2023.11.24 第5回「終わらない読書会─22世紀の人文学に向けて」@Zoom

共催:「人間・社会・自然の来歴と未来―「人新世」における人間性の根本を問う」発表報告

🌟発表題目:『ムッシュー・アンチピリンの宣言―ダダ宣言集』を読む――「ダダの詩を作るために」をめぐって

(1)発表内容のまとめ

 2023年11月24日の発表では、トリスタン・ツァラ『ムッシュー・アンチピリンの宣言――ダダ宣言集』を対象に、「ヒト・動植物・機械・モノ・自然」の境界が揺らぐ時代に誰がどのように詩を作るのかという問いについて考えました。本発表では特に、『かよわい愛とほろにがい愛についてDADAが宣言する』という宣言に収録されている「ダダの詩を作るために」という詩を作るためのプロトコルに焦点をあてました。そして、人間による詩作と生成AIによる詩作を比較するという目的のもと、参加者一人ひとりが詩や言葉について思いめぐらす機会となることを目指しました。

 発表の前半部では、まず、Googleが提供する“Verse by Verse”という生成AIを活用して詩を作るウェブアプリやChat GPTによって作られた詩を紹介しました。私たちが多かれ少なかれ「詩とは何か」を知っているのと同様、生成AIもまた「定型詩」「散文詩」「コンクリート・ポエトリー」といった詩の形式やジャンル、および様々な詩人たちの文体を知っており、文学史の中に蓄積された詩の条件を踏まえながら詩が作られるという点を指摘しました。これに対して、ツァラの提案する「ダダの詩を作るために」の作詩法とは、選んだ言葉を偶然に任せて並べることで詩を作る方法で、統語法や文法が破綻する詩句が生まれる傾向にありました。したがって、私たちや生成AIが思い描く詩とは異なり、秩序のない詩が出来上がります。「価格それは昨日適当でそれから絵画/夢を評価すること眼の時代/絢爛豪華にそらんじてみせようか福音書ジャンルがあいまいになる/集めろ絶頂期想像することと彼は言う宿命色彩の力」(76-77頁)という発表内で取り上げた詩の抜粋からも、その混沌とした言語がうかがえるでしょう。

 こうしたツァラの作詩法は、「否定性」や「説明不可能性」を特徴とするダダの諸宣言と関連しています。だからこそ、まったく意味がなく、理解することのできないデタラメな詩こそがツァラの推奨する詩なのだと、一見すると思われます。しかしながら、ツァラ自身が「ダダの詩を作るために」の作詩法の中で「君によく似た詩ができあがるだろう」と書いているように、文法や統語法を逸脱し意味と概念の混乱を経てなお、滲み出る「私」が詩に現れるという点を本発表では指摘しました。この点に関しては、プリミティヴなものへの関心、「思考は口の中でつくられる」という宣言中の一文に基づく言葉の身振りや響きの探求、そして「詩=生」という考えの三点を例として取り上げ、混沌としたツァラの詩のなかに現れるツァラらしさを読み取りました。

 以上を踏まえ、ツァラの言う詩とは、何かを否定し破壊することで作り上げられた荒唐無稽なものではなく、自分自身の生き方に接近する方法なのだとまとめました。したがって、発表の冒頭で確認した、あるジャンルや形式のようだから、ある詩人の文体に似ているから、といった別の作品との類似を条件としてある作品を詩とするのではなく、その言葉のどこに「私」があるのかを問うことこそ重要な点であると指摘しました。(ツァラ自身が1919年の「詩に関するノート」で類似を退けています)

 上記のツァラの詩学を踏まえ、発表の後半部では参加型企画として、生成AIを用いながら参加者と共にダダの詩を作ることに挑戦しました。まず、文章の書かれたもの(本、新聞紙、ちらし、公的書類、漫画等)を三つ準備し、その中で真っ先に目にとまった言葉や文章をメモしながら、「ダダの詩を作るために」に基づく詩作を参加者と共に擬似的に体験しました。次に、同じ言葉や文章を用いて生成AIに詩を作ってもらい、先の詩と内容を比較しました。

 前者の詩では、偶然によって選ばれた言葉が無秩序に並べられることで突飛なイメージが展開される一方で、そこにどのように自分らしさが現れうるのかを参加者と共に考えました。それに対して後者の生成AIが作る詩は、選ばれた言葉から類推される言葉を補うという性質上、統語論的に不自然さの少ない長い詩句へと向かう傾向や、詩的であるとみなされがちな言葉(歌、奏でる、希望など)が多用される傾向が確認されました。それと同時に、カタカナで入力された語彙が反復されることで特定のイメージが強調されるなど、新たな発見がありました。

