2026年2月9日長崎大学総合教育研究棟33番講義室にて国際シンポジウム「記号 AND 認知」が開催された。

マリオ・ヴェルディッキオ先生は「言語の基礎:意味論、記号、と記号接地」と題し、記号接地問題と、それが言語、人工知能、哲学における意味理解に及ぼす影響を探求した。分析哲学、記号論、認知神経科学、AIの伝統を受け継ぎながら、記号がいかにして単なる形式的構造ではなく意味論的内容を持つようになるのかを検討した。議論の中心となるのは、ジョン・サールの「中国語の部屋」の思考実験であり、これは統語論的な記号操作と真の意味論的理解との区別を示すものであった。批判者たちは、この実験が完全なルールブックという非現実的な仮定に依拠していると主張するが、この反論は最終的にサールの主張を補強することになる。すなわち、自然言語は有限のルールに基づく体系によってシステム化することができず、意味の計算モデルには限界があることを示唆している。続いて生成AIを取り上げ、その柔軟性と見かけ上の創造性にもかかわらず、それは物理的にも機能的にも従来のソフトウェアと連続しており、数値的・論理的操作に基づいているに過ぎないことを指摘した。曖昧性(「山」という概念)や論理的推論(モーダスポネンス)といった例を通じて、意味が完全な形式化に抵抗することを論じた。その結果、AIは意味の基盤を説明するには適しておらず、この問題は哲学的・認知的アプローチの方が有効である可能性が示唆された。
アブドゥルラッハマン・ギュルベヤズ先生は「言語的記号アーセナルの定量化:言語レパートリーの理論的基礎づけに向けたモデル」と題し、個人の言語レパートリーを測定可能とする記号中心モデルを紹介した。生涯にわたる脳の可塑性を前提とし、日常的な「ランゲージング(言語使用)」を、高密度な環境入力として捉えることで、認知予備力の形成に寄与しうるものと位置づけた。この点は、認知加齢、認知機能低下、さらには認知症との関連においても重要である。
本アプローチは、特定の「言語」を数える代わりに、運用可能な言語的記号に焦点を当てる。「言語」は主に制度的なラベルと見なされる一方、レパートリーは脳-環境インターフェースにおける内的に構造化された単一の記号インベントリとしてモデル化さる。「ドイツ語」や「トルコ語」といったラベルは、データ収集のための実用的な指標としてのみ用いられる。
完全なインベントリの作成は不可能であるため、レパートリーはモデリング、特に価数(概念を表現できる形式的変異の数)を通じて定量化され、価数分布プロファイルが生成される。抽出手続きでは20の核となる名詞と5段階の習熟度尺度を用い、単純な計数ではなくレパートリーの構造を捉える連続的な言語レパートリー指数(lr)を算出する。
全体として、この枠組みは理論と測定を結びつける。また、日常的な言語実践とその基盤となる記号目録を強化することで認知機能低下の緩衝を目的とした、言語ベースの予防・介入を支援することを論する
中村靖子先生と鄭弯弯先生の発表「書き取りシステムの変容ー言語と機器の〈共進化〉ー」(題目変更)では、書き取りシステムの変容を「言語と機器の共進化」という観点から理論的に再定位した。ブルデューのハビトゥス概念を手がかりに、社会的構造が身体化された実践として安定化される過程を確認し、フリードリヒ・キトラー『書き取りシステム1800・1900』を参照しつつ、教育的書記体制から技術的・機械的記録体制への転換を論じた。1800年システムは読み書き能力を社会的成功の条件としたが、その規範から逸脱する主体を包摂しなかった。過渡期に位置するシュレーバー父子の事例は、「美」に向けた身体矯正と装置が主体形成に介入する具体例である。こうした教育的矯正が思想の内部構造にいかに刻印されるのかを検証するため、BERTopicによるフロイト著作コーパス分析を行い、語彙的クラスタの時期的偏在と思想内部の断層を可視化した。さらにスローターダイクの人間技法論をダマシオのホメオスタシス論に接続することで、書き取りシステムを人間の自己形成的修練の装置として捉え直すと同時に、その修練が機器の開発とともに共進化し、社会的に安定化された身体化の構造として新たなハビトゥスを形成しながらも、つねに何かをこぼれ落とす動態であることを示した。
