名古屋大学×金沢21世紀美術館共催シンポジウム

🌟前半の部 

2014年11月4日、名古屋大学にて、金沢21世紀美術館との共催で国際シンポジウム「すべてのものとダンスを踊って−共感のエコロジー−」が開催されました(於:東山キャンパス坂田・平田ホール)。本シンポジウムは、11月2により同美術館で始まった同タイトルの展覧会にあわせて開催されたもので、パリ社会科学高等研究院(EHESS)のエマヌエーレ・コッチャ氏に基調講演をしていただき、ディスカッションには同館の館長である長谷川祐子氏、キュレーターの本橋仁氏、および本プロジェクトのメンバー5人が登壇しました。

 冒頭では、佐久間淳一名古屋大学副総長が挨拶をしました。「共感のエコロジー」というテーマのもと、芸術、人文学、に限らず多様な分野から研究者が集う本シンポジウムが、本プロジェクトの意義の社会発信の場となるとともに、アートと学術の連携の場として実り多いものとなることを期待する旨を述べました。

 続いて中村靖子代表が本シンポジウムの趣旨説明を行いました。「詩的に人間は住まう」というヘルダーリンの言葉を引用し、言語や音、リズムを介して他者との柔軟な関係性を築いていく人間の営みを、身体の感覚と運動を通して他者と共振する、人とモノのダンスとして理解する必要があることを述べ、本プロジェクトの目的と金沢21世紀美術館のこの展覧会に共通の問題設定を提示しました。

 その後、コッチャ氏から「Metropolitan Nature: How Nature builds Cities」という題で基調講演をしていただきました。ゲーム「ポケットモンスター」を例に、ポケモン図鑑、モンスターボールなどのハイテク機器を介して、遊びの中で自然との関わり方を学ぶ子どもたちの姿から、人と自然との精神的な関わりが常に芸術とテクノロジーに媒介されていることを示し、この観点から人と自然が関わる場としての美術館の役割についてお話いただきました。

 「共感のエコロジー」を副題に持つ展覧会では、美術館がまるで一つの都市のようになり、あらゆる生き物が、単にお互いを見せ合うのではなく、同じリズムを共有して「踊る」ような共生の場を提供するという構想が紹介されています。コッチャ氏は、「いまや話すためのテクノロジーではなく、見るためのテクノロジーが必要である」と述べ、我々が他者の目を通して見ることによって、自らの身体を超えて他者と共感する場としての自然を開くことができるとし、本シンポジウムの主題となる新たなエコロジーの思想を提示されました。

(文責: 大阪大学人文学研究科 博士前期課程2年  葉柳朝佳音)

🌟後半の部

コッチャ先生による基調講演の後、休憩を挟んで、登壇者の方々によりそれぞれのご専門の視点から今回のシンポジウムのテーマに関するお話がされました。

・長谷川祐子館長(金沢21世紀美術館館長・美術史)

 長谷川館長は、今回のご自身の立場であるキュレーターとしての役割についてまずご紹介になり、コッチャ先生との出会いから今回のシンポジウムの趣旨である「ダンス」がどのようなヒントから得られたのかを述べられました。また、美術館の色々な役割のひとつとして、差異ばかりに注目するのではなく、共通の点を探っていく場となることが重要であると述べられました。その後、展覧会のパンフレットにも記載されているダイアグラムをもとに、展覧会のコンセプトについて説明されました。そして、実際に展示されている作品の一部に触れながら、今回の展覧会において、他の存在とどのようにダンスが踊られているのかを紹介されました。

・本橋仁先生(金沢21世紀美術館キュレーター・建築史)

 本橋先生は、「エコロジカルパラダイム―建築の観点から」と題して、建築との関連からお話されました。本橋先生は最近のトレンドである木造建築を例にあげ、建築における「環境・自然・木造」という結びつけが短絡的であり、今一度本当にそれが共生であるのかといったことを考える必要があると述べられました。本橋先生は、昨今のトレンド以前から自然との共生を目指した木造建築を行ってきた存在として、設計集団Team ZOOを挙げ、彼らの建築作品を紹介しながら、そのルーツについて触れ、自然と比率の問題がモダニズム建築にはもともと含有されていたことを示唆されました。そして、これからの課題として、自然の本質的な概念が無機質なモダニズム建築に含有されていることを再検証する必要があると述べられました。

・池野絢子先生(青山学院大学・美術史)

 池野先生は、今回の展覧会の感想と交えて以下の3点についてお話されました。まず、「物質主義の問い直し」として、資本主義の恩恵を受けた「豊かな芸術」に対抗するイタリアの芸術運動「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)」が有する資本主義の再考、人間中心主義に対する問い直しなどといった意義を今回の展覧会の作品群が、同じように持っているように感じたと所感を述べられました。次に、「大気と呼吸の芸術」として、コッチャ先生の『植物の生の哲学』からの影響にも触れつつ、ご自身の今の研究対象である呼吸、大気を用いた美術について説明されました。そして最後にディスカッションへ向けて、「共感と政治」として、マリア・フェルナンダ・カルドーゾによる《芸術の起源について I-II》を取り上げ、蜘蛛の踊りを見た際のご自身の感想も踏まえ、他者との共感の問題が他種間との政治とも関わることなのではないかと問題提起されました。