(2)フィードバックについての省察

 参加者の方々からのフィードバックから、たくさんの気づきが得られました。この場を借りて、御礼申し上げます。

 いただいたご感想やご質問は、大きく(A)詩の定義に関わるもの(B)ツァラやダダの歴史に関するものの二つに分類できますので、それぞれお答えいたします。

(A)詩の定義に関わるご感想とご質問

 「ダダの詩を作るために」という一種の規則を破る作詩法を取り上げた今回の発表を通じて、多くの参加者が「詩とは何か」という問いについて考えてくださったようで大変嬉しく思いました。

 まず、「ツァラの詩は韻を踏んでいるのか」、「韻がなかったり、定型詩でないのに「詩」と自認しているのはなぜか」という内容のコメントが寄せられました。ツァラの詩は、脚韻を踏まないことがほとんどです。しかしながらこれは、フランス詩の歴史において珍しいことではありません。なぜなら、19世紀になると脚韻や定型に依存しない散文詩や自由詩の実践が多くなるからです。具体的な実践者として、シャルル・ボードレール、アルチュール・ランボー、ジュール・ラフォルグなどの詩人の名前が挙げられます。ツァラはルーマニア出身で母国語はルーマニア語ですが、幼少期からフランス語も勉強しており、このフランス詩の流れからも強く影響を受けています。したがって、ツァラの詩とは、この散文詩や自由詩の系譜に位置づけることができると発表者は考えています。事実ツァラは、自由詩はもちろん、散文詩も書いています。

 ところで、ある詩が詩であるとそれまで定めてきた規則が効力を持たなくなったとした ら、何をもって詩と言えるのでしょうか。脚韻や形式を根拠にできない以上、それはもはや容易ではないですし、散文詩や自由詩を定義づけることが困難であることをも示しています。散文で「詩的」に書かれていれば詩なのでしょうか――あるものは小説に分類されるでしょう。同様に、改行をしていれば必ず詩であるというわけでもないでしょう――もしそうであるなら、極端な話、箇条書きや料理レシピも詩に分類されるからです。

 それでは、何もかもが詩なのでしょうか。「ツァラが、詩ではないと言うような詩はあるのでしょうか」、「本書85頁に「ダダ/アイディア開発のための株式会社」とありますが、詩の量産方法でしょうか」というコメントを参加者の方からいただきましたが、たしかに、ツァラにとっての詩とは「書かれた詩」に限りませんし、19世紀フランスの詩人イジドール・デュカス(ロートレアモン)の「詩は万人によってつくられねばならない」という言葉を強く意識している点から、彼は詩の拡大を狙っていたと言えます。一方で、一切合切を詩として受け入れることに抵抗を示しています。なぜならツァラは、「詩の状況に関する試論」(1931年)の中で、小説と見かけの形式によってしか区別されない詩や、思想や感情を表現する詩はもはや誰の興味もひかない、と書いており、「表現手段としての詩」と「精神活動としての詩」を区別しているからです。前者は考えや意見を伝えるもので、後者ははっきりとした筋のないイメージの連続、あえてこう言えば、夢のようなものです。ツァラはこうした区分を用いて古典主義からロマン主義(そしてシュルレアリスム)へと至る詩の歴史を辿るのですが、そこで強調しているのは、詩は表現手段としてだけではなく、言葉で表しがたいもののためにも働くという点です。

 興味深いのは、ツァラは形式(脚韻や定型詩に必要な音節)が整えられ人に受け入れられやすい内容をつ詩の方ではなく、言い表せなかったり説明できなかったりする詩の方の味方をするという点です。こうした詩には、必ずしも明快な言葉でなくとも、口から放たれた理由があります。その理由とは、ある行動やある出来事に結びつくものです。それゆえ、言葉以前に詩があることを強調したからこそ、ツァラは「詩とは生き方である」という考えに至り、詩を再定義しようとしたのだと思います。そして、そのような詩が可能になるために、社会変革が求められるとツァラは言うのです。

