当プロジェクトも、期間の折り返しを迎えています。これまで数々の課題を洗い出し、検討を進めてきました。大平英樹教授が、「後半期間は、これまでの成果を踏まえて、より戦略的にプロジェクトを展開していきたい」と話すように、今後さらに加速し、新たな流れを作るフェーズへ突入します。2024年8月19日、20日に開催された全体研究集会では、各班の話題提供と活発な議論に加え、叢書の出版や金沢21世紀美術館との共催による国際シンポジウムなど具体的な成果発表の構想についても議論されました。
白熱した発表、議論のうち、ここでは一つ、<セッション4:セクシュアリティ>における、鳥山定嗣先生のご発表について紹介します。
鳥山先生が掲げている一つのテーマが、「言語のジェンダーと作家のセクシュアリティ」です。その検討の一つとして、フランスの詩人であるポール・ヴェルレーヌ(1844 – 1896)の詩、「良い弟子」が紹介されました。
一見、キリスト教的な詩のように読めます。ですが、いくつかの解釈において、この詩は同性愛について読んだものと言われています。ヴェルレーヌは当時、アルチュール・ランボー(1854 – 1891)と同性愛の関係にありました。この詩は、そのランボーの財布から出てきたものです。当時世間一般に公表されていなかったことから、ヴェルレーヌからランボーへ送られた私的な詩であることがわかります。そこから、詩中の「私」はヴェルレーヌ、「君」はランボーと見ることができます。その他にも、「選ばれた私」と「呪われた私」のような両義的な表現や、鷹や白鳥という性的な意味を匂わせる動物表現、脚韻の工夫による表現などをはじめとして、同性愛的な含意をいくつも読み取ることができます。
鳥山先生は先行研究の指摘を紹介しつつ、同性愛的な解釈に通ずる、詩の構造の検討を加えました。ソネットと呼ばれる14行詩(13世紀イタリアに誕生し、16世紀フランスに伝わった定型詩)は、4行-4行-3行-3行と構成されるのが一般的でした。しかし、この詩の構造は斬新で、3行-3行-4行-4行と構成されています。この倒置構造に、通常の愛とは異なる同性愛の含意を読み取ることができます。
確かに、言葉を変えたところで社会への影響は大きくないかもしれません。しかし、「そこはそう簡単には割り切れないのではないか」と鳥山先生は話します。自然現象の一つとみなされる性(セックス)も、言葉にする時点ですでにジェンダー化されているという見方もあります。そう考えれば、言語上の破格行為も社会変革と無縁とは言えないのではないでしょうか。
「単なる自己満足と見る人もいるかもしれません。それでもこの詩は、当時の社会規範やジェンダー観に対するささやかな抵抗だったのではないかと思います。」
“私”自身の性別を明らかにすることなく自分について語ることが難しい、そのような言語がフランス語をはじめ世界には少なからず存在します。言葉がジェンダー規範に与える影響は、今後も深く検討される必要があります。
(文責・綾塚達郎)