシル・ムベンベ、フランツ・ファノン、植民地主義、収容所経験、呼吸、地球共同体といった論点に言及し、生政治と都市論、植民地主義、環境論を接続する問題提起を行った。とくに、呼吸という概念は、身体内部の生命活動であると同時に、空気、大気、環境、政治的暴力、植民地主義的支配とも関わるものであり、池野の呼吸・空気をめぐる研究や大久保のエコロジー論とも響き合う論点であった。平田のコメントは、第5班の議論を、身体や芸術作品の内部に閉じるのではなく、都市、植民地主義、地球環境、政治的暴力の空間へと拡張するものであった。

金信行(アクターネットワーク理論)
金は、大久保美紀の発表に対するコメンテーターとしての役割を確認した。プロジェクト全体では、ハビトゥス論とアクターネットワーク理論を理論的基盤とし、人間、動物、モノ、機械、概念といった多様なアクターの関係を分析することが重視されている。ANTは、人間/社会/自然の連関を検討するうえで重要である。大久保のエコロジーと技術をめぐる議論、池野の被膜・空気・大気圏をめぐる議論、山本のAIエージェント研究、菅の人形を用いた作品は、いずれも人間だけでなく、非人間的アクターとの関係を問うものであり、金のコメントを通じて、これらをプロジェクト全体の理論的枠組みに接続することが期待される。

山本哲也(臨床心理情報学)
最後に山本は、AIエージェントと人形の技術的実装について改めて発言し、AIとの対話を社会課題の解決に活用する可能性を説明した。菅の人形作品が人間らしさや身体イメージ、人工物への感情的投影を問い直すものであるのに対し、AIエージェントは対話やフィードバックを通じて、人間の行動変容や心理教育、ケアの実践に関与しうる。この観点から、山本は、人形、ロボット、AIエージェントをめぐる議論を、技術的実装の問題にとどめず、人間が人工物とどのように関係を結び、その関係を通じて自己理解や社会的行動をどのように変化させるのかという問題として捉える必要があることを指摘した。参加者のあいだでは、これらの論点を8月の全体研究集会で継続して検討していくことが確認された。

総合討論
総合討論では、免疫、ハビトゥス、予測誤差、身体化、被膜、呼吸、エコロジー、AI、ロボティクス、芸術実践といった複数の論点が交差した。とくに、免疫を自己と非自己の単純な境界線として捉えるのではなく、連続的かつ動的な調整過程として理解する視点が共有された。また、社会的秩序や規範が身体に沈殿する過程を、脳・身体・免疫系の予測的処理と接続して考える可能性が議論された。さらに、呼吸、空気、皮膜、大気圏、クリティカルゾーンといった概念を通じて、人間と環境、身体と外部、芸術と政治の関係を再考する方向性が確認された。

最後に、8月25日・26日に予定されている全体研究集会に向けて、第5班のセッション構成、発表者、コメンテーター、時間配分について確認が行われた。また、26日午前には第5班セッションが予定されており、班全体としての研究の接続と今後の展開を確認する場となる。叢書第5巻についても説明があり、プロジェクトメンバーはいずれかの叢書に執筆していただきたいということが確認され、各メンバーの研究テーマを整理しながら、今後も班内での議論を継続していくこととなった。