2025.07.12 理論班第6回会議

2025年7月12日、名古屋大学文学部講義棟130室にて第6回理論班会議を開催した。

 中村靖子先生は、ピエール・ブルデューのハビトゥス概念を起点に、個人の内的表象と言語・文化の構造的関係について再検討した。ハビトゥスとは、個人の内部に形成される行動傾向であり、他の環境や集団においても持続・転移する一方で、周囲との齟齬を通して更新もされうる。すなわち、「構造化された構造」であると同時に、「構造化する構造」として、社会的構造を再生産し続けるという二重性を持つ。後半では、このハビトゥスの二重構造的な性格を踏まえ、言語や文化もまた同様の構造を持った表象形成システムとして捉えられることが指摘された。特に内部表象形成システム(概念中枢)をめぐるイメージの変遷や、18世紀言語起源論争において議論された言語と情動の関係をもとに、個々の経験や思考を意味づけ、意味を交換し、それを超個人的・超時代的に共有するための媒体、保管場所としての言語・文化の役割について論じた。

 鄭弯弯先生は、「語彙の多様性によるジャンル推定に必要なテキスト長」と題し、語彙の多様性を測定する複数の指標について、ジャンルごとに語彙の多様性を安定的に再現するために、必要とされるテキストの長さに着目した実証的研究を報告した。語彙多様性指標には現在、異なり語数と延べ語数に基づくタイプ・トークン系の指標、語の集中度を測る分布型指標、統計的処理に基づく指標などの種類がある。この研究では、これらの指標に基づくジャンル判別が実際にどの程度テキスト長に左右されるかを検証するため、政治演説や自然会話、ニュース、小説という4つのジャンルのテキストを用い、語彙の多様性に基づく、これらのジャンルを安定して判別するために必要なテキストの長さをそれぞれの指標ごとに分析した。

 鈴木麗璽先生は、二次元平面の距離で人同士の心理的・社会的関係の強さを表現した社会的粒子群モデルの研究について報告した。大規模言語モデル(LLM)を用いて、人間の被験者を用いた、連続的な社会相互作用における協力行動創発理解のためのオンライン実験フレームワークと類似したモデルを作成した。LLMを用いない従来のモデルでは、エージェントの行動ルールが固定されていたのに対して、このモデルではエージェントはBig Five性格特性に基づいてそれぞれ異なる行動パラメーターを付与され、さらに自身の周囲の状況と他者の過去の戦略履歴に基づいて行動を選択した。実験結果としては、エージェントが保持する記憶の長さが長いほど全体として裏切りに偏る傾向があることが示された。この結果を踏まえモデルの思考能力の高さや性格特性の設定方法による影響を考慮しつつ、記憶と性格特性が行動に及ぼす影響について議論がなされた。

 大平健太先生・大平徹先生は、非自励系の遅れ微分方程式の解を求める研究に関して、国内外で発表してきたこれまでの研究成果と、それらの研究の今後の展望について報告した。具体的には、第5班の大平英樹先生との共同研究の成果として、遅れを伴う非自励系において、セルフ・フィードバックを持つ二つのユニットを、クロス・フォードバックに繋ぎかえることで、振幅の巨大拡張現象をもたらし、かつ系が安定するようなモデルが得られることを示した。また、亀の甲羅の隆起を表す数理モデルを作成する数理生物学の研究、追跡と逃避の数理モデルに関する研究、量子もつれの解き方に関する研究など、現在関わっている研究の内容と成果を示し、リズムや集団、存在、現象などを説明する言語としての数学の役割について考察した。

 田村哲樹先生は、これまでの研究成果を報告しつつ、現代における民主主義のあり方を問い直す複数の視点を紹介した。例えば、「情報化社会において民主主義は「民主主義」であり続けられるか」という観点から、「人工知能民主主義」との共生/共棲のあり方を探究した。あるいは、資本主義による民主主義の制限を4つに区分し、それぞれに対して熟議民主主義がどのように対抗しうるかを検討した。これらの議論の中で、政治理論において中心に置かれがちな問い、すなわちどのような人間であるべきかという問いに帰結することなく、政治の仕組みそのもののあり方を問うことの重要性が強調された。教育の観点からは、教室内や課外活動における民主的な自治の実践などに着目し、民主主義を国家レベルでの代表制民主主義に限定しない、また教育の場を学校に限定しないシティズンシップ教育のあり方について議論した。

 平田周先生は「ブルデューの⺠族学――批判のプラグマティック社会学および感情史の観点から」と題し、ブルデューのハビトゥス論をもとに、文化資本とハビトゥスの関係結びつきがいかに「文化的正統性」の体系を支え、教育制度などを通じて社会的再生産を担っているかを論じた。これにより、文化的卓越性が無意識的に継承され、階層的差異の正当化に寄与する構造が可視化された。発表の後半では、ボルタンスキーによるブルデュー批判を踏まえ、⾏為主体(acteur)」に代わって「⾏為者(agent」 という⾔葉を⽤いることをハビトゥス概念の「まずい使い方」として批判し、アクターが不確実性に直⾯することで、 新しい何かを伴った⾏為を⽣み出す可能性を認めることの重要性を強調した。また、法律的規範に対するハビトゥスの原理的対抗軸として、行為者が直感的に共有する名誉や正義感といった、慣習の中で公式化される以前から存在している「感覚」に着目する視点が挙げられた。

(文責: 大阪大学人文学研究科 博士後期課程1年  葉柳朝佳音)