・岩崎陽一先生(名古屋大学・インド哲学)

 岩崎先生は「すべてのものとダンスを踊る―シャクンタラー」として、インドの劇作家であるカーリダーサの作品『シャクンタラー』から詩を紹介されました。カーリダーサの作品では、人間と共に植物、動物、太陽や月といった様々なものが寄り集まっているといった点が今回のテーマである「すべてのものとダンスを」ということに結びつくと述べられました。そして、翻訳だけでは理解しえないことから、原文のサンスクリットで詩を実際に詠み上げられました。最後に、植物は通常、インド思想において魂を持たない人間の仲間とはされないものであるが、植物もまた「息」をする「いきもの」であり、植物を含めた様々なものがダンスをする様子がインド思想に見いだせると述べられました。

・高橋秀之先生(大阪大学・ヒューマンエージェントインタラクション)

 高橋先生は「人間と機械のダンスが生み出すふしぎな冒険」と題して、人間とロボットの関係についてお話されました。高橋先生は、人間とロボットの関係として、人間がロボットに何か「してもらう」だけでなく、人間には他者に何か「してあげたい欲」が存在することに着目し、その欲求を満たしてくれるようなロボットとそれを用いた研究結果とを紹介されました。高橋先生は、「してあげたい」と「してもらいたい」のバランスが重要だとして、コミュニケーションを媒介として制御することで、人間とロボット(機械)が対等な関係になる未来を作っていくことを提案されました。機械に依存するのではない仕組みをつくることで両者の対等な関係をつくることが、他者の主観世界を共有して、自分の世界の拡大、ひいては新たな文化を生み出すことに繋がると述べられました。

・山本哲也先生(徳島大学・臨床心理情報学)

 山本先生は「デジタルと踊る共感のエコロジー―人とバーチャルキャラクターが共鳴する時代へ」と題して、人間とバーチャルキャラクターの関係についてお話されました。まず最初に山本先生は、ダンスとテクノロジーの共通点として、「境界を越えて、人々の繋がりをもたらす」ことを挙げ、デジタル技術とダンスの融合が人間に何をもたらすのかの一例として、バーチャルキャラクターと一緒に阿波踊りを踊る「AR阿波踊り」を紹介されました。また、バーチャルキャラクターとの生活がどのような影響をもたらすのかということに関して、生成AIを活用して開発された柔軟に対話可能なバーチャルキャラクターについても紹介されました。バーチャルキャラクターとの対話による影響の検証結果として、対話前後で悩みの軽減、幸せ気分の上昇といった効果があったと報告されました。そして最後に、今後の研究の可能性として人とバーチャルキャラクターの共鳴が起こりうるということを指摘されました。

・伊東剛史先生(東京外国語大学・感情史)

 伊東先生は、シンポジウムのタイトル『すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー』に着目したお話をされました。まず、タイトルの「と」に着目し、今回のテーマにおける「と」を他の言葉に変えるとどう関係性が変化するのか、といったことを述べられました。次に、「共感」を取り上げ、「共感」が包摂や拡散などの様々な要素が表裏一体である色々な側面を有するものであると指摘されました。そして最後に、「踊って」に着目し、「舞を舞う」のような重言と促音言葉にリズム・間が生じるように感じられ、生の連続性が想起されるのではないかと述べられました。

 各登壇者のお話の後で、ディスカッションタイムが設けられました。まず、コッチャ先生が登壇者の方々のお話に応じる形でコメントをされました。コッチャ先生は、今回のシンポジウムのような大学と美術館のコラボがどのような意味を持つのかということを問題として挙げ、多様なものを学術的に1つに収束させようとする傾向が大学にはあると指摘し、新しい知のあり方を見直すことがコラボの最初に必要だと述べられました。たとえば、哲学者が現状のように本や論文を出版するのみではなく、他の表現、言語、形で表現をすることの必要性が例として挙げられました。また、高橋先生と山本先生のお話にあったロボットやバーチャルキャラクターとの関係について、人間の心理に合わせて表現しようとするような犬や猫といったペットに対する態度と似た部分があるのではないかと指摘されました。そして、「すべてのものとダンス」をするために必要なこととして、人間に共通な新しい文化、地球規模での文化、言語を作る必要があると主張し、大学がそのプラットフォームとなる必要があると述べられました。

 最後には、フロアからの質問や登壇者同士でのディスカッションが行われ、周藤芳幸先生(名古屋大学人文学研究科研究科長)の閉会挨拶をもって、シンポジウムは幕を閉じました。

(文責:名古屋大学人文学研究科博士後期課程1年 田中基規)