 ツァラはこの考えを押し進め、「潜在的な詩と表示的な詩」(1945年)という文章を発表しています。そこで書かれているのは、詩とは、一篇の書かれた詩になるより先に、どこにでもある「感情、物事の質、存在の条件」であるということです。この状態の詩は「潜在的な詩」と呼ばれ、この「潜在的な詩」を「表示的な詩」として客観化する必要があるとツァラは語っています。つまり、自分が何を感じ、どのように生きているのかという事実に迫ることが詩の本質であり、学校教育や社会が課す制約とは異なる個人的な動機に基づく行為が詩となるのです。

 したがって、ツァラの詩学に則って詩とは何かという質問に答えるならば、言葉になっていなくとも詩の主体の生が滲み出るもの、ということになるでしょう。そして、その生にアプローチするために、詩における主観的なものの現れ方や、「私」の現れ方に向き合う必要があると発表者は考えております。

 「詩とは何か」という点に関して、ツァラやフランスを越え、日本の現代詩に目を向けながら質問してくださる方もいらっしゃいました。「日本の現代詩には基本的に脚韻がなく、定型詩でもないが、何をもって詩というのか」とのことですが、おっしゃるとおり日本の近現代詩にもまた、文語か口語か、定型か非定型かといった調子や雰囲気によって定義できない多様性があると思います。西脇順三郎は、詩とは「つまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)をもって意識さす一つの方法」(『超現実主義詩論』)であると述べ、萩原朔太郎は「主観的態度によって認識されたる、宇宙の一切の存在である」(『詩の原理』)と述べています。こうした詩論により、もっとその詩人らしい詩の構成要素(意味、イメージ、韻律など)を作品の中に反映するという地平が開かれたのは間違いないように思われます。「詩とは何か」という問いを立てることが可能になった時代を生きる私たちは、それぞれの詩人が主張した詩論を読み比べながら、少しずつ詩について明らかにしていくのでしょう。

 「生成AIの作品を「詩」と認める要因、つまり「詩らしい体裁」とは何でしょうか」という参加者からのコメントについて、以上を踏まえて考えてみると、「詩らしい体裁」にこだわらずとも、生成AI自身の生を読み取ることができれば、その作品を詩と呼ぶことができるのだと考えます。そして、そこに生を読み取るためには、彼らの生き方や、作品が成立するに至った状況を深く知ることが求められると思います。

(B)ツァラやダダの歴史に関するご感想とご質問

 ツァラやダダの歴史に関するコメントについて、以下、お答えいたします。

・「先に詩作があってそれから宣言を出したのでしょうか。宣言を出してから宣言に則って作詩をはじめたのでしょうか。」

 これは重要なのですが、ツァラはダダの開始(1916年)以前からルーマニア語で詩を書いておりました。そのため、ダダの諸宣言より先に詩作があったのは間違いありません。ただし、ルーマニア時代の詩とダダの詩を読み比べると受ける印象がずいぶん違いますので、ご関心があればぜひ読んでみてください。ツァラのルーマニア語詩篇のいくつかは、浜田明『トリスタン・ツァラの夢の詩学 』(思潮社、1999年)、大平具彦『トリスタン・ツァラ―言葉の四次元への越境者』(現代企画室、1999年)内に日本語訳が掲載されています。

・「スイスでその人と知らずレーニンと出会ったことが、後の政治への接近・参加と何らかの関係があるのでしょうか。」

 ツァラの政治への接近は、1930年代のフランス共産党の活動やナチの台頭との関係が深く、1936年に始まるスペイン内戦や、第二次世界大戦にもコミットしています。また、マルクス主義が彼の思考に影響を与えたと言われています。

・「新聞『萬朝報』のダダ紹介記事はどのようにして読むことができるのでしょうか。」

 ダダは、『萬朝報』の1920年8月15日号掲載の記事で初めて日本に紹介されたと言われています。こちらの記事に関しては、国立国会図書館等の図書館で資料を閲覧する他、中野嘉一『前衛詩運動史の研究』(新生社、1975年)に複製が掲載されているので、ぜひご覧ください。

 読書会は、発表者自身にとってもツァラの詩学についてあらためて考える実り多い時間でした。発表内で行った詩の朗読を好意的に受け取ってくださった方も少なくなく、またみなさまとツァラの詩を一緒に読む機会を今から待ち遠しく思います。

 ご参加いただいた方々をはじめ、ご運営いただいた南谷奉良さん、小林広直さん、平繁佳織さん、コメンテーターを務めていただいた森田俊吾さん、そして共催の「人間・社会・自然の来歴と未来―「人新世」における人間性の根本を問う」、みなさまに改めて感謝申し上げます。