大平英樹先生は「予測的処理に基づく主観的経験の創発」をテーマに発表した。近年の認知神経科学において優勢な予測的処理の理論では、脳は受動的な器官ではなく、外界や自己自身からの信号を予測し、実際の信号との予測誤差を最小化することによって能動的に経験を創り上げていると説明した。この主張は、知覚や運動の領域では多くの実証的証拠が提示されており、近年では、身体内部の感覚である内受容感覚も同様な原理により機能していることが示唆されている。この考え方が正しければ脳内には常に多くの予測誤差が生じていることになる。脳は、全ての領域の予測誤差を階層的な構造と精度の重みづけを柔軟に変更することにより、整合的で連続的な経験を創発し維持していると考えられる。さらに、こうした個人内の予測的処理は、集合的予測符号化により言語のような記号を介して複数他者の間で共有され、維持され、かつダイナミックに変容されていく。こうした原理を想定することで人間や社会の姿を統一的に説明できる可能性があり、この原理をより精緻に検討する必要性が指摘された。
上野大介先生は、「認知予備能を規定する要因の統合的整理」と題した講演において、認知的加齢における認知予備能の規定因子を整理する統合的枠組みを提示するとともに、多言語使用および大規模言語モデル(LLMs)という二つの新たな観点を加えた。近年の予備力概念の整理を踏まえ、本枠組みでは、脳予備能力(構造的容量)、認知予備能(効率性・代償・柔軟性による適応的処理)、および脳メンテナンス(神経生物学的変化の遅延または軽減)を区別するとともに、予備力を病理と臨床症状との関連を弱める調整因子として位置づけている。
続いて、教育、職業の複雑性、認知的・社会的に刺激的な活動、身体活動といった一般的に用いられる代理指標について概観し、交絡や逆因果の可能性により、これらの代理指標は因果的メカニズムと同一ではないことを強調した。これに対処するため、「要因」からメカニズムへの変換段階(例:教育→語彙/抽象化/学習習慣→より効率的かつ代償的な処理)を提案し、各決定要因を主として脳予備力、脳メンテナンス、認知予備能のいずれに寄与するかに基づいて分類した。
次に、多言語使用が認知予備能に寄与しうる要因として検討された。多言語経験は言語制御(抑制/切り替え)や意味処理を強化する可能性がある一方で、その効果に関するエビデンスは一貫しておらず、習熟度、使用頻度、言語間距離、コードスイッチングといった境界条件に強く依存しているとともに、移住や社会経済的地位などの交絡要因の影響も受けている可能性が指摘された。
最後に、LLMが認知的刺激(複雑性の増大)、社会的つながりの支援、日常機能に対する代償の提供という三つの仮定された経路を通じて認知予備力に寄与しうるかが検討された。その効果はいずれも、過度の信頼、依存、誤情報の回避を条件とするものであり、今後は高齢者における較正された信頼(calibrated trust)の設計および測定、特に対面、遠隔、チャットボット媒介の各文脈において検討を進める必要があると論じられた。本発表は、LLMを用いた介入が主として刺激として機能するのか、あるいは代償として機能するのか、較正された信頼をどのように操作的に定義すべきか、さらに多言語経験がLLM利用の影響を調整するかといった論点に関する討議をもって締めくくられた。
山本哲也先生は「生成AI・拡張表現がもたらす「記号」と「認知」の再編ーデジタル身体表現とウェルビーイング」と題して講演を行い、生成AIやAR/VR、ロボットなどの拡張表現技術が、「記号」と「認知」の関係をいかに再編しうるかについて、デジタル身体表現とウェルビーイングの観点から検討した。ここでいう記号とは、言語に限定されるものではなく、身体動作、声、光、人工物が帯びる他者性など、受け手の注意・情動・解釈を方向づける知覚可能な手がかりを指す。生成AIや拡張現実技術は、記号を固定的な意味伝達の媒体から、相互作用性・身体性・連続性を通じて認知状態を動かす「調整の手がかり」へと変容させる可能性を有していると論議事録
