2024.8.19 第5回研究集会 叢書第1巻セッション 

 8/19-20の2日間にわたり、AAAプロジェクト第5回研究集会が開かれた。初日に行われたセッション1とセッション2との目的は、AAA叢書の第1巻と第2巻の執筆担当者である先生方にその内容の構想を発表していただくことである。

 セッション1では、テキストアナリティクスがテーマとなる叢書第1巻の執筆担当者である4人の先生方による発表が行われた。

🌟鈴木麗璽先生

 鈴木麗璽先生の発表は、LLMを活用した人工社会におけるテキストの進化ダイナミクスに関する2つの分析事例の紹介である。従来の研究とは異なり、多数のLLMエージェントからなる集団を対象とした研究における出力は自然言語に基づいており、なおかつ膨大であることから、人工社会のテキスト分析に基づく理解が課題となる。1つめの事例は、会話トピックの選好性の文化進化モデルを構築し、言葉の進化ダイナミクスを分析したものである。たとえば、ポジティブ、ネガティブ、ポジティブ・ネガティブの3種の発話をそれぞれ行うように設定した多数のエージェントの動きを分析するといった実験を行うと、ポジティブなエージェントの方が集団を作りやすいことや、ポジティブな発話には「new」といった特定の語が含まれているといった傾向がわかった。こうした分析結果から、言葉の持つ特徴が集団形成のダイナミクスに貢献する可能性があると鈴木先生は述べた。2つめの事例は、LLMを活用し、ゲーム的相互作用における戦略に言葉を利用する分析である。これは、たとえば「強い動物」というようなお題のもと、それぞれ異なる動物の名前のデータを持つエージェントを競わせるとどのような進化のシナリオになるのかを分析するものである。従来の研究では相互作用に限界があるのに対し、LLMを活用したこの研究では、無数に生じうる選択肢から生じる多様・オープンエンドな進化シナリオが期待されると鈴木先生は述べた。

🌟伊東剛史先生

 伊東剛史先生の発表は、19世紀末の標本採集人に大きな影響を及ぼしたチャールズ・ダーウィンとアルフレッド・ラッセル・ウォレスのそれぞれの探検旅行記である『ビーグル号航海記』と『マレー諸島探検記』とに対して行った感情の動きを分析するセンチメント分析の結果についてである。伊東先生は、まずダーウィンとウォレスとの共通点・相違点について説明し、次に両者の航海記に対するセンチメント分析の結果について報告を行った。分析を行うと、たとえば、ダーウィンとウォレス、両者の旅行記はともに帰国に近づくほどポジティブになるといった結果が出た。また、伊東先生は、旅行記に対する分析結果についての検証として、喜劇であるジェイン・オースティン『高慢と偏見』と悲劇であるトーマス・ハーディ『日陰者ジュード』についても同様の分析を行った。そこに現れる感情の動きが両作品の話の展開に合致することから、旅行記に対する分析結果も信頼性があるのではないかと語った。発表の最後には、研究をより深めるために、これから検討すべきいくつかの課題についての説明がなされた。

🌟和泉悠先生

 和泉悠先生はカズオ・イシグロの小説『クララとおひさま』の翻訳に見られる「おんな言葉」について、テキストマイニングの手法を用いて分析・考察した結果の発表を行った。和泉先生は、現実の女性の「おんな言葉」の使用率との比較を行う対象として、「おんな言葉」の計量的研究として過去に行われた実態調査の結果を取り上げた。その先行研究の結果と『クララとおひさま』に登場する女性人物のセリフにおける「おんな言葉」を表す「女性的」文末形式の使用割合を比較すると、現実の女性全体では2.9 %であったのに対し、翻訳の女性人物のセリフは94 %と、両者には大きな差異が見られた。和泉先生は、この分析結果に基づき、翻訳で見られるような「おんな言葉」が現実の人間の話し方としてはほとんど見られないということは、「おんな言葉」が女らしさの強調というレベルの話に収まるのではなく、現実の人間との根本的乖離があるのではないかということを示唆した。また発表の締めくくりとして、「おんな言葉」の使用には、読者の世界観を操作する可能性をはじめとする、様々な規範的含意の可能性があるということを指摘した。

🌟劉雪琴先生

 劉雪琴先生は、中国SF作品である『折りたたみ北京』の日本語訳である中国語からの直接翻訳と英語版を経由した重訳の2つの翻訳を対象とした、比較研究についての発表を行った。劉先生の研究によると、この2つの翻訳に用いられる語種や表現には差異が見られる。たとえば、語種については、直接翻訳は中国語の影響からか、和語や混種語が多い一方、重訳は英単語をそのままカタカナにした外来語が多いという有意な差が見られた。また、他にも、代名詞の使用については、直接翻訳は代名詞の省略が多い一方で、重訳は代名詞をそのまま翻訳したり、人名に置き換えるといった差が見られるという。修飾語については、直接翻訳は原文への忠実度が高く、重訳では省略されている形容詞の使用などが見られ、多様性という点では、直接翻訳の方が重訳より高いということが読み取れた。最後に劉先生は、今後の課題として、人称代名詞の頻度に関する考察が、単なる語彙の問題にとどまらず、物語の視点や話法とも密接に関連するため、さらなる精査・検討が必要となると述べた。

 先生方の発表の後には、質疑応答・討論の時間が設けられた。たとえば、鈴木先生の発表に対して、AIを用いた人工社会の分析が、現実の人間のコピーと言えるのか、といった研究の意義・目的および人間とAIとの関係を問うような質問がされるなど、研究のブラッシュアップに繋がる議論が多く行われた。

(文責:名古屋大学人文学研究科博士後期課程1年 田中基規)