主な実践例として、プロジェクションマッピングやAR技術を用いた身体拡張的演出が、高い没入感と情動喚起をもたらすことを示した。さらに、生成AIとの継続的対話が抑うつの軽減や自尊心の向上と関連する可能性を示すデータを提示し、情緒的結びつきの形成についても検討した。
以上の知見を踏まえ、拡張された記号が身体を介して認知状態を動かし、新たな心理的支援や研究方法を創出する可能性を論じるとともに、安全性・倫理的課題についても展望した。
小澤寛樹先生は、「東西精神療法の邂逅:内観療法と意味の再構成」と題し、アルコール依存症の症例経験を背景として、内観療法を「意味の重み付け(salience/attention)の再配分を通じて自己物語を更新する介入」と位置づけ、そのメカニズムを東西心理療法の架橋として論じた。内観療法は、特定他者に対して①してもらったこと②して返したこと③迷惑をかけたこと、という限定された問いを、解釈を加えず反復想起させることで、曖昧な自己理解を“構造化された内省課題”へ変換する。神経認知モデルとしては、過去参照を担うDMN、認知制御のCEN、両者の切替を担うSNの相互作用に注目し、内受容感覚・情動反応を伴う「気づき」が、SNを介したネットワーク再編と、予測処理における精度(precision)・注意配分の更新として生じうることを提案する。さらに、統合失調症などでサリエンス過活動が想定される状況では、意味の“筒抜け化”が増悪因子となりうるため、適応判断と保護的環境下での実施が重要である。以上より、内観療法は東洋的修練の形式を保ちつつ、注意・精度・物語更新という普遍的プロセスとして再記述可能であり、CBTやマインドフルネスと補完的に統合されうる枠組みを示した。
葉柳和則先生は「労働力と人間のあいだ:マックス・フリッシュの講演「よそもの過剰 II」における記号の二重性をめぐって」というタイトルで講演を行った。フリッシュの言葉で最もよく知られているのは、散文「よそもの過剰(Überfremdung)I」の冒頭に含まれる「私たちは労働力を呼び寄せたのだが、やって来たのは人間だ」である。だが、同じ文の前半には、「ある小さな国の支配民族(Herrenvolk)が危機に陥ったことに気づく」と書かれている。この前半部を含む文全体が、移民研究の言説において引用される例は見当たらない。本報告は、フリッシュがスイス市民を指し示すために、Herrenvolkという記号を用いた理由を、記号Überfremdungのコノテーションの変化をたどることで明らかにした。Herrenvolk はナチスの語彙であり、その文脈では、アーリア人以外のfremd(異質)な諸集団がKnecht(奴隷)と位置づけられ、ユダヤ人はその最下層に置かれた。だが戦後のドイツ語圏では、fremdな存在は主として「外国人労働者」を指す語となっていく。つまり、フリッシュが「よそもの過剰」論においてHerrenvolkをあえて用いたのは、スイス市民がナチスと共有していた「よそもの排除」のメンタリティを、Überfremdungのコノテーションが、ユダヤ人の過剰から外国人労働者の過剰へと推移する歴史的重層性のうちに捉え返そうとしたからである、と論じた。
【シンポジウム 参加者リスト(発表順)】
– Mario Verdicchio, University of Bergamo
– Abdurrahman GÜLBEYAZ, Nagasaki University
– Yasuko NAKAMURA, Nagoya University
– Wanwan ZHENG, Nagoya University
– Hideki Ohira, Nagoya University
– Daisuke UENO, Kyoto Women’s University
– Tetsuya YAMAMOTO, Tokushima University
– Hiroki OZAWA, Nagasaki University
– Kazunori HAYANAGI, Nagasaki University